夕方の訪問者
「なんとなくこうなる予感はしていたんだ」
「……俺もです」
17時15分ぴったりに、彼女は登場した。
古めかしい木の杖に体重を預けるようにして、ゆったりと歩いてきて俺の前の座布団に座る。
歩いて座る。
このシンプルな動作にさえ、生半可な育ちでは決して持ちえない気品が満ち満ちていた。
さすが双子。
「コーヒーと紅茶、どっちがいいですか?」
俺はと言えば気品を取り繕う気もないので、素のままの動作で紅茶とコーヒーを指さす。
「紅茶で頼む」
「ういっす」
カップにティーバッグを投入し、湯を注いでいく。
「……で、何の用で?」
「お前を騙してしまった。済まない」
「別にそれはいいんですが……弟さんに謝った方がいいですよ」
凄く嫌がっていた。
「謝ったが『謝らないでください。許さなければならなくなるでしょう? それとも恩を売ってほしいですか?』と言われたので喧嘩になった」
シェルさんは言葉選びが斬新な罵倒を繰り出すし、行動原理が鬼畜な人だが、喧嘩腰で構えるところなど見たことがない。
どうやら、俺が想像するよりずっと険悪な仲らしい。
「やめてあげた方がいいんじゃないですか。弟さんの振りするの……」
「ああ。……滅多なことではやらないんだが、今回に限っては気になってな」
「?」
俺が戸惑っていると、彼女はシェルさんそっくりな顔に笑みを浮かべて話し出した。
「あの子は、弟は、私に道を譲った。この私に。私がお前に話しかけようとしていることに気付き、私と弟のアーカイブが衝突してしまうことを案じて、私のことを案じて、譲った」
「…………」
壮絶な表情だった。
愛おしさと憎らしさ、嬉しさと忌々しさ。相反するものが存在する感情すべてを混ぜ込み、煮詰めたかのような。
それでも彼女は美しい。
「やけに正確に時間を指定しただろう? 私と違って鬼である弟は、周辺の魔力の流れに与える影響は甚大だ。その影響が消えて元に戻るのに時間を必要とし、そしてそれが17時15分だった。静謐で美しい計算をする弟。なんて賢く優しい弟。愛くるしくて死ねばいい」
称賛と愛情と憎悪を同時に吐き出すセリフを聞いていると、なんだか背筋がぞわぞわしてくる。
「面白い。なんて面白い化け物なのだろう、あの鬼は。殺してやりたくなる」
笑う彼女の殺意は本物だ。
向いている方向が俺ではないから――対岸の火事だから――見ていられるだけだ。
見惚れてしまうほどに恐ろしく綺麗な怪物。
「……シェルさんに似てますね」
独特なおそろしさと感情の深さが似ていると感じる。容姿よりもそれが目についてたまらない。
一瞬だけ、お姉さんの青い瞳に白いノイズが走った。
シェルさんの銀とは違い、そこだけ漂白剤で色を抜いたかのような白い線。
「!」
しかしすぐに収まる。
「…………。ああ、そうだな。私と弟はとても似ている」
どこか自嘲するような笑みを浮かべて、紅茶に口をつけた。
一口飲んでから楽しそうにまた話し出す。
「間違いなく私は弟を愛しているし、弟も私を愛しているが――これ以上もなく憎んでいる」
「成り立つんですか、そんなの……」
愛憎が心に同居するなんて。
「出来るさ。可愛さ余って憎さ百倍という言葉もある。愛が深ければ深いほど、相手に裏切られたり傷つけられたりしたときは憎も深い」
「……」
「こればかりは、伴侶や自分の子どもを持ったときに実感するようなものだからな」
名前も知らない彼女がため息をついた。
「愛の対義は憎だ。だが、正反対は無関心なのだ。弟は愛していなければ『嫌い』と言わない。不器用で愚かで愛らしい弟」
愛おしそうに、弟への憎悪を吐き出す。
「八つ裂きにしたいとさえ思う。その目抉り出し、首をねじ切れるのならば――と」
愛憎とはこういうことなのだと、雷に打たれたような天啓が降りた。
なぜか、自分の母の去り際の顔を思い出す。
(いや……これは『なぜか』なんかじゃないよな)
母は間違いなく、俺を子どもとして愛してくれていた。
愛していたからこそ別れ際は寂しく――そして鈍感な俺と父が憎らしかった。
俺にもアーカイブがあったら良かったのだろうか。でなくとも、幽霊や神様が見えるような《異能》があれば。
「見苦しかろ。……済まぬな、光太」
「いえ。知らないことを知れたので……」
「……」
彼女はぽかんとしてから、声をあげて笑った。
「……っははは」
なんて綺麗なのだろう。
「そうだな。そうだ。お前はそういうやつだと……ひぞれからも聞いている」
翰川先生、どんだけ俺のこと広めてるんだ。
まさか恋話なんかしてないよな?
「素直で、真面目で、誠実な若者だと……」
「こ、光栄っす」
恐縮していると、お姉さんが姿勢を正して一礼した。
「私たちの可愛いひぞれをよろしく頼む」
その『私たち』は、シェルさんをも含んでいるのだろう。なぜか、聞かなくともわかった。
「弟にとって私は家族だ。私にとっても弟は家族。忙しや」
「なんか、凄い兄弟関係ですね」
「うむ。……しかしだな。最近、パヴィが私の胸を吸いたがるのだ」
「ぶっ」
たしかにあの子、胸好きだったけども。
「私から乳は出んと言うのに……」
「俺にそういう話題話すのどうかと思いますよ! これでも男なんで!」
明け透けに話されてもどうリアクションすればいいか困る。
「すまぬ、光太」
仕切り直しで、自己紹介をしてもらうことにした。
「私の名はシュレミアという」
サリーさんに引き続き、この人までも名前が同じとは……
俺が『シュレミアって何人いるんだ』と呆然としていると、少し焦った様子のシュレミアさんが悪竜について教えてくれた。
「実を言うとだな。悪竜兄弟のオリジナルである《悪竜》の名がシュレミアなのだ」
「《王様》が?」
「ああ。その人にあやかって名付けられたきょうだいはとても多い。《王様》のように強く賢くあれと願って名付けたのだ」
「な、なるほど」
海外の人名が神話や英雄譚に由来するものが多いのと同じようなものか。
「ちなみに、お前が思うほど全員シュレミアと言う名前なわけではない。5万人のうちの3千人くらいしかいない」
「5万人も居れば麻痺してるのかもしれませんけど、俺にとっては十分多いんですってばよ?」
かつてオウキさんに『光太はたくさん悪竜と出会う(意訳)』と言われた俺としては、今から戦々恐々だ。
「それだけ同じ名のきょうだいがいるのだから、私たち自身もきちんと呼び分けをしている。弟のシェル然り、魔王のカトレア及びサリー然りだ」
「そ……っかあ! 良かったー!」
「……なんだか可哀そうな人の気配がするな」
不吉なことを言われたようだが、気にしないことにした。
「ってことは、あなたにも呼び名があるんですよね?」
「もちろんだ。だが、ファミリーネームは名乗らん」
「大丈夫です。呼び名さえ教えてくれれば」
「しかし、貴様があれをシェルと呼ぶのならば、私も愛称で伝えねばな」
「?」
「ミドルネームではないということだ。……まあ別にいいか」
面倒くさくなると説明をぶん投げるところがシェルさんそっくりだ。
「シアと呼べ」
「わかりました、シアさん」
夕食のお誘いを快く飲んでいただけたので、シアさんを伴って翰川先生の待つリビングに移動する。
キッチンでは翰川先生がカレーライスを作っていた。
「お。シア! キミは今日も美しいな!」
「私を口説いても何も出ないぞ、ひぞれ。何か手伝おうか?」
「煮込むだけだから。……あ、良かったら、サラダの盛り付けを頼んでもいいかな? 冷蔵庫に入っている」
「承った」
「じゃあ俺、デザート用意しときます。三崎さんからジェラートもらったんすよ」
カエルマカロンのお礼にと言って、時間停止の箱に包まれたジェラート詰め合わせを学校で渡してくれた。
いろんなフレーバーの小さなカップがたくさんあるようで、中にはもちろん翰川先生の好きなリンゴ味もあった。俺の好きな小豆味もあったのは嬉しかった。
「!」
翰川先生がぱあっと顔を輝かせる横で、シアさんが真剣な顔で言う。
「私も頂いてよいものなのか?」
「遠慮せず。けっこうな量ありますし」
「……イチゴ味が良い……」
コーヒーよりは紅茶派で。
甘味好きでイチゴ好き。
そして鶏肉好き。
豚肉派の翰川先生がカレーのお肉を鶏肉にしているのは偶然ではないだろう。
「ほんとシェルさんそっくりですね」
「うるさい黙れ」
そういうところが。
その後、一時的な仕事場である札幌支社から帰ってきたミズリさんも参加して、賑やかな夕食となった。
食後には勉強を教えてくれたが、シアさんも含めて全員天才だったので非常に頼りになったことを明記しておこう。
超スパルタでもあったので、疲労困憊だ。
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