少年と元真面目さん
玄関でスニーカーを履く私を見て、先生が首を傾げた。
「どこか行くのか?」
「……学校だよ。受験生向けの講習受けるんです」
制服を着ているのだから、学校に行くことは一目でわかるのではないだろうか。
やはりわからないのが先生なので答えておく。
「じゅけん。そっか。いってらっしゃい」
「はい、行ってきます。受けてるの現文だけなので、帰りは早いと思います」
「わかった」
手を振る先生に振り返し、玄関を出た。
私の住むマンションは学校から徒歩で10分。のんびり歩いても間に合う。
日差しが照り付ける道を、日陰を選びつつゆっくり進む。
「……森山光太」
彼は私と同じ平沢北高校に通っている。
店で見かけて、校内でも見かけたことがあるとようやく気付いたくらいの、極薄い繫がり。
名前は元陸上部の友達が知っていたのを教えてもらった。
彼が先生のご友人と知り合いだというのならば、彼にご友人について聞き、ご友人がどんな人か知っておきたい。自分の胃の健康のために。
昼以降の講習を受けていてくれれば会える可能性は高いのだが……
(そんなにうまくはいかないよね)
会うのは休み明けになりそうだと考えていると、あっという間に校門に辿り着いた。学生証を忘れていない限り、認証は一瞬で終わる。
正面玄関で靴を履き替える。
夏休みということもあって、上靴と外靴の比はまばらだ。
そのまま2階の職員室へと向かう。癖でノックをしかけたが、夏は風通りを目的に戸が開け放たれていることを思い出す。
手前で一礼し、中に入る。
「失礼しま――」
「ほんとなんです! 人外のお姉さんに追いかけられて、命の危機を感じたんです‼」
「言い訳すんならもっとマシなもん考えて来いや‼」
森山光太くんと数学の笹谷先生が、よくわからない口論をしていた。
「――す……」
まさかこんな状況で再会するとは考えていなかったから、入り口で固まってしまった。そんな私には気づかず、二人の口論は続く。
「夜にアイス奪い合って、朝に俺が早い者勝ちで買いに行ったんです。そのあと家に戻ったら家の前にそのお姉さんがいてですね」
「妄想も大概にしろ」
「妄想じゃないんですよ! これが!」
「力強く主張するな‼」
「住所教えてないんですよ? なのになんで辿り着いてるのかなってことですよね? で、怖くてチャリで逃げて、逃げまくって。気づいたらもう遅刻の時間で。駅でようやく気付いて先生たちからの電話を受けたんです」
「無視したのか」
「じゃなくて! 電話に出られないほど逼迫した状況だってことなんです。誓って嘘じゃありません!」
ここで『先生の友人がホラー映画に登場できそうな技術を有している』という、非常にありがたくない情報が入ってきた。《類友》の確率が高まっていく。
「何で途中で電話切った?」
「駅中だったんで、通話スペースに移動したんです!」
「そんで? そのお姉さんはなんでお前を追いかけたんだ?」
「俺が落としたパスケースを届けに!」
「いい人じゃないか」
笹谷先生がそう言うと森山くんの威勢が萎む。
「…………。はい、いい人です……」
「用件を聞けば良かったろ? なんで聞かなかった?」
「いや、誰だって怖いですって! 他人の住所を即行で突き止めた人ですよ⁉」
森山くんの恐怖もむべなるかな。
だが、笹谷先生は話から読み取れる状況を冷静に指摘していく。森山くんはその度にうっとたじろくので旗色が悪いのは彼だ。
「先生は家に押し入った強盗にも『何の用事ですか』って聞けるんですか?」
「強盗は大袈裟だな」
「先生みたいなゴリラを倒そうとする人なんて――暴力反対です‼」
彼からしたら、不審者に付きまとわれて反射的に逃げてしまったようなもの。
同情の余地はあるのに、なぜか彼は自分から退路を塞いで袋小路に逃げ込んでいる。こめかみをぐりぐり押されて悶絶していた。
「先生はお前の頭の血流をよくしてやってるんだ。ははは、こいつめ」
「世が世なら体罰で訴えられてますよ!」
タイミングを完璧に間違えた。ぼうっとしてなければ怒声を聞き逃さなかったはずだ。
「お前が大層怖い思いをしたのはわかった。警察に駆け込まなかったのは? 環状の駅に行くまでなら、交番がいくつかあったろ」
「俺が休もうと立ち止まった瞬間に現れるんですってばー‼ もう何も考えらんないくらい必死で逃げてたってのを何でわかってくんないんですか⁉」
笹谷先生が、叱責したい云々よりも、きちんとした理由を説明してほしいと思っているだろうことは私も感じている。そのスタンスが森山くんのノリと噛み合わないだけで。
あの空気に割り込んでいく度胸はない。
どうしようかと悩んでいると、私に気づいた土田先生が手招きしてくる。私の差し出す三つ折りのA4用紙を見て、こっそりと問う。
「……決まったのか?」
「はい。待ってもらって、本当にありがとうございました」
私の傍には両親が居らず、リーネア先生が保護者代わりだ。
親と電話越しに話し合った果てに、サインは結局彼がしてくれた。
「いいってことよ。……ところでだな、三崎」
土田先生の指は、職員室中の視線を集める二人のうち、森山くんに向いている。
「お前、あいつ知ってるか?」
「まあ、はい」
昨日見かけた人物だ。
「教師として情けないが、頭を下げて頼む。なんとか仲裁してやってくれないか?」
「無理だと思いますけども……?」
というか、なぜ一介の生徒で部外者でしかない私に頼むのか。
土田先生は『お前なら何とか出来ると思うんだがなあ』とぼりぼりとヒゲをかいていた。
……一応、なんとかできそうな気はする。
森山くんの足元の紙袋には、昨日の雑貨屋のロゴが入っているのだから。
「……あの」
ツボ押しをやめた笹谷先生に呼びかける。
「異種族の人なら、理解も示せ……ん。どうした、三崎?」
「森山くん、嘘ついてないと思いますよ」
「何でそう言える?」
「追いかけられたかどうかのくだりはわからないんですけれども、昨日、森山くんのこと駅上の雑貨店で見かけてますから。ほら、本屋と喫茶と一緒になったところです」
「……5階のか?」
「そうです」
私の方を森山くんが救いを見るような目で見て来た。
「紙袋も雑貨屋さんのですし、勢いで乗り切ろうとするなら必要ないと思います」
あの不思議な言い訳はさすがにありえないと思うが、彼を見かけたのは事実。
「森山。袋の中、見てもいいか?」
「……いいですよ……」
よろよろと紙袋を開けて取り出したのは、クッキーとコーヒーの詰め合わせだ。
隙間に入っていた手紙が飛び出し、床に落ちる前に笹谷先生が掴む。
「ん。手紙入ってるな? 書いたのか?」
森山くんは『俺の手紙じゃないです』と否定してから、手紙の表面を見て何とも形容しがたい表情をする。手紙を読んだ笹谷先生と二言三言交わしたのち、森山くんがこちらにやってきて私の腕を引っ張った。
そのままずんずんと外に進む。
「ちょ、え、な、なに⁉ 私なにかした⁉」
職員室を出る手前でなんとか『失礼します』を告げ、廊下でようやく解放された。
森山くんは、晴れ晴れとした表情で勢いよく頭を下げる。
「ありがとう!」
「……ど、どういたしまして」
彼の笑顔は爽やかな解放感に満ち溢れている。お辞儀の勢いといい、さすが元陸上部。
「いやあ、もうどうなることかと! 俺もう言い訳使いすぎて信用ゼロなんだよね!」
「何にそんなに言い訳してるの……?」
「フェンスよじ登ったこととか」
『校門行ったんじゃ間に合わなくてさー』とぼやくが、あっけらかんと言い放つことではないと思う。その行為にどんな言い訳をしたのか疑問だ。
「まあ、俺については別にいいや。凄く助かったよ。ありがとう」
深々と頭を下げる森山くんは不真面目なようで誠実な人らしい。
先ほどの口論を見て悩んでいたが、やはり聞きたいことを聞くことにする。
「あの、質問したいことがあるんだけれども。時間あるかい?」
彼は探偵風に顎に手を当て、私を指さして言う。
「2組の特進だよね?」
「あ、うん。そうなんだけど……」
私は国公立受験クラスに所属している。俗称は特進クラス。
「んー……悪い。どっかで顔合わせたっけ……?」
「……うん。でももう、時間ないか」
時計は昼1時を過ぎている。弁当を食べるとなると話している暇はない。
「何教科受けてるの?」
「数学だけ。2時半には終わる。そっちは?」
「私も同じ時間に終わるよ」
しばらく考え込んでから、探偵のポーズをやめた。
「なんか用事があるんだよな? あとでまた話しよう。終わったら2組行くわ」
「! ありがとう」
「いいよいいよ。俺も聞きたいことあったから」
「え。あ、う、うん?」
「じゃあ、お互い頑張ろうぜってことで、またあとで!」
職員室の口論を聞く限り、ふざけて煙に巻こうとする厄介な人という印象だったのだが、一対一になるとそうでもなかった。
手を振って別れた私はふと考える。
「……男子と喋るの久しぶりだ」
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