第三章 先生
少年とお姉さん、のち先生
「ふんふふーん……♪」
上機嫌に鼻歌を歌うお姉さん。
「……」
頬杖をついて彼女を見守るしかない俺。
多大なる紆余曲折ののち、なぜかお姉さんを自宅に呼び込む羽目になった。
超絶的な美人であるので嬉しいは嬉しいものの、それ以前に美貌が俺の家と不釣り合い極まりない。濃淡を楽しむ水墨画に原色でペンキをぶちまけているかのような光景だった。
……まあ、水墨画というほど高尚な家でもないが。
「何で俺ん家来るんすかね……」
「アイスを分けるためだ。ミリグラム単位で均等にしてさしあげよう」
相変わらず声まで可愛いお姉さんは、アイスパフェを次々と皿に分けていく。
手提げバッグから引っ張り出したのだが、アイスを包むドームが出てくるまでバッグに膨らみは一切なかった。
質量保存の法則を無視しているということは、あのバッグは神秘が使われた製品。空しくなるので仕組みは聞かない。
「それにだな。今から話そうとしていることは、キミにとっては重要なプライバシーだろう? 外でみだりに話すものではないよ」
その気遣いは住所を突き止める前に発揮してほしかった。
「……はー……」
このお姉さんの名前は《かんかわひぞれ》というらしい。漢字で書くと『翰川緋叛』。
自己紹介を聞いてからかわれているのかと思ったが、名刺を見ろと言われて見てみたら本名だった。いい大人が酔狂で虚偽の名刺を持ちはしまい。
名前の隣の(282)は年齢だそうだ。やはり人外である。
容器奥底の白玉をぽいぽいと皿に出して、容器の方を俺に押し付けて来た。
「……均等かどうか測ってもいい?」
「もちろんだ。やり直すのもやぶさかではないぞっ」
電子天秤目当てに台所の引き出しを探る。
「お姉さんさあ」
「その呼び名はあまり慣れない」
「……翰川さんでどう?」
「それも嫌だ」
「えー……注文多いなこの犯罪者……」
電子はかりを見つけて茶の間のテーブルに戻る。
起動を待っている間、なんとはなしにお姉さんの名刺を見る。
『寛光大学数理学部物理学科教授』。
目立たぬフォントサイズで表示されているのはそんな肩書だった。
彼女を凝視する。
「なんだ?」
「……いや……うん」
この肩書は信じがたいが真実なのだろう。
極めて信じがたいが。虚偽ではないのだろう。
「じゃあ、先生でどうかな?」
「! おお。呼ばれ慣れている。それがいいな」
単純に喜ぶお姉さん――先生はコーヒーを飲んで幸せそうだ。
軽やかな起動音が鳴る。容器質量を引くボタンを押してから、皿を電子天秤に置いた。
114.48グラムと表示されたのを確認。リセットして容器の方と取り換える。
「…………」
114.48グラムと表示された。
取り分けるとき、アイスは少なからずスプーンにくっついたはずだ。だというのに小数点以下のずれもない。
何とも言えない気持ち悪さを感じながらも、先生に質問する。
「……先生は、俺が神秘の仕組みがわからないって、どうしてわかったんだ?」
ここに来るまで、質問しても先のようにプライバシーへの配慮ではぐらかされてしまった。
「アイスが融けないことをキミが知らなかったから」
「近所でしかアイスを買ったことがないものでしてね」
融けるような距離を持ち歩いたことがないのだ。
「どこから説明すればいいものか。……キミの好奇心が強いほうだと見越して言うよ。神秘の存在は小さな頃から、おもちゃや家電製品で知っていたと思うんだ」
「空飛ぶホウキとか?」
駅構内で女の子が遊んでいたおもちゃは、俺が幼稚園児だった頃に発売されている。
「うーん……開発秘話を話してもいいんだが……キミの条件がどのラインまでなのかわからなくては難しいな。話を脱線させるのもなんだし、申し訳ないがこのまま続けるよ」
俺が頷くと、翰川先生はのんびりと話し始める。
「10歳を迎えたとき、全世界の子どもは漏れなく検査を受ける。小学5年の後期に入ってからは、神秘の仕組みについて学ぶ授業も本格的に始まる」
「全世界……世界中でってことですか?」
「うん。授業の開始時期に関してはズレありだが、検査は必ず10歳時点で行われるよ」
「……そうなんだ」
「中高では内容が本格化する。で、キミの学生証からは高校生であることがわかった」
先生が『融ける前に食べろ』とアイスを指さす。数年ぶりの味は冷たく甘くて美味しい。
「このアイスを保管していたケースには、時間を停める機能なんてついていない。キミの家の冷蔵庫と同じ手法でアイスを冷やしている」
冷蔵庫の冷凍室は昔ながらの手法そのままで、神秘など使われていない。
「なのにケースを開けていたら、中身のアイスが融けてしまう。そう思って、キミに融けるから閉めろと言った。フェイントのつもりでな。……反省してます……」
強奪する気満々かよ。……いや、もしかしたら俺が『半額で分けよう』と言ったら、了承していたのかもしれない。現実に均等にできているわけだし。
益体もない思考を振り払いつつ、改めて質問する。
「じゃあ何でアイスは融けてない? 1回ケースに戻してたよな?」
「冷蔵庫の隣に鎮座する、まさに時間停止で食べ物を保管できる装置を見てほしい」
言われて、電子レンジを十倍ほどゴツくしてサイズアップしたような装置を見た。限りなく新鮮に食材を保管できるので、現代では一家に一台必ず置かれている家電である。
「……あれが?」
「コンセントに繋いで電気で動かしているだろう?」
「そっすね」
「電気を神秘の力に変換して時間を止めていると思ってくれ。開発を重ねるうちに改良はしたが、かなり電力を喰うはずだ」
この人は神秘を使う製品の開発に携わっているのかもしれない。ちょいちょい気になる。
「うちの電気代のほとんどがあいつに消費されてる」
「時間停止は維持するのにエネルギーが要るからな。で、これだ」
アイスの入っていたドームと台座を掴んで俺に見せる。
裏、表、側面を順番に見せて問う。
「電池はあると思うか?」
「……ないっす」
少なくとも、時間を停めるパワーを発揮しそうな電池が収まるスペースは見当たらない。
「だろう。……面倒なので、直に秘密を見せることにするよ。ドライバーを借りる」
「どぞ」
マイナスドライバーを台座のプラ板の隙間に入れ込み、べきりと剥がす。
二層構造になっていたのを初めて知った。
すると、断面が隠れていた方の丸い板に、三原色を使って奇妙な模様が描かれているのが見えた。
「…………。魔法陣?」
左右対称でないようで対称なような、板に沿った円形のそれ。
見れば誰でも思い浮かべる言葉を呟くと先生が首肯する。
「直訳すると『私が包む氷が融けることはない』だ。アイスにぴったりだろう?」
神秘の根源を直に見ても眠たくならない。驚きや喜びよりも混乱に近い感情が沸き起こる。
三色の綺麗な魔法陣はやがて色あせ、黒ずみ――最後には消え去った。
「この魔法陣はレジを通すと有効化される。5時間くらいはもつよ。今のように、込められた魔法が力尽きたときに消えて……氷も解け始める」
「……なんで、眠くならないんだ?」
今のは、神秘の仕組みそのもののはずなのに。
「『赤は○○を示してうんぬん』だとか仕組みを解説したらダメなんだと思う。神秘自体は何ともないんだ。おもちゃを見て平気だったろう。……本当に、仕組みだけがダメなんだな」
「……」
その言葉に心が軋む。
「アイスに賞味期限はなく、時間停止で保管する必要もないが、常温に出たアイスは融ける。それを融けないままにしようと思えば、融かさないような魔法を使えたら便利じゃないか?」
便利といわれれば便利だが、感情が理解に追いつかない。
「アイスをケースに戻したのは、演技とかフェイントじゃなくて……」
「僕が横取りしたときは魔法陣が機能しておらず、出したままでは崩れてしまう。レジを通すと魔法が起動するんだ」
ピースが足りず未完成だったパズルが組み立てられていくような感覚と、目の前の人の頭脳にぞわぞわする。
「キミがアイスを渡してきたときの表情の変化も加味すれば、キミはこれを知らなかったと断定できる。納得したかな?」
「とっても……」
「良かった」
「でも、たったそれだけじゃ、結論まで辿り着けないと思う……」
あの時点までで彼女に伝わっていた情報は『森山光太は無知である』だけだ。
「言っても気持ち悪がらないか?」
「住所調べてる時点で引いてるけど?」
率直な感想を言ったら落ち込んでしまった。
「……わかったから。気持ち悪がらないから。気にしないでいいから」
「うん……了解した」
くるくる回していたマグカップを置いて、俺に向き直る。
「高校3年のキミは、小中高の教育がほぼ完了している状態。となると、身近な神秘の紹介で有能なこれを知らないのはおかしい。特に北海道は乳業が有名だから、ソフトクリームやアイスを融かさない魔法は小5のどこかで必ず習う。社会か国語だ」
秋になってすぐ持病が出たこともあって、知らなかった。
『受けてみたかった』と言ってしまいそうになるのを堪えるので、精一杯だ。
「神秘自体を知らないのかと考えた。だが、折り畳み自転車に疑問を抱いていなかったから違う。そもそも、いちいち思考停止していられる社会ではない。技術にまで進歩した神秘の存在を知ったら仕組みも知りたくなる。キミもそうだったと予想したが……あまりにも無知だ」
『無知なのは俺のせいじゃない』と言い返しはしない。中学では教師にからかわれるたびそうしていたが、もうそんな気力はない。
ないはずだと思っていたのに――胸をかきむしりたくなる焦燥が燻ぶっている。
永遠に見られないと思った神秘を直に見たからか。
心が浮き立つと同時に『どうせ無理だ』と喚く自分もいて、感情が処理しきれない。
「連綿と授業を受けたら何か一つは記憶に残るはずだ。それはやる気どうこうではない」
先生が俺の心のうちに切り込む。
「キミには神秘を踏み込んで知ることができない事情がある。命に直接関わるわけではないが努力でなんとか出来るわけでもない――例えば、仕組みに触れると眠ってしまう、だとか」
「――――……」
「当たりか?」
嬉しそうに笑うその顔は、悪魔のように美しい。
俺は『神秘の仕組みが分からない』とは言ったが、眠ってしまうとまでは言っていない。
得体の知れない彼女から後ずさると、先生ははっとして、座布団の上で姿勢を正した。
「すまない。……踏み込んだ」
「いや……なんか、こうも見抜かれると……ぞっとするなって思う」
「ごめんなさい……」
「……いいよ。中途半端に憐れんで言われるよりはいい」
いっそせいせいする。
俺は、ぱんっと音を立てて手を叩く。
「で。先生は。そんなわかりきったことを言うためにここに来たのかな?」
あまりに見抜かれたことで、『どうにでもなれ』という思いと、苛立ちのような感情が浮かんできている。治せもしないくせにと僻む自分を意識したのは久しぶりだ。
「学校の勉強、苦労しているだろう? 補講を受けているのだから」
軽い気持ちで事情を話すんじゃなかった。
「……‼」
一瞬、『あんたに何がわかる』と叫びそうになった。
どこぞの大学でお偉い教授をしている人。世界から弾かれたような俺と違って、この世界から祝福されたような天才。彼女の存在は神秘そのものだ。
俺が憧れて諦め、あがいては現実を突きつけてきた神秘を。この人は持っている。
そんな人が――手を差し伸べている。
『これを逃せばチャンスはない』と、なぜかそう感じた。
こちらを見る先生の表情は揺らがない。
「努力を踏みにじるような提案だとはわかっている。だが、僕のせいでキミは貴重な時間を無駄にしているし、キミの傷に塩を塗り込むような真似もした。その贖罪がしたい」
誠実さはときに残酷だ。
真っ直ぐに投げかけられる言葉が俺の胸に突き刺さっていく。
「とりあえずは、キミが補講をクリアできる程度に。どうかな?」
白い手がテーブルの上で伸ばされる。
半ば乱暴に、その手を掴んだ。
「お願いします、先生」
「無料の家庭教師とでも思ってくれ」
先生は柔らかく笑って手を離した。
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