分かり合えなくとも通じ合える
車の中で、リーネアはひぞれに問いかける。
「起きてるだろ?」
答えは口からでなく、カーナビのディスプレイからテキストで返ってきた。
『まあ一応』
「光太になんか言われたか?」
『何も?』
微細なノイズが画面に走った。
「……ふうん」
彼女の不調の原因は大抵がストレス。しかし、彼女が言わないのなら、自分が口出しするまでもないことなのだ。彼女は自分などよりはるかに強いのだから。
リーネアはそう判断し、話を切り替える。
「病院、異種族の受け入れがあるところに行く。時間かかるけどいいか?」
異種族の扱いが出来る病院は決して多くない。
リーネアは、ここが北海道では大都市の部類である札幌で良かったと思う。ほかでは対応してもらえなかったかもしれない。
『ありがとう』
「ん。じゃあ、目閉じて寝てろ」
『さびしい。しりとりしよう。「り」から。キミの名前からだな!』
「…………。次の赤信号で眠らせてやるよ」
『ごめんなさい寝ます』
――*――
とっぷりと日の暮れた頃、リーネアさんからのメールにあった市立病院に自転車を走らせ、受付で先生の名前を伝えた。
看護師が見舞許可証を首から提げてくれたのと同時に、お礼を言って駆けだす。
走らないでくださいと注意されたが、足が止まらなかった。
ノックをする前に電動スライドドアが開く。
「こんばんは、光太」
ベッドのリクライニングで上体を起こす先生は、やはり笑った。
「……診断、は、した?」
「ああ、心配してくれたのか? 平気だよ。少し休めば落ち着くから」
柔らかい笑顔で俺に来客用のパイプ椅子を勧めたが、応じない俺を見て笑みを消す。
「僕の正体を調べたんだな」
「……何でわかんのか、わかんないよ……心見えてんのかよ……」
笑顔が消えたとき、怒られると思った。
「……キミは優しいなあ。知っても態度が変わらないとは」
失望の言葉を投げると思ったのに、先生はまた笑った。嬉しそうに笑う。
「どこが……? 俺はこんななのに」
調べた先生の過去は何も優しくなかった。
先生は、ある研究施設で、多種多様な異種族の遺伝子と細胞をかき集めて、何が何だかわからないほど混じりあって出来た生命体として生まれた。
30年近くもその施設に閉じ込められていて、足と内臓機能のいくつかをそこで失った。
俺などとは比べ物にならないほど、彼女はずっと閉じた世界にいたのだ。
「…………あの、さ」
考えもせずに言葉を投げつけた。思いつくだけの嫌味を言った。
そのうちのいくつかが彼女の過去に直に触れるものとわかったとき、数時間前の自分を殴り倒したくなった。俺のしたことは、事故や災害の被害者に向かって『保険金たんまりもらえて羨ましい』と嘲笑うような、相手の立場も気持ちも考えない卑劣な愚行だった。
何て言ったらいいのかわからない。調べたことへの謝罪もできない。言葉が見つからない。
俺を見て困った顔をする先生は、静かに口を開く。
「僕がキミに興味を持ったのはスーパーでのことだ。……キミは僕の容姿を見て驚きはしてもアイスを譲らなかった。逆に、一方的に持っていこうともしなかった」
「……そんなの、普通だろ……」
「僕は見た目にもわかりやすい人外。そんな僕が、売り場に一つしかないアイスを自分と同じく欲しているとわかったら、大抵の人は関わり合いを避けて諦める」
あの日は、暑さと苛立ちもあって『意地でもアイスを手に入れてやる』と決意していた。それこそ相手が先生でなく、どこぞの国の王様だったとしても譲らなかったと思う。
……譲ればよかったのに何をしていたんだ俺は。
「または、人外だから話も通じないだろうと……話し合おうともしないかだ」
異質な存在を前にしたとき、集団は容易く残酷になれる。『森山が居ると話も出来ない』と、友人の輪から弾かれ続けた中学時代を思い出した。
「その点、キミはとても常識的だった。アイスを均等に分けるのが難しいと判断して、落としどころを探ってくれた。じゃんけんも提案してくれたな。……嬉しかったんだ」
「……あんなので?」
あんなの、屁理屈をこね合う子どもの喧嘩だ。
「見ず知らずの他人と喧嘩が出来たんだ。この僕が。3百年近く生きようと人に馴染めない僕が、名前も知らない他人と対等に話している! ……友人と話すのともまた違う。たったそれだけでどれほど嬉しかったと思う?」
「だから。そんなの普通だって」
「普通にしてくれたのはキミだ。他の人外の友人に自慢したいくらい嬉しかった」
なんでこんなに喜んでくれるのかわからない。俺が言ったことを覚えていないのか。
……そう思えば、彼女は何も忘れられないのだった。
傷ついたことも悲しさもすべて飲み込んで俺を許してくれている。
「そこまでなら『札幌に素晴らしい若者が居た』という土産話で終わる。だが、キミがパスケースを落としたのも何かの縁かと思い、学生証を頼りに住基バンクから情報を抜いた。そしてキミの家を訪れたんだ」
さりげに恐ろしいこと言ってないかこの人。
「キミに逃げられて、『電話すべきだったか』と悩んだ」
「そこじゃない。電話来ても怖いだけだ」
「さすがにわかっているよ。ICだけなら交番にでも届けるが、学生証は手元になければ困るだろう? 再発行は痛い出費だ。追いかけて届けようと思った」
「え、待っ……一人暮らしだっていつからわかってた?」
「住基バンクに同居者の名前がない。高校生で一人暮らしとは努力家だと感心したものだ。苦労もしているのだろうと、思った」
「……」
もはや何も言うまい。
「そのあとすぐに、アイスのくだりでキミの持病に気づいた」
「はやいなあ……」
最初から何もかも見透かされて気遣われていたのだと思うと、神秘への嫉妬であれこれ無礼な真似をした自分が青くて腹立たしい。
「神秘に触れられないことを鑑みても、キミはあまりにも無知。何が条件で眠ってしまうのか割り出そうにも……眠らせてしまったときのリスクが大きいから試しづらいんだな」
俺をじっと見る彼女の瞳は柔らかく微笑んでいる。
無性に泣きたくなったが、何とか耐えた。
「……病院でそれなら、学校ではもっと悲惨だろう。生徒一人に割ける時間は限られるから、腫物を扱うようにしかできない。眠ってしまうのは莫大なストレスで恐怖でもあったはずだ」
「何でわかるの?」
「人は知ることで不安を解消する生き物だ。怖いに決まっている。やつあたりでもしてなきゃやってられない……といったところかな?」
「……先生、人の心読めてるよな?」
「できないよ。僕の神秘で心は量れない」
先生は人の心が読めないのに、読んだのと同じ結論を出している。
洞察力あってのものだが、何より――彼女の優しさがあってのものだともわかる。
「キミが学内で特別扱いを許されているのは、周りの人たちの罪悪感もあると思う。どうにかしてやりたいのに出来ないから、キミの慇懃無礼な振る舞いをただ受け止めている」
「……あ」
「大きなハンデを持つキミが、せめて日々を楽しんでくれるように」
俺はとっくに見放されていてもおかしくなかったのに、周りの人たちはいつだって寛大で優しかった。憐れみや恩情なんかでそうしているわけではなかったのだ。
人々の優しさにわかって背を向けた自分を、やっと直視出来た。
「お礼はきちんと言った方がいいよ。キミは言っていそうだが」
「…………。うん」
一歩下がる。
「ありがとうございます、翰川先生」
頭を下げてお礼を言う。
三秒経って、ゆっくりと頭を上げた。
先生はぽかんとしてからまた笑う。格別に綺麗だ。
「……はは、そうか。どういたしまして、光太」
「調べたりなんかして、ごめん」
「構わない。その記事に公開許可を出しているのは、人工的な種族にも目を向けてほしいからだ。調べてくれたなら、ある意味目的は達成されているんだよ」
「それでも。俺は先生に聞くべきだった」
卑怯な真似をしないで、きちんと正面から質問するべきだった。
「俺が謝りたいから謝る」
彼女は驚いたように目を見開いて、それからにんまりと悪戯っぽく笑った。
どうしよう、凄い可愛い。
「では許す」
「ありがとう」
少しの沈黙ののち、どちらからともなく苦笑した。
俺は心地よい静けさを極力乱さぬよう静かに口を開く。
「先生」
記事を読んで気になったことを、言葉を選びながら質問する。
「……先生は。この世界のこと、どう思ってる?」
俺にとってはどこにも行けないこの世界は、この人の目にどう映っているのか。
先生の過去を知った時から聞いてみたかった。
「ずっと恋い焦がれてきた。……愛おしくてたまらない」
黄色の瞳は、星のような煌めきをたたえて揺らめく。
「窓もなく、すべてが白い施設の中で、色があるのは情操教育に用意された本だけだった」
それを用意した人は、情操教育という言葉の意味を千回は繰り返し読んで咀嚼するべきだ。
「歴代の人工生命の中で、僕はとても性能が良かった。僕の神秘……コードを制御しきれるだけの記憶力と演算能力があった。あの中ではまだ人間扱いされていた方かな。……図鑑や絵本で見る海は、ほんとうはどれくらい青いんだろう? 白い雪は、僕の暮らした風景と同じ白なのか? それとも、もっと白いのか……考えれば考えるほど興味は尽きなかった。写真や挿絵の入った本を何度も読み返したよ」
この人は、どれほどの想いを俺たち人間の『当たり前』に寄せてきたんだろう。
「完全記憶とはいえ、僕にとっては本をめくることさえ常に新鮮だ」
何か言葉をかけられればいいのに、俺は黙って相槌を打つしかできない。
「頭の中に描いていた摩擦にまつわる数式たちと、自分の指紋が正確に機能していることの証明。何度しても飽きないものだから周りに取り上げられたがな」
困ったときによく見せる笑顔で言うが、それを笑えるようになるまでどれほど長い時間がかかったかは想像に難くない。彼女は薄まらない記憶を抱えているのだから。
「しかし、それでめげる僕ではない。周囲を観察し、どうにかして外の風景を拝めはしないかと試行錯誤をした。考えることは大切だと本にも書いてあったからな」
「逃げようとは、思わなかった?」
「脱走は不可能だったから。周りに『何でもいいから風景写真がほしい』と言ってみた」
「……もらえたの?」
「いや。そんな暇があったら知識を蓄え、問題解決にいそしめと」
もう何を聞いても辛い過去が答えとして返ってくる気がする。
「……問題解決の報酬として、写真を要求できないかとも考えた。憐れな立場からの懇願などでなく、対等な立場でのギブアンドテイクならばと。それも断られたな」
「気になるんだけど、なんで断られてるんだ? こう言っちゃ、なんだけど。たかが写真じゃないか。言い方は悪いけど写真くらいで脱出の手立てになんて――」
「『取引をするなんて人間の振りをしているようで苛立つ』からだそうだよ」
「………………………………………………」
思考が真っ白に染まった俺に、先生は聞かれたことについて述べる。
「そう言われてはどうしようもなくてな。しばらくは、記憶の中の写真で我慢していた」
「……そっか」
「ああ」
「もちろん、いまここに居るなら、脱出はしたんだよね」
「うむ! ……助けてくれた人は、僕の人生の中で最も大切な人だ」
「……旦那さん?」
「うん」
「良かったね」
「! ああ。そうだな」
「…………。本当に、良かった」
先生の過去が幸せに繋がっていたのなら良かった。
よくわからない感情でへたりこむ俺を見て、先生が苦笑した。
「……光太」
「?」
「理不尽な環境から脱出した先達として言うよ。ずっと同じ場所にいたままでは、どこまで行けるかわからないじゃないか。何で決めつける?」
目が痛い。泣きそうだ。
「呪いが解けても自分が変わらないのかは、解けてから悩め。自分の人間性を判断するのは、それからでも遅くない」
「……どこまで、お見通しなんだか」
「ふふ。……ぶっちゃけると、僕が家庭教師を名乗り出たのは、解けそうなパズルがあって興味を惹かれたからだ。境遇に思い至ったのは解いている最中だな」
この鮮烈な好奇心は、きっと妖精の血が入っているに違いない。
「僕はキミの病気の原因を知っている」
もはや驚きはしなかった。『やっぱりか』と納得する自分がいるだけだ。
「意地でもキミを籠の外へ出す。僕は、そのときにキミがどうするのかが見たい」
「籠開けられても、出る度胸ないかもしれませんよ」
「出すと言っているだろう。キミの意思なんて知らない」
「……怖いですね」
籠から出てすぐ地面に落ちるかもしれないのに。
「だってキミは、恐ろしく窮屈な世界に居るのに生きている。苛立ちと絶望に立ち向かう気概がある。きっと面白いことを為す大物だ」
「すっげー過大評価ですね」
今度はなんだか笑えてきた。
「いいじゃないか。僕はたまにならギャンブルも好きだ」
とことんまで信じてくれるのが嬉しい。
「ヒントだ。一つ。それは病気ではなく犯人の居る呪いだ。二つ。キミにとって些細な行いで、キミに救われている人は他にもきっと居る。小学校の頃を思い出してみたらどうだ?」
つまりは、神秘を持つ誰かが俺に魔法をかけたということになる。
……だが、『救われた』という人が善意でこんな魔法をかけるのか?
ヒントにならないヒントをもらって悩んでみたが、ここで思い浮かぶようなら、自分一人でもとっくに謎は解けている。
「……覚えてないよ、そんなの」
「それもそうか」
くすりと笑う先生が可愛い。
「……そろそろ暗くなる。帰ったほうがいい」
「先生。ありがとう。お大事に」
「どういたしまして。リーネアが居るから送ってもらっておいで」
「う、うん……」
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