第七章 答え合わせ
病室にて
俺があの冒険で学んだことは幽霊についてだった。
彼らは《物語》を背負ってしまうことがある。とてつもない恐怖や怒り……そういった強い感情によって凝り固まった思いが、自らの記憶がループする場所を作り上げるそうだ。
そこには稀に、条件に合致した人が迷い込んでしまう。今回の俺はそれだった。
結末を幽霊が満足するものに変えることで小さな異世界は終焉し、幽霊も成仏するらしい。
逆に言えば、《物語》に組み込まれた幽霊は、世界を終わらせなければ成仏できないということでもある。今回のように、ワンボックスから軽自動車へと世界の基点が移り変わるような世界は非常に珍しいとのこと。
その《物語》こそ、怪談と呼ばれるものである――
リーネアさんに教わったことも交えて聞かせると、先生は病床で目を輝かせた。
「ほう。それは大変だったな、光太。なかなかやるじゃないか!」
「言うは易しだよ先生……滅茶苦茶怖かったんだからな?」
「リーネアが居れば大丈夫。彼は荒事にめっぽう強い」
「放り投げてくんじゃねえよ。ガキの命背負わされるなんざごめんだ」
「一度背負えば捨てないのがキミの美徳だ。きちんと面倒を見てくれただろう?」
「……お前はなんなんだかな……」
ポジティブを極めた脳をお持ちな先生には、リーネアさんも紡ぐ毒舌が緩むらしい。
「しかし、見舞いに来てもらうというのは嬉しいものだ」
「見舞いに行かなくて済むようにしろよ」
それはもっともだが、先生を倒れさせてしまった俺は言えないので、口を閉じる。
先生がふと問いかける。
「……そういえば、京はどうしてるんだ?」
「あ。ちょっと疲れちゃったみたいで、家で寝――」
「何でてめえが答えるんだ?」
「あばあぁぁあ」
『首を絞めあげたら呼吸出来ません』と叫んだはずが、口から洩れたのは奇声だ。
なんだっけ、こういうの。チョークスリーパー……
「こ、こら、リーネア!」
リーネアさんの腕が首から離れると同時、俺は膝から崩れ落ちる。
「駄目だろう、病院でそんなことしたら! 安全な場所でやりなさいっ」
たとえ場所が安全だったとしても技が危険すぎる。
「かふ、かひゅぅ……」
「ちっ……」
リーネアさんは俺を蹴って仰向けにさせ、腕をしならせて俺の胸部に叩き込む。
呼吸が回復して震える俺を無視した彼が翰川先生に向き直る。
「今回はありがとな、ひぞれ。元気になったらまた遊ぼう」
「うむ」
それからなぜか振り向いてしゃがみこみ、転がったままの俺の顔を見て言う。
「……あのな。人の首って、お前が思うより絞めても死なない」
つい先ほどあなたに実演されました。
「あの刈上げ頭は気絶して意識が途絶えたんだ。だから、幽霊の意識がつくるあの世界からはドロップアウトした。お前のせいじゃない。お前は誰も殺してない」
狙撃をしたのならば車内を観察していたはずだ。……俺が煽るのも見ていたのだろう。
「結末を変えたところで現実は何も変わらない。現実のあいつらは。あのまま崖を滑り落ちて死んだままだ。大体、あんなの罪悪感を持つ価値もない。自業自得だろ」
「…………」
「ああいうのは幽霊が満足したらそれでいいんだ。ちゃんと車が助かれば終わる。……何するか説明しなかった俺も悪かった。ごめん」
「あんたほんとにリーネアさん?」
「謝った俺が馬鹿だったよクソ野郎」
リーネアさんは俺の頭を張り飛ばし、蔑む顔で告げた。
「……あと、ケイに変な手出ししたら死ね」
狙撃手が呪詛を残して病室を出て行く。
くすくすという笑声が聞こえ、俺はなんとか起き上がって椅子に腰かける。
「おかえり。よく無事だった」
「……ただいま」
「聞きたいことがあるんだろう?」
見透かされることにも慣れて来た俺は、どうしても気になっていたことを問う。
「車におじさんがくっついてたなら、元の事故で無事じゃないとおかしいんじゃないかなと」
チンピラを怖がらせたときの俺の声は自分の声ではなく、勝手に借りたはずの意思は、実はおじさんが貸してくれていた。
素人演技で大人二人を騙せるなんて不自然だと、後になって気づいた。
「死んでも娘を助けようとして、曲げられなかったのが無念だったから……右に曲げる力が強くなったんだと思うよ」
「……なんかもう、きっついっすね……」
幽霊は人の儚い残滓。想いが強ければ強いほど現世において力を強く発揮する。
娘の遺体の乗せられた車の進路は、幽霊になったばかりのおじさんには曲げきれず、その時点では生きていたチンピラが、赤色灯に焦って左にハンドルをひねる方が強かった。
何とも救われないが、まやかしだとしても、救われたのなら良かったと思う。
「おじさん、娘さんと会えたかな」
「…………。さあ。そこからは神様次第だ」
先生は膝の上あたりをさすっている。
「足、大丈夫?」
「ああ。心配してくれてありがとう。……しばらく車椅子生活だが……迷惑をかける」
「……気にしなくていいのに」
俺は先生に改めて家庭教師を頼み、回復するまで介助することを申し出ていた。せめてものお礼がしたかったのだ。夏休みが終わるまで札幌に居ると聞いたのも大きい。
「そうか。ところで、京とのデートは楽しかったか?」
「はい? ……」
一瞬、デートという言葉が何を指すのかわからなかった。
あの《冒険》は、デートという表現に結び付けるにはあまりにかけ離れている。
「万全を期すならパターン持ちが二人居た方がいいからな。車内でも一緒だったろう?」
「そんな事情が……それはともかく、先生にとってあれはデートに含まれるんです?」
「保護者つきのデートだと思えばいい。京は可愛い。リーネアは優しい。役得だな」
「思えねーわ」
首絞めシーンを目撃しておいて。どうしてこう、翰川先生の認識はずれているのやら。
楽しそうに笑ってから、こちらを真っすぐに見据えた。
「冗談もこれくらいにして、キミの本題に入ろうか」
「ん? 俺の本題?」
何事かと問い質そうとする俺を、どこからともなく聞こえた声が制する。
「あなたの頭の働きは犬にも劣るのですか?」
俺の隣に虹色の艶を持つ銀髪の美人が存在していた。
「ふ、ぉあ?」
唐突過ぎて間抜けな声を漏らす俺に、美人は淡々と言う。
「ひぞれが気に入ったと聞くからどんな変人かと期待していたのに……安心しました」
その人は先生やリーネアさんとはまた違った美貌の持ち主で、男女を見間違えそうというよりは、男女の判別がし難いほどに美しい。
何より目を引くのは、青すぎて生物の眼窩に収まっていることにさえ違和感を覚える瞳だ。
俺のことを真っすぐに見ていて――何もかも見透かされるような気がする。
要は、先生と同じ人外だ。
呆けたままその人を見返していると、先生の上機嫌な可愛い声が響く。
「シェル! ノックくらいしてくれればいいのに。キミは相変わらず恥ずかしがりやさんだな」
「すみません、ひぞれ。聞き覚えのない声が聞こえるものですから、緊張してしまって」
しれっとして言う顔には緊張の『き』の字も見当たらない。
「ふふ。人見知りもキミらしいが、照れ隠しも度が過ぎると勘違いされてしまうぞ?」
照れ隠しで『犬にも劣る』なんて罵倒されてたまるか。
「善処しますね」
初対面の相手になんだが、この人は絶対に善処しないと思う。
様々なツッコミが思い浮かんでは消えていく俺の意識を、先生が引き戻す。
「呪いを解ける人とはまさにこの人。神秘分類はスペル。魔法が専門で、呪いについてもプロフェッショナルだ」
「!」
『本題』ってそれか!
「初めまして。シュレミアと申します」
「はじめ、まして」
青いローブのフードを揺らすシュレミアさんは一つ頷き、先生を振り向く。
「ひぞれ。生徒をお借りしますね」
「ああ。頼む」
「……あの、先生。このひとって――」
「ひぞれは寝ていなさい」
「わかっているよ。あとはよろしくな、シェル」
助けは求める前に封殺され、俺はほぼ涙目になる。
先生の知り合い。しかも神秘の持ち主など、まともな人でないのは予想がつく。
病室を出て、電灯で明るい廊下をすたすたと歩くシュレミアさん。
短いながらもゆったりと光に揺れる、とても不思議な虹銀髪を追いかけて問う。
「あのう」
「何でしょう?」
「……男性ですか?」
ローブのつくりのせいで体つきが全くわからない。
「男ですよ」
またも男性か。
「ひぞれの友人の中には女性の神秘持ちもいます」
「お、お気遣いありがとうございます……?」
心を読まれている。
翰川先生は洞察力で、リーネアさんはたぶん直感だったが……この人はそれこそ魔法か?
「心を読む魔術なんて無駄なものは使いません」
「やっぱり俺の心見えてない?」
「そう思っていそうだから釘を刺しているだけです。乗ります。止まりなさい」
シュレミアさんの白い指は、一般利用者向けでない機材運搬用のエレベータのボタンを押している。ごうんごうんと音を立て、武骨なデザインの扉が開く。
利用許可は、
「許可を取っていなければ警報が鳴るに決まっています。少しは頭を働かせてください」
「ごめんなさい心先読みしないでください怖い‼」
がたがたと震える俺を引きずって、彼はエレベータの中に入る。
B2ボタンと閉ボタンを押せば密室の完成。
意気消沈する俺にシュレミアさんが問う。
「ひぞれからどのように聞きましたか?」
「犯人が居る呪いだって……でも、考えれば考えるほどよくわかんなかったんですよ……」
「あの子も迂遠な……」
ため息をついても、一応教えてくれるらしい。
「スペルはあなたが想像出来る『魔法』を司るものです。基本的な神秘ではあるので発現はしやすいのですが……それに比例する扱い難さがあります」
基本的な神秘なのに扱いは難しいとな。なんだか意外だ。
「検査で引っかかる子供の多くはスペルですので、リーネアの弟子は珍しい事例ですね」
「へー……」
彼女は検査の中で何をして合格したのだろう。
「パターンはテレビを点ける手法次第ですよ」
「だから読まないでください」
「? よくわかりませんが善処します」
シュレミアさんには『善処』と言えば許されると思っていそうな雰囲気がある。いや、間違いなく彼はそう思っている。
エレベータが地下二階に辿り着き、シュレミアさんが降りていく。
きょろきょろしながら俺も降りる。
「……俺に呪いをかけた子が、ここにいるんですか?」
「いなければわざわざ連れてこないと思うのですが」
「えっと、じゃあ。その子がスペルとやらを持ってたってことですか?」
「そうですね」
リーネアさんと違って塩辛対応ではないが、ただひたすら無味無臭。
こういう空気は苦手だ。打てば響く会話をしてくれる翰川先生が恋しい。
「立ち止まるのもなんですから、歩きながら話しましょう」
「あ、はい……」
声以外に彼から発される音がないのも不気味さを煽る。
俺のスニーカーでさえ足音を立てるのに、彼のブーツは摩擦音すらない。目の前にいる人こそ幽霊か何かではと疑ってしまいそうになる。
「とりあえず、スペルの扱い難さの理由を言いますね」
「え、あ、はい?」
「俺を幽霊だと考えるのも無理はありませんが、勝手に喋ります」
背筋を最高に粟立たせてくれるところが恐怖の原因なのに一切の忖度をしてくれない。
「スペルは感情に左右されやすい神秘。制御がとても難しいものです」
「どういうふうに?」
「感情を完全に制御するのは簡単だと思いますか」
「……無理じゃないですか?」
翰川先生を怒鳴りつけてしまった日のことを思い出す。改めて謝っても彼女は許してくれたが、何度思い出しても申し訳ない。
「はい。初めは操ることもままならず、癇癪一つで魔法が暴走することも多いです。強い意思があればその方向に進みやすいということでもありますが」
「……幽霊と同じ?」
「大抵の幽霊はスペルを軸に構成されていますね」
「なるほど」
スペルで出来ているから、強い感情があれば幽霊になっても何か為せるのか。
「死んだ人が必ず幽霊になるわけではありません。そんな仕組みがあったら、この世は幽霊でパンクしてしまいます」
町中に幽霊が密集する光景を思い浮かべてしまい、げんなりする。
「呪いも感情だけでは成立しません。本人の才能、性格……呪いをかけた状況によって、効果は様々です。あなたが知る呪いはなんでしょう?」
「丑の刻参り」
自分の中のイメージではこれくらいしかない。
これまでの会話から察するに、呪いとは魔法ど真ん中。つまり神秘そのものだ。
俺が知っているはずもない。
「夏の伝統行事ですね」
「あなたは日本をなんだと……?」
「冗談です」
ここまで、彼の表情は一回も変わっていない。
「そもそもですね。人を呪うほど殺したいのなら、木に釘を打つより後頭部を槌で打った方が速いと思いませんか? 余計なリスクを負うよりは、『相手を殺して自分も果てよう』と決意した方が効率的です」
「効率って何だっけ……」
「人を呪わば穴二つです。そういうことはあまりしない方がいいのですよ」
「あまり?」
距離感が全く掴めないせいで、つっこんで聞いていいのかも悩む。
それきり、しばらく無言で歩いていった。
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