合流

 私が朝起きてリビングに向かうと、先生はソファで木柄のライフルを手入れしていた。

「……おはようございます、先生」

「おはよう」

「何かいいことありました?」

 彼がこのライフルを手入れするときは、大抵は機嫌が悪いか良いかの両極端だ。

「んー。友達と会える」

 良いときで良かった。

「お前も連れてくって約束したけど、午前までなら予定ないよな?」

「はい。前に言ってたお友達ですよね?」

「うん」

 手入れを終えたのか、丁寧に拭き上げて組み立て始める。

「……どした?」

 顔を上げることもなく私に問いかける。

「なんだか、大切そうだなって。……誰かからもらったの?」

「母さんと。父さん」

「そう、なんですね……」

 先生はお姉さんと二人暮らしだったと聞いていたが、ご両親が居たのか。

「さっさと顔洗って着替えて来い」

「はい」

 今日は先生のお友達に会いに行く日だ。



  ――*――

「光太。キミの住所を僕の友人に教えたから、そろそろ来ると思う」

「何さっくりと個人情報ぶちまけてんだ」

 パズルゲームの対戦中、翰川先生が妙なことを言うものだから豪快にミスをしてしまった。

 俺の側の画面に透明な邪魔ものがドカドカ降り注ぐ。

「ぶちまけてなどいない。僕の友人を甘く見るなよ。彼がその気になればキミの個人情報なんて筒抜けだ」

「それ誇るとこ、じゃっ……って嘘、王冠出た⁉」

 早く起きたものだから先生に微積分について習っていたのだが、集中力が切れてからというもの、かれこれ2時間も熱中している。

 未だに季節感がない服装の先生は、異様に高い連鎖力と対応力を見せつけてくる。

 対人で二桁の連鎖を出してくるとは思わなかった。

「あー……くっそう。ハンデかけても負けか……」

「他のルールにするか?」

 何を選ぼうと、どうせ俺が負けるのはわかっている。

「先生、色と落ちる場所予測してなかった?」

 高速でランダム積みをし始めて勝負を捨てたのかと思ったら、最終的には俺の見たことのない手法で大連鎖である。

 俺の落とした邪魔ものさえも大いに利用したあれは、ゲーム内の動きを読み切っていなければ不可能だった。

「粗方のパズルゲーはバージョンごとに乱数解析をして覚えてしまった」

「人間T○Sかよ……」

「それでも、ある友人には一度もまともに勝てたことがない」

「どんな化け物?」

「参考書の青ペンの人だよ」

「嘘っ⁉」

 ゲームを掌握しているに等しい怪物にどうやって勝てるというのか。

 恐れおののく俺に、先生は悔しそうに重ねて言う。

「……『これの何が楽しいんですか』とか言ってるくせに、僕の積む連鎖を絶妙なタイミングで完封するんだ。彼と初めて対戦して負けたとき、相手はそれが初戦だった」

「え、なにそれ、こわ……やばこわ……」

 この世には、なんとも恐ろしい存在がいるらしい。

「……青ペンさんって、数学専門? 天才?」

「主にそうだな。世界中の人間が自分と同じくらい賢いと思い込んでいる困った天才だ」

「えぇー……凄い傲慢そうな人だなあ」

「普段は癒しキャラだぞ。恥ずかしがり屋だから緊張してきつい物言いもしてしまうが、慣れれば微笑ましいもの。とても和む」

 先生の人物評価があてになる気がしない。

 試しに、今日これから会うことになるであろう三崎さんの『先生』について聞いてみた。

「無邪気で優しい人だ。面倒見もいいし、頼れる友人だぞ」

 誰がこれを『戦争の擬人化』と同居人に言わしめた人の紹介文だと結び付けられるのか。

「…………。うん、そっかあ。優しいんだね。とっても良かった」

 『頭の良さと引き換えにネジ吹っ飛んじゃったのかな』と思いつつ、友人について自慢げに紹介してくれる先生を生暖かい目で見守る。

 内容を気にせず声と見た目だけなら可愛い。

 しばらく無の心で先生の可愛さを堪能しているうちに、インターホンが鳴った。

「はーい、今出まーす! ……先生、電源切っといてください」

「うむ」

 ドアに辿り着き鍵を開けようと――する前に勝手に鍵が開いた。

「ほへ?」

 間抜けな声を漏らす俺の前で、ドアが向こう側に開かれた。

 そこにはオレンジ髪の少年とボブカットの少女が立っている。

 三崎さんまでついてきているとは思わず驚く俺に、少年が舌打ち。

「……初めまして。邪魔するぞ」

 声変わり途中のような少年の声は不機嫌に低い。

 三崎さんは彼のジャケットを引っ張って小声で諫める。

「せ、先生っ。何で開くまで待たないんですか!」

「悪い、開けやすかった」

 この鍵への認識の怪しさ。どう考えても先生と同類だ。

「これ土産」

「あ、どうも……いらっしゃい」

 少年からお菓子を渡され、会釈しつつ受け取る。

 包装もなくむき出しな箱には『World bacteria chocolate』と。

「……………………えっ」

 リアクションすべきかどうかで戸惑う俺に、三崎さんが頭を下げる。

「ごめんなさい、森山くん……先生ったら来る途中で機嫌悪くなって……」

「何か話したの?」

「森山くんといろいろなこと喋ったんだよって言っただけで」

 それしかないならそれが原因だとしか……!

 俺たちと同年代くらいの年齢の、またも人外っぽい美貌の少年は、人の家だというのにずかずかと入り込んで翰川先生の傍で止まった。

 チョコを冷蔵庫にしまう俺に問う。

「椅子ねえの?」

「いいじゃないですか。座布団あるんだから」

「安い組み立てのでいいから、買え。箱みたいなやつでもいい」

「……何なんですか、いきなり」

 座布団で事足りるのだから、椅子が数千円で買えるとしても家計に回したいのだ。

「いいじゃないか、リーネア。彼は不法侵入をした僕にも礼を尽くしてくれた人だぞ」

「もう不法侵入してんのかよ」

「座布団も日本らしくて好きだよ」

「……どうせそう言うとは思ってたけどさ」

 ため息をついてから、少年が俺を振り向く。

「挨拶遅れた。俺はリーネア・ヴァラセピス。三崎京の教導役で、ひぞれの友達」

「森山光太です。三崎さんと同学年の――」

「知ってるから喋るな」

「この人のどこらへんが無邪気で優しいのかな?」

 怒りを抑えて問いかける俺に、座布団に座る先生がのんびりのほほんと答える。

「距離感を探っているだけだから気にしないでやってくれ」

「……先生からの人物紹介はあてにしないことにするよ」

 リーネアさんが『そこだけは同感』と死んだ目で呟く。何か嫌な思い出があるらしい。

 おろおろしていた三崎さんは、しかし意を決したように握りこぶしを作って、翰川先生の傍に駆け寄った。

「初めまして! 三崎京と申します!」

「これはご丁寧に。翰川緋叛だ。会えて嬉しいよ」

 先生が差し出した手を三崎さんが握る。

「こちらこそ。でも、あの……大丈夫ですか?」

 彼女は先生を心配しているようだが、何についてなのだろう。

「お手伝いが必要な時は、先生経由ででも言ってくださいね!」

「リーネアから聞いた通り、真面目で優しい子なんだな」

 先生が朗らかに応答する姿からは、容姿と職業に似合う上品さと優しさが垣間見える。

 俺との会話の時もそうしてくれたら嬉しいのだが……

「申し出はありがたい。でも、時間は自分のために使った方がいい。それも、有意義に」

「……はい。でも、気にしないで言ってください」

「ありがとう。そう言ってくれるのなら、連絡先は教えておこう」

「ありがとうございます!」

「そちらからも、何かあれば気軽にメールしてくれていい」

 美少女と美女が和気藹々としているのは心が和む。

 友人として翰川先生を知り、保護者として三崎さんに気を配っているリーネアさんは、二人が繋がりを持つことについてどうするのかと目を向けたが……彼は興味なさそうに座布団にあぐらをかいている。

「あの、いいんですか?」

「いいよ。ひぞれ優しいし。学問についてだけなら真面目だしな」

 顔を凝視していると目を逸らされた。

「真面目で。優しいんだよ。……かなりずれてるけど」

「……そっすね……」

「や……なんか、悪いな……」

 奇妙な共感を得る。

「……言うまでもないかもしれないけど。ひぞれに変な手出ししたら、あいつの周りに八つ裂きにされるからやめとけよ? しないとは思うけどさ」

「心打ち砕かれまくったんで大丈夫です」

 美人がシャワーに入っていると思うとそわそわしてしまったりもしたが、彼女はあがるなりどこからともなく出したパソコンに向き合って俺に見向きもしなかった。

 無視しているというよりは本当に眼中になかった。

 その集中こそが人外の証明のように感じて、容姿の美しさを不気味さが上回った。

「お前無神経っぽいし仕方ねえだろ」

「無造作に人傷つけるのやめてください」

「ケイとふたりきりになったって時点でぶっ殺してえんだよ。察しろ」

「察したくなかった。大体察してたけど察したくなかった!」

 リーネアさんは三崎さんに対して重度の疑似シスコン。確定してしまった。

「海キャンプは男女混ざってたからいいが、それでさえ隙あらば『なんとかふたりきりに』って俺に頼んでくるんだぞ。沈めようかと思った」

「ぽんぽん殺意滾らせてますけども、あなたはそれで大丈夫な人なんですか?」

「あ? 大丈夫に決まってんだろ。素人なんて秒で仕留めてやるよ」

「……さすがにそれは、妄想が過ぎ――」

 ぐるりと視界が回った。

 そのまま座布団に背を叩きつけられ、肺から空気が絞り出される。

「――がっ」

 リーネアさんは俺の目にぴたりとボールペンの切っ先を向けた。

「妄想かどうか試すか?」

「………………。む、無理です……」

 何がどうなって叩きつけられたのか全くわからなかった。

 わかったのは、この人が本気になれば俺など一瞬で殺せるということだけ。

「遠慮するなよ。ボールペンだって立派な凶器になるんだ」

「すみません、ほんとすみません。っていうかお二人助けて‼」

 談笑する二人が振り向き、それぞれがほんわかと言う。

「リーネア。光太が可哀想だからやめてやれ」

「先生、森山くんは家主さんだよ?」

 どちらも期待できそうにない。

 俺の精神は『泣いて命乞いをするしかない』とまで追い詰められていたが、リーネアさんは舌打ちしつつどいてくれた。

「……悪かったな」

「いえ……俺も調子乗りました……」

「でも椅子は買え。早急に」

「まだ言うんですか。座布団だっていいものですよ?」

「……はー」

 またため息だ。なぜそんなに椅子を買わせたがる。

「……もういいや。悪いが、使っていい部屋あるか? ひぞれと話したい」

「物置でいいなら突き当りの右側の部屋に」

 奥の引き戸の部屋を指さす。

「お前んちの物あるなら入ったら邪魔じゃないか?」

「日当たりかなんなのか、物置が冷房要らずの涼しさなんですよ。話し合いには便利です」

「……じゃあ、借りる。ありがとな」

 どこまでも傍若無人ながら、お礼を言えることに少し安心した。

「お前はトイレにでもこもってろ」

 直後にこのセリフである。

「三崎さんには誓って何もしませんから!」

「…………。ケイ、何かあったらこっちにメールしろ」

「変に過保護なんだから……大丈夫です。森山くんはいい人だし同じ学校の人だよ」

「リーネア、過保護はよくない。彼女だって人を見る目がないわけでもないのだろうに」

 翰川先生が苦笑しつつ立ち上がる。

「でも……」

「仕事の話だろう。早く済ませよう」

 そのままリーネアさんの背をぐいぐい押していってくれた。なんとも頼もしい。

 二人の姿が物置に消えてから、俺は小声で三崎さんに問う。

「……リーネアさんって、何者?」

「え。……あんまり信じてもらえないかもだけど、異世界から来た人」

「本当に?」

 人外らしい異質さがある一方、話す言葉は流暢な日本語だった。

 しかし、並大抵で到達できない次元の技術を持っているのも事実だ。

「えーと……この世界とよく似てる、特殊なところからなんだ。こっちの世界より戦争が起きやすいから、それでああいう感じに……」

 だから『戦争が服を着て歩いている』のか。

「三崎さんのこと、妹みたいに大切なんだね」

「……うん。実は、お兄ちゃんって呼んでみたいなんて思ってて」

「三崎さん一人っ子?」

「だからこそだよ。……家族仲が良くなかったから、試しに呼んでみたくて」

「呼んでみれば? 喜ぶよ」

「そ、そうかな?」

「そうだよ」

 すでに彼女を溺愛しているから、きっと喜ぶと思う。

「……じゃあ、頑張るよ」

 三崎さんがむんと腕を伸ばす。可愛い。

「そのときは計画の相談に乗ってほしいな」

「サプライズなら女子のお友達に頼んだ方がいいよ」

「森山くん、面白いこと思いつきそうだから」

 高く買ってくれるのは嬉しいが、俺は赤点補講野郎だ。

「翰川先生みたいな人に興味持たれるって、凄いと思う」

「俺の持病に興味持っただけだよ。……翰川先生のこと知ってるの?」

「寛光大学の教授さんだよね? 有名だよ。先生ったら名前教えてくれなくて……知ってたらあんなに警戒しなかったのに」

「……確かに頭いいけど、犯罪を犯罪と認識してないよ」

「うちの先生もそうだから、それくらい大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないよ?」

 人間は異常な状況にさらされても適応することがあると聞くが、彼女は手遅れなのか?

「あの、聞きづらいけど、暴力とか振るわれてない……?」

「? あはは、そんな人じゃないよ。優しいんだから」

 三崎さんには優しいらしい。良かった。

「先生も、夏に寛光に行って授業するんだ。……東京行っちゃうのが寂しいなあ」

「……リーネアさんのこと大好きなんだ?」

「うん。私の恩人なんだよ」

 それから、俺が受けているのが講習でなく補講であると言ったら、やはりさすがの学年トップ。出題範囲に沿って、出そうな問題をピックアップして伝えてくれた。

 感謝しつつメモを取る最中に、気になっていた質問をする。

「なんでスポドリ好きなの?」

 飲み物に希望を聞いてもそれで、今も俺の出したスポドリを飲んでいる。

「ジョギングが趣味で……水分補給にあれこれ選んでるうちに中毒になっちゃったんだよね」

「公園とか走るの?」

「そうそう。本屋さんに行くついでに遠回りしてみたりとかも。気分転換になるよ」

「健康的だね。何のスポドリが好きとかある?」

「粉末スポドリ。自分で濃さを調整できるのが良いと思う」

「ふ、粉末。陸上で使って以来だ」

 いっそ懐かしい。

「森山くん、陸上部だったんだよね」

「うん。三崎さんは?」

「私はバイトしてたから帰宅部」

「あの成績でバイトもしてたのか。凄いね」

 しばらく話しているうちに、物置からリーネアさんが出て来た。

「ケイ、帰るぞ」

「あ、はい。……森山くん、また学校でね」

 遅れて物置から出て来た先生と二人で、二人を見送る。

 鍵を外から掛けられるかと予想したものの、そんなことはなかった。

「リーネアは鍵開けは得意だが、鍵なしで鍵をかけるのは苦手なのだ」

「文章おかしくない?」

「不器用で可愛いところもあるだろう?」

「その目は節穴?」

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