どきどき☆ドライビング2

 風景がおかしい。

 札幌市内に、道も整備されていない山奥などなかったはずだ。俺が知らないだけだと言われればそれまでだが、にしたって道が荒れている。

 俺は後部座席で息をひそめながら、運転中の金髪顔面ピアスと、助手席に座る刈上げそり込みのチンピラを見ていた。刈上げの方は、リーネアさんが居なくなったあとにワンボックスの運転席から降りてきて、こちらに移ってきたチンピラだ。

 彼らは何事か会話しているが、ところどころしか聞き取れない。

「……べーよ……んで、轢い……」

「…いって……だろ。いきなり、んだから……」

 ところどころでも、彼らが仲違いしかけていることと、刈上げが人を轢いてしまったことが伝わってくる。罪を背負わず逃げようとしていることが伝わってくる。

 現実感など得られない奇妙な場所で考える。

 ここがもし過去を俺に見せているのなら。刈上げが、娘さんを取り返そうと車に縋りついたおじさんを引きずりながら逃げた。振り落とされた遺体を顧みることもなくこの車内にいる。

 どうにもならない現況で責任転嫁する姿は見るに堪えない醜悪さ。

 自らの卑劣さに背を向ける彼らを見て、状況は違えど自分もこうだったと思うと心が痛い。

 トランクの取っ手を握りしめる俺の姿はミラーに移っていない。

 トランクだけ、少し取っ手の浮いた状態で転がって見える。

「……」

 恐怖であがる息を抑え、考える。

 リーネアさんは幽霊を成仏させると言った。

 このまま、なすすべなく、車と共に聞いたままの結末を迎えろということではないはずだ。

 ならば何をすべきなのか。

 居ないもののように取り扱われることを信じて、無理やり低く作った囁き声を出す。

「あのー」

 二人そろって思い切り肩を跳ねさせた。良かった。聞こえている。

 後部座席を何度も振り返っている様子から、俺が二人に見えていないともわかった。

 先ほどからなんとなくわかってはいるのだが、それでも怖いものは怖い。

「いま車の下に居まして」

「……んだよ、に」

 俺が幽霊に触れられたとしても、成人男性二人を何とか出来るとは思わない。

 ここに本来居るはずだった翰川先生も同じだろう。体質からしてまともに体力のないあの人がここからどうするのか。俺は頭が悪いのでわからない。

 ならば俺は俺らしくヤケクソ。何をしたらいいかわからないし、絶体絶命なので捨て鉢だ。

 俺は知りもしないおじさんの意思を想像で借りて怒りを発散する最低野郎でいい。

「娘がそこにいるはずなんですが……ドアを開けていただけませんか……?」

 チンピラ二人は、『ひっ』とか何とか言っているが、車を止める気配はない。むしろ見えない何かを振り切ろうと加速させた。

(……止まれないよな、そりゃ)

 引きずりだというのなら目撃者がいるだろうし、通報はとっくにされている。

 恐怖が消えてハイになってきた頭で考える。

 二人は運転中だというのに小競り合いを始めてしまった。殴る、叩く、蹴る。金髪は運転中なので分が悪い。激昂した金髪ピアスが、ハンドルを離して刈上げの首を絞めた。

「っ……!」

 車がぐわんと揺れる。うめき声。びくびくと痙攣し始める手足。

 見ていられずに目を背け、トランクの取っ手を強く握りこむ。

「……」

 何も、聞こえなくなった。

 トランクに伏せていた顔を上げて前方を見る。

 動かなくなった刈上げの体が薄れ――消えていく。

「な、んで?」

 残った金髪ピアスが『俺は悪くない』と呟いてハンドルを握り続けている。

 何が悪くないんだ。首を絞めたのはお前以外の誰でもないのに。

 そこまで考えたところで吐き気がした。チンピラの片割れが消えてしまった理由を考えて、自分が原因だということに思い至って――やはり取っ手を握りこんで耐える。

 ごめんよ女の子。俺みたいな得体の知れない奴が触って。

「ふ、ぐ」

 吐き気を飲み下し、体を無理やり起き上がらせる。

 もう煽る手段は使えない。煽り続けたとしても、チンピラが車を止める可能性より、山道に入ったこの車が転げ落ちる可能性の方が高い。

 どうしよう。どうしたらいい?

 このままでは女の子もおじさんも報われない。

(成仏させるって、言ってた。成仏)

 このまま進んでしまえば、車は斜面を転がり落ちる。

 ただの二の舞――悲劇の繰り返しになってしまう。

「二度も、やっちゃダメだ……!」

 チンピラに関しては同情のしようがない。

 だが、この中に居るのは何の罪もない女の子なのだ。無為に見捨てていいはずがない。

 せめてトランクだけでも外に。

 立ち上がろうとすると車が大きく跳ねてよろける。太い枝を踏んだらしい。

 かなりのスピードを出しているせいか、車体の浮きが大きい。

「……」

 トランクを自分の体の傍に引き寄せる。

 後部座席のドアはスライド式。これだけ速度を出している車だ。ロックさえ外してしまえば一気に開くだろう。トランクを放り出すわけにいかないから、抱えたまま飛び降りる。

 息を整え、『もうどうにでもなれ』とドアハンドルに手を触れた。

 ――ドアが透ける。

「ひっ」

 貫通しそうになった指を慌てて引き抜く。壁の向こうのぬるりとした感触が気持ち悪くて、トランクを改めて掴み直す。

 完全に、万事休すだ。

 全身から力が抜けたそのとき――ピシィ! と鋭い音が響く。

「⁉」

 見ると、チンピラの首に矢のように細い弾丸が突き刺さっている。

 男は声も発せず奇妙に泡を吹いて痙攣し始めた。

「……あ……!」

 麻酔弾。狙撃――戦争。リーネアさんだ。

 フロントガラスの一部には小さな穴が開き、周囲に微細なひび割れを起こしている。どこから撃ったか知らないが、姿も見えない距離から当てたとなると信じられない技量だ。

「って、このままどうすんだ‼」

 運転手がこれで車がまともに走れるわけがない。麻酔で変に力が入ってアクセルが踏みっぱなしにでもなったのか、速度があがっている。

 運転席にしがみつきチンピラを押しのけようとして――しかし透ける。

「くっそ、マジで邪魔だな……!」

 感触が何もないのでホログラムのような気がしてきたが、そのホログラムには車の運転という余計な機能がついている。

 『せめて横に倒れろ』という願いが通じてか、チンピラが助手席の方へ倒れた。

 アクセルから足が離れて速度上昇が止まる。

「チャンス!」

 透けるチンピラとドッキングしているという悲しい事実は頭から押しのけ、足でペダルを確かめていると、どこからか電話の音が鳴った。

「……?」

 カーステレオに電話マークが表示されている。

 スタンバイ表示ののち、何のボタンも押さないまま通話が繋がる。

『光太‼』

「なんすか⁉」

 リーネアさんの声に反射的に怒鳴り返す。説明もなしに置いて行かれた恨みも込みだ。

『その世界は、そこのチンピラが自分の記憶から作り出してる‼』

「意味わかんないです‼」

『じゃあ終わってから説明する! お前、車運転したことあるか⁉』

「免許も持ってませんが⁉」

 無免許運転で悪路をこうして真っ直ぐ走れていることも奇跡だと思える。ほぼ岩に近い石を踏んで跳ねる度にぞっとする。

『車ってのは、ハンドルとアクセルブレーキだけで思うままなんて乗り物じゃねえ! そこは念頭に入れろ!』

「わかってますけど、止まらないんですよ‼」

『止まるより真っ直ぐ走ること考えろ! 下手に道外れたら他の世界に行きかねない‼』

「っ……わ、わかりました!」

『運転手はどうだ⁉』

「めちゃくちゃ痙攣してます! 凄い気持ち悪い‼」

『悪い! 弾間違えた!』

「それ聞かされてどうしたらいいんすかね⁉」

 何度ペダルを押し込んでもブレーキが効かない。下り坂でスピードが増していく。

 咄嗟に、エンジンを切ろうと鍵に手を伸ばす。

『鍵抜くなハンドル利かなくなるぞ‼』

 俺の行いを予見していたかのようなタイミングだ。ぞわりとする。

 無策無謀はやめにして、足りない知識を補うために質問をする。

「ブレーキ利かない! ……サイドブレーキ? そういうのでなんとかなりますか⁉」

『サイドは引いたらカーアクションみたいになる! 免許取ってからやれ!』

「取ってもやんねーよ何のアドバイスだああああ‼」

 チンピラが透けて心底邪魔な運転席に目を凝らす。速度メーターが下がってくれない。

 後部座席と運転席とでは体感速度が全く違う。焦る視界に英数字が並ぶレバーを見つけた。

「ギアは⁉」

『2に落とせ。ボタン押しこんでレバー引けばいい!』

「了解っす! ……で、リーネアさんは何間違えたんです⁉」

『麻酔と毒で間違えてたごめん!』

「聞かなきゃよかった‼」

『でも、チンピラが消滅してすぐ世界が閉じるとかねえから安心しとけ!』

「説明不足過ぎない⁉」

 子供を殺して連れ去る奴と一蓮托生とは聞いていない。それは凄く嫌なんですけども!

『友達が寄越してきたのと間違えたんだよ‼ あの野郎絶対わざとだ‼』

「逆ギレやめてもらえませんか‼」

 しばし不毛な怒鳴り合いを続ける。

 俺は恐怖で途切れそうな意識を、怒鳴ることによって無理やり繋いでいる状態だった。

「……って、い……うか。サイレンも鳴ってるんですけど!」

 唸るような音と瞬く赤い光――パトカーまで再現しているなど思わなかった。背後から『止まりなさい』というくぐもった声が聞こえたが、止まれたらとっくに止まっている。

『ペダルブレーキは踏み続けたら効かなくなることがある。坂道だと特にそうだ』

「先に言って⁉」

 忠告がすべて後手に回っている。

『いやお前通信始まる前から踏みまくってたから……』

「ちなみにこれ、走り抜けたら死なずに戻れるとかは⁉」

『あったら、俺がわざわざ電話すると思うか?』

「思わない……だよなあ、そうだよなあ……!」

 頼みの綱のリーネアさんは変わらず冷酷。車はハンドル以外、何も言うことを聞いてくれない。俺の味方はハンドルと後部座席のトランクだけだ。

 こうしている間にも、この車は坂道を下っている。

 何でこんな依頼を受けてしまったんだろう。知らぬ間に命まで懸けさせられて。

 そもそも、翰川先生とリーネアさんが頼んでこなければ、今頃は休日を満喫していたのだ。

 学校も連日で疲れていたのに、わざわざ貴重な余暇を潰してまでもやる緊急性が見当たらないし、俺がしなきゃならないことじゃない。先生が回復してからの方がずっと確実だ。

 いや、違う。

「……………………」

 ――受けたのは俺の意思だ。

 他の誰でもない俺が未来を選択し、結果としてここでハンドルを握っている。

 神秘に溢れたこの世界の半分以下も知ることができなくても、俺は知らない場所へ行ける。

 現に、今だって、縁もゆかりもない幽霊たちが作ったこの世界にまで来た。

 自分で選んでここに居るのだ。

 人のせいにしてばかりで現実に背を向けるから惨めなのだ。

 ついさっき、見せられたばかりじゃないか。

「……っ!」

 頬を手で思い切り叩く。痛い。手も頬も痛い。

 痛いということは生きていて、ここから帰らなければならない。

 力を振り絞って生きねばならない。

 自らに言い聞かせ、ハンドルをきっちりと握り直す。

「ふ――……」

 深呼吸を繰り返し、錯綜する思考を現実に向ける。

 ついでに顔を上げた。何をしても悪あがきでしかないのなら、せめて前を見据えるべきだ。

 いつの間にか、足元で痙攣していた幽霊はいなくなっていた。

 やはり見計らったようにリーネアさんがステレオの向こうで声を発する。

『落ち着いたか?』

「……たぶん」

 おそらく彼は、俺の精神状態を見抜いて怒鳴り合いに付き合ってくれていた。

 彼は感情が平坦なのではない。戦場にいたからこそ、感情の操縦が上手いのだ。

「でも、怖いです」

『怖いのが普通だろ』

 苦笑するような気配で言葉を続ける。

『異常事態を怖いと思えるのって、意外と幸せだよ』

「……身に沁みますね」

『終わりが近い。幽霊が居なくても結末まではもつ。もうハンドル離すなよ』

 なんとなくわかってきたことだが――この車は止まらない。

 幽霊の強い思いが焦げ付いたのがこの世界なら、きっと、強い思いが生まれて消えた瞬間しか、事態を変化させられるポイントはない。

 後部座席に乗せたままのトランクには、少女の幽霊が居るのだろうか?

『振り返るな。……走り切れ。どうせミラーも見てらんねえだろ』

「…………。リーネアさん、割と優しいですよね」

 刺々しさと無機質さのせいで見え辛いが、彼には彼の優しさがある。

 でなければ三崎さんが彼を兄の如く慕う理由がない。

『うるせえ』

 とことん塩対応のリーネアさんに、聞いておきたいことがあった。

「なんで、たかが引きずりって言ったんですか?」

 運転してみてわかったのだが、車というものは案外と怖い。速度も質量も人や自転車とは比べ物にならないほど大きいし、これで誰か轢いてしまうことを想像するだけで恐ろしい。

 軽自動車でこれなのに、あのワンボックスで轢いたとなれば、どれほど恐ろしいだろう。

 決して『たかが』などと表現していい重さじゃない。

『さっきのは……口が過ぎた。こっち戦車とか装甲車とか一般道走ってないもんな』

 ツッコミは入れない。

『……俺の世界基準だと誰かに殺されれば「同じことをしてやる」になるんだが。こっちはそうじゃない。誰もかれも、平和な場所で生きてる一般人だから……死への恐怖の方が勝る』

「確かに、そうでしょうけど……」

『恐怖に勝る未練がなきゃ幽霊に成れない。死んでも死にきれないときだ。……てっきり、チンピラ二人をバラすつもりで幽霊になったのかと思ってたんだよ。こっちの世界の一般人にしちゃガッツのあるおっさんだなあと』

 発想がデフォルトで戦争。

『ひぞれに聞いたら違ったから、ちょっとびっくりした』

 内容に反して言葉のチョイスが無邪気で、そのギャップがよりいっそうの恐怖を煽る。

『もちろん、引きずったクソどもは頭ぶち割って吊るしたいと思うよ』

「…………。リーネアさんの世界、幽霊いるんですか?」

『「死んだなら死んでろ」って素で言うやつらばかりだし、いないんじゃね?』

 リーネアさんなら幽霊の心さえ折りそうだ。

 彼には悪いが、自分がこの世界に生まれて良かったと実感する。

『まあ俺の話はどうでもいいだろ。……パトカーはついてきてるか? ランプと音でわかる範囲でいい。無理に見渡そうとするなよ』

「ん……? い、や。後ろは……誰もいないです」

 以前はパトランプの赤色が車内に入り込んできていたはずだが、今は何もない。

「遠巻きにいるような……」

『ふうん。じゃあ、そろそろだ』

 がくんっ、と。車が浮いた。内臓が締め付けられるような衝撃を受け、ハンドルを離すまいと強く握りこむ。

 少しの滞空ののち着地した車は、さらに急になった道を走り始める。

「っ、おおおおお……⁉」

 視界の左手に赤茶色の削げた山肌が見えた。

 山肌としか聞いていなかったために甘く見ていた。これではほとんど崖だ。自然が偶然につくり出したとは信じがたい、しかしそうとしか思えない雄大な景色に、ふと見惚れる。

『真横向いたら頭吹っ飛ばすぞ』

 すぐに現実に引き戻されたが。

「済みません‼」

 左は崖、右は森。そして、正面は雑に積まれた土山が聳え立つ。

 あれに突っ込むことは出来ない。見ただけで粘土質の重みがわかる。

 《詰み》とは、こういう状況を言うのか。

 だが、諦めない。

 このまま土山に激突するとしても、潰れるのは運転席と助手席で済むだろう。後部座席が無事なら結末は変わる。女の子の遺体はせめて無事なままにしてやれる。

 俺が死ぬかどうかはわからないが、そうするしかない。どうせ止まれないのなら――

 覚悟したその時、リーネアさんが叫ぶ。

『光太‼』

「っはい⁉」

『逃走者は⁉』

 その問いに、俺は反射的に答えた。

「――左に逃げる‼」

 ハンドルを思い切り右に切る。ブレーキが嘘のように効き始め、速度が下がる。

 リーネアさんは『左へ逃げろ』とは言っていない。『右へ曲がって自分のために危険を避けろ』と言ったのだ。

 ――逃走者であったチンピラと同じ末路を辿らぬように。

 軽自動車が、赤いパトランプの透ける木々の隙間、その茂みに突っ込んでいく。

 頭からバリケードにぶち当たり、俺は薄黄色のエアクッションに包まれた。

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