再開

「……なんか長いですね」

 病院の地下2階は薄暗く、廊下が続いているばかり。

 ちらほらと器具室や給湯室などの部屋は見えるが、非常に物寂しい。

「《犯人》のいる場所は、ひぞれの病室と真逆の病棟の地下です。少し遠いので」

「そうなんで……す……ね……?」

 ふと天井を見上げると、夥しい数のお札が貼られているのが見えた。

「わざわざ見上げるなんて物好きですね」

 楽しそうな微笑みを見せるシュレミアさん。

 まさか、また《怪談》に飛び込まされるのか?

「《犯人》の呪いの余波で他に影響が出ないようにお札を貼っているだけです」

「今ので安心しろと?」

「影響が出ているなら、エレベータを開けた時点であなたは死にますよ?」

「えっ」

「俺は死にませんから、あなたが倒れたら現世に引っ張り戻してあげられますし、何も問題はありません。安心してください」

「そっすか……」

 ただ歩いているだけなのに疲れる……

 うなだれる俺に、シュレミアさんの言葉が静かに投げかけられる。

「…………。お詫びに」

「?」

「付き合わせてしまっているお詫びに。あなたが気になっている情報を投下します」

「何がですか?」

 しかし、俺の質問など聞いてくれるはずもない。

 彼はつらつらと立て板に水で喋り始める。

「ひぞれの瞳の火花は、コードを使っているときではなく、脳の演算能力を使っているときなど、特定の思考を行っているときに起こります。本人に自覚はありません。また、ひぞれの遺伝子には妖精のものが含まれていますので、あなたの推測は正解」

「――」

 心どころでなく記憶さえ読めるのか、この人外。

「リーネアの種族も妖精。あの子の親戚がペンギンバッグを贈ったので、魔法のアイテムという印象も間違っていません。虚空から武器を取り出す仕組みはバッグにも使われています」

 ライフルを振り回す妖精ってなんなんだろう。

「あなた自身が想像するよりも、あなたの直感は正しいですよ。自信を持ってください」

「あの。翰川先生はともかく、リーネアさんが妖精とか想像できないんすけど……」

「? ふたりとも無邪気で可愛らしいでしょう」

「あれって無邪気かな……?」

 暴走と呼ぶのでは。

「親戚の子どもを眺めているような気持ちになります。微笑ましい」

 物言いでなんとなく感じていたが、一番年若く見える彼は二人より年上らしい。

「……シュレミアさんの種族は」

「? 鬼畜です」

 それはただの自己申告だ。

 暖簾に腕押し、糠に釘。シュレミアさんはそれらが見事に当てはまる難敵だ。

 打てば響く会話をしてくれる翰川先生が恋しい……翰川先生大好き……

「何か他にありましたか?」

 なんでこの人こんなに怖いんだろう。何もかも見透かしているようだ。

「……ないです」

 彼は頷いてから問いかける。

「ところで《犯人》の見当はつきましたか?」

「いいえ……」

 何度でも言うが、分かっていたら、俺は自分一人でも解けている。

「呪いが成立するには呪う側と呪われる側に人間関係がなければなりません」

「じゃあ、知らない仲じゃないってことですか?」

「……あなたは敏い方ではなさそうですが、いくらなんでも、何にもわからないことはないでしょう? 小学5年生のあなたと《犯人》には交友関係があったのです。あなたのそれは、通り魔的な呪いにしてはピンポイント過ぎます」

「…………」

 強い思いを向けられたのなら、いくら愚鈍な俺でもわからないはずがない。

 一発で答えを教えることもできるのにそれをしないのは――俺に考えさせるためだ。

「考えても、いいですか。待ってもらえますか?」

 そう信じて問いかける。

「よいことです。考えて無駄になることはありません」

「ありがとう」

 会釈する俺をシュレミアさんが指さす。

「こちらからもヒントを」

「ご、ご親切に」

「あなたのそれは呪いというよりおまじないに近い。二つ目。小学5年後期に登場する物語は、神秘が体系づけられる前の魔法と、後の魔法が対立するものです」

 俺の《呪い》は、まさにそのときに発症した。

 これまでの冷淡な口振りに反し、非常に優しいヒントだ。

「子ども向けということもあって、ぼやかした描写が逆に残酷かと思います」

「どう残酷ですか?」

「スペル側の魔法使いと、古典からの魔法使いが対立するのですが……どっちつかずが痛い目を見ます。スペル側からの拷問の末に死にます」

「……端的にありがとうございます」

 ここまで攻めた内容を小学校の授業の題材にするなんて……ちょっと読んでみたくなってしまったではないか。

「けっこう反対意見も出たんですよ、その作品。……ヒントはここまで」

「わかりました」

 考えよう。足りない頭を振り絞って考えよう。

 感情そのままに世界に干渉する神秘と、神秘の持ち主たちが主人公の物語。

 子供向けであっても残酷な描写が残ってしまうそれを読んで、神秘を持つその人が思ったことは何か。俺だったら……神秘を持つことを友人に知られたくないと考えそうだ。

 おまじないをするのは女の子がほとんど。俺と関わった女の子を思い返していく。

(つっても……)

 小学校時代は、『男女構わずみんな友達』みたいなノリだったから、特色のある女子なんてあまりいない。

 シュレミアさんは瞬きをして問う。壁に馴染んで気付かなかった真っ白な扉を示して。

「扉を開ければ答えはわかりますが。どうでしょう?」

「! もう少し……」

 おそらく、秘密を共有するような友達が少ない女の子。そして――俺に『神秘を知らないままでいてほしい』と願い、嫌われるのを恐れた女の子。

 俺の記憶の中の女の子であてはまるのは、一人だけだった。

「……わかった、と思う。思います」

「そうですか」

 おぼろげな記憶を手繰って小学校の自分を思い出す。

 まだ人と向き合えていた頃の自分を。

「トシ子ちゃん」

 図書室でしか出会わない女の子。

「……図書室で本読んでた。俺がふざけて本棚駆けあがったのを見られて、話しかけたんだ」

 彼女は、俺に検査の結果を問われて青い顔をしていた。当時は体調が悪いのだろうと思っていたが、それ以降、彼女の姿を見たことはなかった。

 記憶を手繰り始めれば、今まで一度も疑問にも思わなかった自分が不思議だ。

「……その子が《犯人》ですか?」

 青い瞳は俺を見据えたまま、ゆっくりと首を傾げる。

 ……まさか違うのか?

「俺が聞いていた名とは違いますが、おそらくは」

 聞き返そうとしたが、彼は扉を開けてしまった。

「ちょっ……!」

 追いかけて部屋に入る。

 中心のベッドには、かつてのトシ子ちゃんを成長させたような女の子が眠っていた。

「……トシ子ちゃんだ」

 本人が名乗った名前だから間違っているはずがない。

 混乱する俺に、シュレミアさんが情報を追加してくれる。

「図書子と呼ばれていたのでは?」

 『子どものあだ名は残酷ですし』との締めくくりに納得しつつ、ベッドについたネームプレートを見に行く。

七海ななみ……紫織しおり

 しおり。名前まで図書館が想起されるものだとは。

「今の今まで、一度も思い出さなかったのに」

 残酷な魔法使いだと思われたくなくて、俺に神秘を知らないでほしいと願った。

 彼女は――おまじないをかけるほどに恋してくれていたのか。

「スペルは個人差で特徴が幅広い神秘です。紫織のスペルとあなたへの感情の質が噛み合ってしまったから……根強い呪いになったのだと推測しています」

「何も大したことしてないのに……」

 好きになってもらえるようなことなんて、何もしていない。

「本人が忘れてしまうくらいに些細に思おうと他人もそうだとは限らぬものです」

「……シュレミアさんもそうですか?」

 彼は非常に淡々としているが、翰川先生に向ける目は優しかった。

「話すつもりはありません」

 質問をすげなくあしらわれ、またも決めつけで不躾なことを聞いてしまったと思い至る。

「ですが、ひぞれと出会えてよかったとは思います」

「リーネアさんとおんなじこと言うんですね」

「あなたもそうでしょう? ……これもリーネアと同じでしょうけれど……会話が難しい」

「……あっはは、意味わかんねー……心読めすぎ」

 シュレミアさんから視線を外し、眠る少女を見る。

 恨みつらみが噴き出すかと思っていたら、そうでもなかった。

「感情には揺り戻しがあると思います。でも、紫織に訴えかけるのは、目覚めて落ち着いてからにしてあげてください」

「うんもう心読まれてもいいや諦める……って、ずっと寝てるんですか?」

「魔法は他の神秘と違って、使うには代償を払う必要があります」

「生贄とか?」

「そういうものもあるのですが……多くは自分から支払う対価ですね。あなたの知る機会を奪った代償を、紫織は自分の時間で支払っています」

 小学5年生のときから眠り続けたのならば、彼女は今の今まですべての時間が停止していることになる。朝に起きて眠ることも、食事をとることもすべて。

 しかし、外見年齢は俺と同年代程度に見える。

「成長してますけど……」

「その場合はあなたの方が永遠に眠り続けることになりますね。眠れば神秘を知ることはありませんから」

「物言いが怖いんですが」

「というか、本来ならそうなるはずだったんだと思います。……『神秘を知らないでいてほしい』と願った結果が、紫織のスペルの未熟さ故に『神秘の詳細を知らないでほしい』に緩和されたのが今のあなたです」

「…………」

 緩和されていてよかったと心底思う。でなければ俺は、本当にどこにも行けなかった。

「……でも、それでもですよ? 今までずっと眠るのは重すぎるんじゃないかとは……」

「紫織の空白の8年は、あなたの苦悩の8年と比べられますか?」

 直球の質問に固まっていると、彼が頭を軽く下げる。

「無遠慮でしたね。申し訳ありません」

「……。いえ、気にしてません」

「ありがとう」

 袖を払って会釈する仕草にはどこか気品が満ちている。

 結局、彼はどんな異種族なのだろう……と考えているうち、なんとなく自分の足元を見た。

 シュレミアさんが首を傾げる。

 俺は情けなくも震えながら自分の真下を指さす。

「……あの。あのですね。……俺の足元に」

 ベッドを囲うように黒い塗料で魔法陣が描かれているのを、思い切り踏んでいた。

 呆れ顔をした彼は静かに答える。

「…………。危険なものなら入る前に止めています。安心しなさい」

「すみません……」

 シュレミアさんは一つ息を吐いてこちらに歩み寄った。

 本当に危険なものではないらしく、普通に線を踏んでいる。

「では、呪いを解きましょう」

「……あなたが解くんですね」

 ヒロインに向かって涙を落とすとかの展開を期待しなかったわけでもない。

「そういうのは一つの物語として整っているから解法になるのであって……単なる一場面を模写しただけではあなたに呪いが返ります」

 『精神が壊れるだけで済むといいですね。やってみますか?』と問う彼はまさに異種族。

 頷けば最後、やらされるのは間違いない。

「ごめんなさい解いてくださいお願いします。……でも、なんでわざわざここに?」

 シュレミアさんが解けるのなら、ここに来る意味は――

「ここに来ない方がよかったですか?」

「……………………いいえ」

 そんなわけがない。

 来た方が――否、俺はここに来るべきだった。本来ならば、彼女が眠ってしまったすぐにでも来るべきだった。

 知らずにそのままだったのだから、いま取り戻したと考えるべきだ。

「よろしい。……かけた方とかけられた方が揃っているとより安全に解ける、という合理性もあります。何もあなたに懺悔させたいのではありません」

「……。はい」

 頷くと、シュレミアさんが淡く笑う。

「あなたが怒鳴り散らしたり、悪態をついたりしなくてよかった」

「あんまりにも予想外だったから感情が追いついてないだけっすよ」

 反省したとて、俺の根っこは考えの足りないアホなのだ。時間が経てば彼女に怒りや恨みを抱いてしまうかもしれない。

 今はとにかく実感がないだけ……なのかもしれない。

「それでも、相手を慮るのはよいことです。同じスペル持ちとして感謝します」

 どうやら彼も、リーネアさんと同じようにどこかずれていつつも優しいらしい。

「じっとしているように」

「了解です」

 シュレミアさんは、トシ子ちゃん――否、紫織ちゃんの右手を握り、俺の額に空いた右手を当てた。

 小さく唇を動かす。

「      」

 その呪文は全く聞こえなかった。目の前で声が発されたことがわかる一方で、脳が理解を拒んだような奇妙な感覚がある。

 俺自身は何ともない。

「……これで、治ったん――」

 『絶対に眠らせてやる』と言う意地が感じられる急速な睡魔。

 8年間負け続けのそいつに襲われ、俺は意識を手放した。

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