それぞれの夕時

「ん。美味かった」

 私の作った炒飯を食べ終え、先生が呟く。

「ほんとですか。良かった」

「料理、上達したな」

 先生とここで暮らし始めた頃の私は料理など何一つできなかった。家でも料理などさせてもらえなかった。

 それがいまでは自由に料理やお菓子を作ることができる。先生は、私が『知りたい』と言えば洗濯や掃除の仕方も教えてくれた。押さえつけられることのない生活が心地よい。

「先生のお陰ですよ」

「頑張ったから身についてるんだろ」

「……ありがとう」

「ん。皿、俺が洗うわ」

「お願いします」

 体調が悪くない限り、お皿は調理をしていない方が洗う。これは、共同生活の中で生まれた無言のルールだった。

「今日の学校はどうだった? 講習とやらが有意義な内容かどうか知らんけど」

「有意義……だと思います。自分一人だと煮詰まっちゃうから」

 リーネア先生は学校に通ったことがないのだそう。

 学校というものがたまに気になるようで、私にそういう質問をしてくることがある。

「楽しいのか?」

「楽しいときもあれば、そうじゃないときもあるよ」

「ふうん」

「先生は通ってみたいと思わなかったんですか?」

「面倒臭そうだったから嫌だった」

 異種族であるためか、とても変わり者だ。

 なんとなくいたたまれないこの空気を換えようと思い、話を変える。

「あ、そうだ。今日、帰りが遅くなっちゃった理由なんですけど……」

「別に気にしてねえよ」

「……ありがとう」

 鷹揚に対応してもらえると心が安らぐ。学校まで迎えに来てくれたのも凄く嬉しかった。

「今日の私は、珍しく男子の友達とおしゃべりしたんです」

 ピキィンッ!

 鋭い音がしたと思ったら、先生が手に持っているお皿にヒビが入っていた。

「せ、先生⁉ 大丈夫? ケガは……!」

「……大丈夫」

 慌てて駆け寄ろうとすると、手で制止された。

 台所に常備してある新聞紙を割れたお皿にきっちりと巻いていく。

「そいつ、同じクラスか?」

「え。違うクラス、ですけど……」

「…………。ふうん」

「最初は不真面目そうに見えたのに、なんとなく真面目で……」

「ふうん」

「不思議な人だったな」

「ふうん」

「それでね。先生のお友達と知り合いみたいで」

「ふうん」

「……先生、ちゃんと聞いてる?」

「聞いてる。超聞いてる」



  ――*――

 翰川先生はお風呂タイム。ボディソープなどのお風呂用品は持参していたので、貸しているのは風呂場自体だけだ。

 しかしながら、女性がお風呂に入っていると思うと……なんとなく緊張する。

 勉強の休憩にアイスを食べていると、ガラッと洗面所の引き戸が開かれた。

「速っ⁉」

 まだ15分しか経っていない。

 パジャマ姿の翰川先生が、ほんのり赤らんだ顔で俺に告げる。

「うむ。いい風呂だった。ありがとう!」

 お風呂上がりの翰川先生は、腰の半ばまで届く海色の髪の毛をタオルで拭いていた。シャンプーのとても甘い匂いがする。

 このとき初めて彼女から生物感を感じ取れた。

「ど、どういたしまして……」

 やはりパジャマも長袖長ズボン。

 彼女はタオルで器用に髪を巻くや否や、ペンギンバッグから引き出したパソコンを開き、何やら作業を始めた。

 脇目もふらずに真剣に。

「…………」

 集中とは段階的なものだ。スイッチを押したように一気に切り替わるものではない。

 俺はずっとそう思ってきたが……どうやら異種族にとっては違うらしい。

 連打に近いタイピング音がやんだとき、んーっと伸びをする。

「終わった!」

「そ、そっすか」

 彼女はパソコンをバッグに入れて俺のそばにやってくる。手元のノートを見下ろした。

「わからないことがあったら、質問してくれていいんだぞ?」

「いやあ……あの」

 近い。匂いが甘い。どぎまぎし過ぎて質問できる気がしない。

「今日はなんだか疲れたし、もう寝ちゃおっかなー。なんて……」

 『受験生が甘いことを言うな』と言われるかと思ったが、彼女は納得して頷いてくれる。

「適度な休息も大切なことだな! 休むべき時に休むのは受験生に必須のスキルだ」

「ど、どうも。……また明日よろしくお願いします」

「明日は補講がないのか?」

「あ、はい。明日以降、4日間ほど空き日です」

 学校内の設備点検と壁の補修をやるのだそうで、生徒は校舎から閉め出しをくらっている。

「そうか……」

 妙な沈黙は気になるものの、疲れているのは本当だ。

 必要な伝達事項だけ伝えて寝よう。

「あ、ドライヤー、洗面所に――」

 にゅるん!

 ペンギンバッグから、俺の家にあるものより数段豪華なドライヤーが登場した。

「……」

「なんだろうか、光太?」

「何でもないっす……」

 A4用紙さえ折り曲げなければ入らないようなバッグから、物体がサイズ差を無視して飛び出すのは、なかなか不可解な構図だ。

「コンセント、テーブルの傍の延長コード使ってください」

「ありがとう」

 いそいそとドライヤーをかけ始める。おそらくは神秘の技術が使われた超静音性能。

 ほぼ無音の風に煽られ、彼女の青い髪の毛がたなびく。

 あっという間に髪を乾かし終えた翰川先生に水を差し出すと、お礼を言ってこくこくと飲み始めた。あ、なんか可愛い……

 このままだと脳内で先生の観察日記を書く羽目になってしまうので、自室へ向かう。

「おやすみなさい、先生」

「申し訳ないが、眠る前に。僕はどこで寝ればいい?」

「そういえば……」

 茶の間がありキッチンがあり、とりあえずの一部屋は俺の自室。残るは物置か空き部屋なわけだが……お客さんに物置に泊まらせるわけにはいかない。

「布団敷くから、ちょっと待ってて」

 押し入れにあった新品のシーツとタオルケット、夏用毛布を引っ張り出し、空き部屋にセッティングしていく。

 先生はペンギンバッグから羊デザインの枕を引っ張り出してうきうきと布団を待っている。

 超かわいい。なんだか、先生が妙に可愛く感じられる。

 非常識な人だと分かってもこう感じられるのは、あまりに美しすぎて麻痺してきたからかもしれない。

「……そのバッグ、どういう仕組みなの?」

 彼女が手を突っ込むとにゅるりと物体が引き出される不思議なバッグ。

「ぺんぎんさんバッグはな。妖精さんが僕のために作ってくれた素敵なバッグだ。異空間に繋がっているから、ありとあらゆる僕の所有物を引っ張り出せる」

「ごめんよくわかんない」

 聞きたいことが多いせいで質問が精査しきれない。

 迷っているうちに、翰川先生が小さなあくびをする。

「んむ……すまない」

「あ……眠くなるんだ」

「僕は睡眠が必要な種族だから、眠くもなる……」

 翰川先生はしぱしぱとレモン色の目を瞬かせ、僕に頭を下げる。

「大人として申し訳ないが……今日はこのまま眠らせてほしい」

「……わかった。ごめん」

「ん。また明日」

「また明日」

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