戦争の人

 病院の駐車場で、目印のワンボックスにもたれる夕焼け髪の少年が待っていた。

 彼の前に立つのと同時に頭を下げる。

「済みませんでした」

 彼は嘆息しているが、許されるまで頭を上げるつもりはない。

「謝らなくていい。俺の方が言葉足らずだったし身勝手だった」

「謝りたいから謝ります。……事情を話そうにもできなかったんですよね?」

 見ず知らずの俺に先生の体質を話せるわけがない。本人が黙っているのなら尚更。

 三崎さんは先生を知っていたから彼女を気遣っていたのだ。

「…………。じゃあ、許す。顔上げろ」

「ありがとうございます」

「どういたしまして。鍵開いてるから入っていい」

「……お邪魔します」

 ごみ入れの袋やティッシュがぶらさがっているほかは装飾のない車内だった。

 彼は周囲をやたら綿密に確認してから運転席に乗り込み、発進準備をする。

「……ひぞれから伝言」

 車がゆっくりと動き出す。リーネアさんの運転は安全志向らしい。

「『キミに冒険をあげよう』だと。……俺がひぞれに頼んだことをお前に代理で頼みたいって言ってる。どうする?」

 翰川先生の言う『冒険』がちょっとしたお手伝い程度で済むとは思えないが……

「……それは俺にもできることですか?」

「ひぞれが適役だったけど、お前でも悪くない」

 俺は、彼を見据えて答えた。

「やります。……何か、償いたいから」

「ん。じゃあ、明日また連絡するよ。ありがとな」

 リーネアさんは振り向かないまま俺に言う。

「……いろいろと、悪かった」

「俺が馬鹿で現実逃避野郎だっただけです」

 本当にアホだった。あの時の俺は世界で一番アホだったと思う。

「色々言ってくれて目が覚めました。……ありがとうございます」

「マゾか? キモいな」

「この空気で言っちゃうの?」

 叱られているうちが花という意味合いのつもりだったのだが。

「悪い。思ったこと言った」

 この人は天性のドSなのかもしれない。

「ところで。お前、どれくらいまでなら神秘について話していいんだ? 神秘分類までか?」

「細かくは試したことないんで……わかんないっすね」

 耳慣れない言葉だったが、神秘の種類のことを指すのだとはわかる。

「ふうん。……俺とケイの神秘分類はパターンだ」

 眠たくならない。

 彼も俺の様子を確認してから、また話し出す。

「パターンは神秘に干渉する神秘。直接モノにも干渉できる。まあこれはわかんなくていい。ひぞれはコード。物理法則の範囲内で自由な最高峰の神秘。法則を外れることもある」

「瞬間移動使えるのに科学なんですか?」

「外れることもって言ったろ。外しにくいとは言ってたけど」

「原理がわかんないなあ……」

「俺も説明してもらったけど、俺もよくわかんなかった。あいつ、天才なんだよな」

「ですか」

「うん。俺は凡人だから、ひぞれに教えてもらってばっかりだ。お前と同じ」

 親近感が少し嬉しい。

「あとは、なんだ。……ああ、そうだ。コードは機械と相性がいい神秘だから、家電の開発も携わってる。札幌に来たのはその関連の講演」

「仕事って講演だったんですね」

「終わった日に俺が教えたアイス買おうとして、お前を見つけて世話焼いてたんだ。講演前も徹夜してたくせに。……内臓をコードで補ってるから調子崩したらああなる。足もそうだ」

 少しだけ言い淀みながら申し訳なさそうにする。

「お前のせいじゃなくて、ひぞれが勝手に無理した。さっきのは俺のやつあたり。悪かった」

「……いえ」

 話しているうちに思い出した疑問を口にする。

「翰川先生に滅茶苦茶に追いかけられたんですけど、あれもコードなんですか?」

 瞬間移動はともかく、俺の居場所を超ピンポイントで定めて追いかけてきていた。

「……あいつが使っただろう瞬間移動はコードだけど、お前を追いかけたのは頭の演算」

 演算って、コンピュータとかの計算能力だよな……乱数の計算もそれでやったのかも。

「何でか、逃走者ってやつは左に曲がって逃げる癖がある」

「そうなんですか」

「焦れば焦る程にな。撃ち殺したいってときに逃げられたら、左の方に向かって銃口を――」

「聞きたくないです」

「そっか。あ、右に逃げる奴もいるぞ。統計的に左に曲がるやつが多いってだけで――」

「説明続行しないでください‼」

「?」

 この人は口調の温度が変わらない。無邪気過ぎて恐ろしい。

「他は『逃げるにしても全く知らない道は通らないだろう』とか『ランドマークのあるルートを無意識に選ぶだろう』とか。そんな感じじゃねえの」

「えげつねー……」

「むしろ、お前が何度も逃げ続けたからあいつの興味引いたっぽい。良かったな」

「良かっ……良かったのか……どうか」

「良かっただろ」

「え」

「俺もあいつと会えて良かったから」

 ……俺『も』――か。

「頭おかしいし正論ばっかで気持ち悪いけど、いいやつだ」

 首肯した俺をミラー越しに見て、リーネアさんが笑う。

「あんまり気にすんなよ。会ったら慇懃無礼に接してやれ。そのほうが喜ぶ」

「さりげに酷いこと言われた気がしますけど、わかりました」

「あとな。あいつの口癖。『了解』っていうの。研究所にいたとき指示を分析しきってて『了承の言葉以外要らない』って言われてたらしい」

 洞察力はそこで磨かれたのか。

「ひぞれには完全記憶があるから……超高速の演算能力と莫大なメモリを積んでるコンピュータみたいな扱いだった」

 翰川先生が自分の能力を『性能』と呼ぶ理由が、わかった気がした。

「そのせいで質問には反射的に答えるし……機械操るのもコードの本領なんだが、頭の中身を電気信号に割り切るってなれば出来るやつは少ねえ。感情と思考が数字になるんだ。傍から聞けばぞっとする話」

「……」

「ひぞれは自分の感情に自信がないから、お前みたいな普通の頭のやつと喋れて喜んでたよ。いろいろ喋ってやってくれ。ケイも紹介したけど……あいつもかなり天然だし」

 リーネアさんとまともに話せていることに達成感がある。

「あの、三崎さんから聞いたんですけど」

「内容次第で舌引き抜く」

 ダメだった。

「……リーネアさんの出身の世界のことです」

「ふうん」

 彼の口癖は『ふうん』のようだ。

「戦争が起こってたんですか?」

「……ああ。あちこちで、規模に関わらずな」

 俺は、知識としてしか戦争を知らない。

「お前が思うようなものじゃない。いつでもどこでも銃声は鳴り響くけど、戦ってる奴ら以外は平和な場所に居られる。戦場とそうでないとこの落差が激しい」

「……よくわからないです」

「わかんなくていいよ、あんな世界」

「へっ?」

「ガキが銃の使い方学んでるし、かち合う挨拶代わりに9ミリ弾が飛ぶ世界だ。何もよろしくねえ。こっちは平和でいい」

「あ、えっと……」

「良かったな、平和で。凄く幸せなことだ」

「……はい」

 常人と一線を画す実感を伴う言葉の重みは、安全圏にいた民衆でなく、戦場を駆けた兵だからこそのものだとわかる。

「平和なんだから、この世界を見ればいい。ひぞれから聞いたけど、寝るだけだろ? 呪いが解けようが解けなかろうが、お前もどこかに行けばいい」

「でも……あの。空港で倒れたこととかあって」

「お前はひぞれと知り合っただろ。あいつ、国家間クラスの長距離転移もできる。解けなかったときは甘えてもいいと思うよ。一度面倒見るって決めたからにはそのつもりらしいし」

「!」

「知らないことばかりなら楽しんで知っていけ。視界が開けるのは面白いだろ?」

「……できますかね、俺に」

 正直、今でも怖い。

「何をしようとお前次第だ。……家着いた。またな」

「はい」

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