真面目さんと戦争の人

 真面目さん。

 なんと端的に内面と外見を表したあだ名だろうか。

 眼鏡をかけて、外に出ないから色白で……いつも勉強をしている。聞いた誰もに同じような人物像を思い浮かばせるという点において、優秀なあだ名だ。名付けられた張本人の私は何も嬉しくないけれど。

 三崎みさきけいと本名で訂正しても呼ばれ続けたのは、かなり苦い思い出。

 都会と田舎の入り混じったこの地域で小学校から塾に通うことは珍しい。その珍しい部類に入っていたからか、親の『休み時間も勉強しろ』の言い付けを忠実に守っていたせいか……おそらく両方によって、入学直後にその名が贈呈されていた。

 私も小学生らしくはしゃいで遊んでみたかった。

 そうは思っても、言うたびに両親に怒鳴られれば次第に反抗する気力もなくなる。結果が出れば成績を値踏みされる。このまま生きていくのかと諦念を抱えて過ごしていた。

 しかし、今となってはそれも遠い過去に感じる。

「おい、ケイ。なんかこれくっつかねえんだけど。不良品か?」

 ――電子レンジの扉をぶらぶら振りつつ、台所で出迎えた少年のせいで。

 彼の背後のカウンターには扉の外れた電子レンジが鎮座している。

 言いことは二つ。

 まず一つ目は、うちの電子レンジはあんなにアバンギャルドなデザインをしていなかったということ。

 二つ目。正しい使用法に則った使い方をしない人に、不良品と罵る権利はないということ。

「金具がどっか行っちゃった」

 首を傾げる少年は、見るだけで異種族だとわかる容姿をしている。夕焼けのように鮮やかなオレンジの長髪と、雪に例えるのがふさわしい白い肌。宝石の輝きを持った赤い瞳。

 わざわざこんな描写をするからには顔だちも整っており、どんな表情も美しい。扉を不思議そうに眺める顔も、幼さの残る顔立ちのお陰で“無邪気”という表現がふさわしく感じられる。

 レンジには神秘の関わる技術を使われているがために、扉とあれど素人が簡単に外せるものではない。そのはずなのに扉と本体部分を繋ぐための金具が外れて中身が丸見え。

 なんとも無残な状態だった。

「何したんですか?」

「薬品温めようとしたら入りきらなくて外しただけだ」

「あのね。普通、電子レンジで使っていいものは、扉が完全に閉まるサイズで……」

「元に戻せないかな。ホットミルクつくろうと思ってたのに、これじゃ作れない」

「この惨状でホットミルクに未練残さないでください。鍋で作ればいいじゃないですか」

「そっか……連徹で頭働いてなかったわ。ありがとう」

「どういたしまして。片手鍋ありますから……って、そうじゃなくて! 何度でも言いますけど家で薬品いじらないでください‼」

 喚きたてる私を前に、彼は『なんだよもう……』と言いながら面倒くさそうにレンジに向き合い始めた。その横顔は真剣そのものだ。

 横をすり抜け、冷蔵庫のポケットからスポーツドリンクを探り当てる。

 冷蔵庫に謎の液体が入ったボウルが増えているのはとりあえず見なかったことにした。

「……」

 私の先生の名前はリーネア・ヴァラセピス。

 実年齢が153歳、外見・肉体年齢はともに約18歳。趣味は暗号解読と火薬類作製。特技は現代社会にそぐわないサバイバルな戦闘能力と攻撃性。性格は自由闊達な常識知らず。

『一体、どこの漫画の登場人物だ』と思わないでもないが、それはある意味で正しい。

 何しろ、彼は――異世界から来たのだから。

 初めて聞いたときは病棟から逃げ出してきた危ない人だと思ったが、信じざるを得ない出来事がいくつもあったせいで、信じざるを得なくなった。

 異世界といっても魔法に満ちたファンタジーな世界でなく、この世界のいまの時代とよく似ているそう。違うのは技術の進歩の方向性と、それによる世界情勢。具体的に言うと現代兵器による戦争が四六時中巻き起こっていたらしい。聞いてみると戦場豆知識や彼の奇行を聞くことになるのもあって、私も全容は知らない。

 衝撃ばかりの思い出を懐かしみつつ、飲み終えたパックを畳んでプラごみに放り込む。

 時計を見れば夜7時を過ぎていた。呼びなれた呼称で彼を呼ぶ。

「……先生」

 今日でちょうど、彼と出会ってから3年が経つ。日頃の感謝(※決して皮肉ではない)を込めて、夜のおやつに彼の好物のバタークッキーを買ってある。

「夕飯、どうします? 食べちゃってましたか?」

「これもうダメだ。……まだ食べてねえな。冷蔵庫に野菜とささみが」

 電子レンジとの格闘は未だ続いている。

「いまなんて?」

「野菜とささみおかずに、そうめんでも茹でよう」

「そっちじゃない! もう明らかにダメなんじゃないか、そのレンジ‼」

 先生を押しのけて中を見たら、直せないとわかるほど凹んで変形していた。

 ここでようやく、バツの悪そうな顔をした彼が頭を下げる。

「悪い。向こうのレンジと違うの忘れてた」

「向こうのレンジどうなってるんです?」

「加圧できて便利」

 電子レンジで何を加圧する必要があるのだろう。圧力鍋では駄目なのか?

 嫌な予感しかしないので、この話を打ち切る。

「もういいです……飛び散ってないなら、一旦諦めよう」

 温めた物体があたりに飛散している様子はない。

「お腹すいてます?」

「すいた。座ってろ。そうめん茹でる」

「私やりますよ。座っててくだ――」

「俺が茹でたい。邪魔すんな」

 至近距離でガキリと音がした。実弾装填のライフルで顎突き上げられる高校生は私くらいではなかろうか?

 ことあるごとに持ち出してくるので、慣れという名の麻痺はとっくに全身に回っている。

「ぜひお願いします」

 満足げな先生がライフルを虚空にしまい、夕焼けの長髪をゴムで束ねた。

 近づき難い美貌とお近づきになりたくない奇妙な無機質さの同居する顔で綺麗に笑う。

「クッキーのお礼だ。ありがとな」

 ……どうやら今年も、サプライズは失敗のようだ。

「どういたしまして、先生」

「ん。……野菜と肉、出しといてくれるか?」

「うん」

 湯を沸かし、麺を投入する手つきに淀みはない。彼は元の世界でお姉さんと二人暮らしだったそう。調理技術は一朝一夕のものでないので、家事を分担していたと思えば納得がいく。

 野菜を盛りつけて用意する間にタイマーが鳴り、リーネア先生は麺をざるにあけて冷水で一気に洗う。

「麺つゆでいいか?」

「いいよ」

「じゃ、食うか」

「はい」

 先生は冷凍庫から持ってきた氷をざくざく割ってそうめんに振りかけている。

 出会って3年経った今でも、彼の嗜好は謎いっぱいだ。

「風呂湧いてる。食べ終わったら先入っていいよ」

「洗い物したらそうします」

「やっとくからいいって」

「これじゃあ、私が何にもしてません」

「明日暇があるなら、明日手伝ってもらう。大人しく寝てろ」

「……でも」

「手榴弾は好きか?」

 先生の手が虚空にかざされ、ごついレバーとピンが装着された円筒型が現れる。

「ごめんなさい無理です」

「シンプルな方だぞ?」

「シンプルだろうと関係なく爆弾だよ、先生」

 先生との会話は危なっかしくも楽しく、あっという間に過ぎていく。

 力が及ぶ限り平和な表現をしてきたつもりだが、リーネア先生の性質は、無邪気に気まぐれで、常識に馴染まない怪物だ。元の世界でさえも周囲からそう呼ばれていたらしい。

「ん。美味い」

 氷交じりのそうめんをすする先生はご満悦のようだ。

 あっという間に食べ終えた先生がテレビをつける。その手にリモコンは持っていない。

「なんか面白い番組やってます?」

「んー、面白くもねえ。つまらなくもねえ」

「確かにそれはつまらないですね……」

 不思議な笑いのツボを持つ先生的には。

「ああ。くだらねえクソ番組の方がずっといい。日本は上品だな」

「電気代無駄だから消さない?」

「あと5分で見たいのが映る」

「今日は戦争映画もスプラッタもやってないのに、珍しいね」

 遅れてそうめんを食べ切り、食器をまとめて片づける。

「枝豆下げていいですか?」

「あ、悪い」

「これくらいなら働いてもいいでしょう? ついでに片します」

「ありがとう」

 何往復かして戻ると、先生はテレビのそばのフロアソファに移動していた。

 無表情でわかりにくいが、これから始まるのはかなり楽しみにしていた番組のようだ。

「……私、シャワー入って寝るので、洗い物お願いしますね」

「おやすみ」

「おやすみなさい」

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