終章 行き止まりの向こう

先生の補足

 家の中で翰川先生に聞かされたこと。

 原因不明だった俺の持病は、実は非常に単純なものだった。

「神秘の仕組みを知らないはずのキミの意識は、どうやって会話や文章を『神秘の仕組みについてのものだ』と判別しているのか? ……キミとの会話や反応を記憶から細かに思い返してみたが、考えれば考えるほど妙な《持病》だと思ったよ」

「……」

「思考するうち考え付いた。『こんな条件で昏睡が起こるなら、病気ではなく、ある種不完全な《呪い》なのではないか』とな。……それなら特定の言葉じゃないかと思ったんだ」

 車椅子に乗った彼女は、俺にとってのNGワードを告げる。

「アーカイブ。体系づけられた神秘をこう呼ぶ」

 たった一言で俺は眠ってしまっていた。そうと知ると脱力するほかない。

「このワードを認識したら寝落ちするわけだ。細部に触れるとなくてもダメなようだが」

「……最初に試したのは、それ?」

 『実験をする』として囁かれたそれこそアーカイブだった。

 神秘の総称がわからなかったのも忘れたからでなく、それこそが昏睡の条件だったからだ。

「試しておかないと不意に眠らせてしまうかもしれないと思って。ただ……科学のアーカイブの僕では、犯人やその理屈がわかっても、肝心の呪いを解くことが出来なくてな」

 眉根を寄せる表情からは、罪悪感が丸わかりで……見ているこちらが申し訳なくなる。

「シェルに頼れるようになるまでは明かすにも躊躇われたんだ。……ごめん」

「大丈夫です。気遣ってくれたの、わかりますから」

 仕組みを聞かされたとて、現状が解決しない以上は何も変わらない。

「呪いの引き金の感情が感情だから、学校内だと強力になり、些細な説明でも眠ってしまうんだと思う。外に出れば、神秘分類くらいなら教えられる……ということらしい」

 リーネアさんのあれも試していたのか。異種族の人々はつくづく抜け目ない。

「受け身なしで倒れるもんだから、そんなに細かく試せなかったんだよ……」

「仕方ないよ。……非があるのならば紫織だな。ただ、彼女も家庭環境や教導役との相性が悪かったようだから。落ち着いたら話してあげてほしい」

「……シュレミアさんにも言われたよ」

 朝7時に目が覚めると俺は自宅。シュレミアさんがその傍にいた。

 紫織ちゃんを教導役として引き取ること、彼女に罪を償わせること。家族と教導役が、眠り続ける彼女を疎ましがって病院の地下に押し込めていたこと。

 一方的に伝えてから、彼はその場から一瞬で姿を消した。

 ぽかんとしている間に、退院してきた翰川先生が瞬間移動で帰ってきたという訳である。

 語って伝えると、翰川先生は楽しそうに笑った。

「シェルが緊張していたと思うと微笑ましいな」

 話している間のシュレミアさんは終始一貫して鉄面皮の無表情であった。

「緊張の様子が全く見られなかったんだけど」

「キミの台詞を先読みしていただろう? 混乱したときはよくそうなるんだ」

「先生には違う現実が見えてるのかな?」

 緊張で混乱していたら心を読めるのか。そんなわけがない。

 あれで神秘を使っていないというのだから恐ろしい。

「道中も彼曰く『軽やかな世間話』をして緊張をほぐそうとしたらしいのだが、シェル自身が緊張していたら意味がないと思うんだ。やっぱり彼はお茶目で楽しい」

 ああ、丑の刻参りとかそういうの、全体的に世間話だったんだ……?

「……あの人が結局なんなんだかわかんなかったな」

「むう。彼が青ペンさんなのだが」

 明晰さと優しさ。そして冷酷な罵倒。確かに、まさに彼は青ペンさんのような――

「ひ、筆跡は?」

「シェルの筆跡は書く度に変わる。僕でさえ覚えるのが馬鹿らしくなるくらいだ」

「この世には謎が多すぎる……」

「彼はすごく緊張していたんだぞ。『連れ回してしまうのが申し訳ないから』とキミが気になっているだろう事項をすべて網羅して話したはずだ」

「先生から逐一聞くなんて……親切なんですね、あの人」

「いや、僕が何も言わないままでキミの事情を推測して当てている」

「……有り得なくないですか」

「そう。有り得ないほど頭がいい。自慢の友人だ」

 時系列的に有り得ないシュレミアさんにはツッコミどころが満載だ。

 それでも自慢してくれるなんて、翰川先生はいい友人なのだろう。皮肉でなく。

「彼は自分の種族もきちんと言ったはずだよ」

「鬼畜だって言ってました」

「……。あっははははははっ!」

 一瞬の間ののち、翰川先生が大いに笑い始める。

 きゃあきゃあとはしゃぐ姿が可愛い。

「……なんかもういいや」

 先生が可愛いから、笑っていてくれればそれでいい。

 スマホに届いたメッセージを見せる。

「リーネアさんが、『食べたいケーキ言え』ってさ」

 現在、彼は三崎さんと買い出しに行っているところだ。

「おや。……アップルパイと返信してくれ」

「リンゴ好きなんだ?」

 あのアイスパフェもリンゴ味だった。

「ああ。初めて食べた固形物だから思い出深い」

 慰めればいいのか憤ればいいのか。

 だが、笑えるのなら過去として清算しているのだろう。俺が何を言っても無粋なだけだ。

「……」

 代わりに、あることを提案する。

「先生。近いうちに親子丼つくろうか?」

「! ありがとう」

「帰りに出汁買ってくるよ」

 今日は数学の補講があるのだ。

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