少年は天才と神秘の夢を見られるか?
金田ミヤキ
Vol. 1
第一章 世界の行き止まり
少年の思い出
この世界は神秘が暴かれた世界だ。どんな科学でも説明のつかなかった現象が、特殊なチカラによって引き起こされるのだと周知された世界。そのチカラはヒトのみでなく、ヒト以上の知能を持った特別な存在:異種族たちも使うことができる。
華々しい神秘は、現代社会のあらゆるところで役立てられているのであった――
……そんな内容が、タイトルすら覚えていない本に書いてあった。
能力でもなく力でもなく《チカラ》とだけ表現しているのは、それの特別な呼び方を忘れてしまっただけであり、大した意味もない。
魔法使いになれること。
子どもにとってこれ以上に魅力的な可能性があるだろうか?
10歳になれば病院や専門の施設で検査を受けられることも知り、俺は大いに喜んだ。
しかし、現実を突きつけられたのは、まさに俺が10歳のときだった。
「これで検査は終了です。結果は病院受付でも受け取れますので」
「ありがとうございました。……ほら、あんたもお礼」
母親は一息ついて医師にお辞儀し、ぼうっとしていた俺の頭を軽く小突いた。
「この検査ではそういったお子さんは多いですから。気にしませんよ」
鷹揚に笑って、医師は母と俺を診察室の外へ促した。
ここまでで結果はわかるだろうが、先生に宣告され、病院からもらった用紙にも駄目押しで宣告されたのは何もなしという結果。
検査だって、自分が何を検査されているのかすら知らないまますぐに終了してしまった。
箱の中を透視するだとか魔法の道具を使うだとか、きっとそういう検査だと想像してわくわくしていた。
なのにやらされたことと言えば、銀色の球形装置に触れ続けるだの。リトマス試験紙のような紙を口に含むだの……どれも数秒で終わる妙なことばかりだったのだ。
最終課題は『電池抜きのリモコンを使ってテレビに電源を入れろ』という無理難題。当たり前だが点くはずがない。
俺は長考の末に納得した。
『能力があったら、検査する前から自分で分かる』と。
苦い記憶から時は流れ、俺は高校3年生になっていた。
社会科準備室のパーテーションに区切られたスペースで、社会科教師の長い話を現実逃避しながら聞いているところである。
「……その成績じゃ、ここに書いたとこは厳しいんだぞ。お前は遅刻も多いだろ。もう少し、自分のこと考えろ」
「すんません」
進路指導のツッチーこと土田先生は、進学情報と就職先探しの二冊をテーブルに置く。
白紙の新たな進路希望調査票も一緒に。
「……提出期限、めいっぱい延ばしてやるから。もう一回出せ」
「ありがとうございます、先生」
「おう」
土田先生は外国生まれの棒付き飴を口に含み、俺にも缶を差し出してきた。
「あざっす。……先生。これ見てどう思いました?」
「何にも考えてないやつが書いたのがわかった」
「真面目に書いたんですけど」
「真面目に書いたフリしただけだろ」
地域トップランクの大学名の羅列を指さし、先生が鼻で笑う。
「いいか。ゴミみたいな調査票書いてどこの誰に怒られようと俺には関係ない。ただな。通した俺が上から怒られるんだ。俺に無駄な手間を取らせるなクソガキ。俺はガキが嫌いだ」
「何食って生活したらそういう発言できるんですかね?」
最高学年である俺をガキと判定するのはつまり、全校生徒が嫌いだと公言するに等しい。
ちなみに『ゴミ』と言われた調査票も俺自身ゴミだと思うので異論はない。
「お前やる気あんの?」
「ありません。先生は?」
「ない。いえーい、おそろ」
適当にピースサインされた。何で教師やってんだろ、この人。
「せめて学校選びの助言とかは?」
「面倒臭い」
「進路担当の役目を放棄しないでください」
「助言なんざとっくにしてる。よく考えろってな。それとも聞いてないのかどっちだ?」
がりっと音がして、俺の口の中で飴が砕けた。
包み紙と一緒に棒をティッシュにくるむ。そのままごみ箱へ。
「何考えたらいいのかわかんないんですよ」
「将来やりたいことは?」
「宝くじを当てたいと思ってます」
「俺も当てたいよ。他には?」
「……特に、何にも」
「…………。そか」
先生がぽりぽりと頬をかいた。
「正直に言っちゃうと、大学進学したいっていうのは、ただの逃げです。社会に出るまでの時間稼ぎ。……俺は学問を究めたいなんてタイプじゃないんですよ」
「なら安心しろ。建前を並べても中身はそうだってやつは多いんだ」
「同じ学年でも似たような人っているんですか?」
「お前ほど悪い意味で正直な奴はいない」
ソファで居心地悪く姿勢を正した俺を見て、苛立たしそうに舌打ち一つ。
「……世代ずれに目をつむってくれるなら、サンプルは俺自身。俺もそうだった」
「教師になりたいから教育大行ったんじゃ?」
「家から近かったからだ。教員免許取っときゃ食いっぱぐれないってな」
彼は『人を教え導くことに誇りを持っているわけじゃない』と教壇で告げたことさえある。
されど不思議なことに、雑に見えて細やかな気遣いと綿密な下調べによって進路指導担当に収まっている。
そんな先生が教師を目指したきっかけが気になり、ふと問いかける。
「先生は、いつから教師になりたいって思ったんですか?」
「あ?」
「経験談として、どうかおひとつ」
ぼさぼさ髪をかきながら、教員内では若手の34歳のくせに気怠そうに話し始める。
「10歳検査落ちたろ?」
幼き日の俺の心を抉る質問に、しかし、怒るほどの熱量もなく頷いてみせる。
「俺も落ちたんだわ。あれに受かるやついるのか?」
「ですよねー」
神秘は身近にあることが当たり前なのに、届かない領域にある。
瞬間移動と呼べる技術を使った旅行だとか。魔法で冬の雪かきが楽になるだとか……そういったものはいろいろあるが、『誰がどうやってつくり出したか』は俺は知らぬままである。
「で、その検査がどうしたんすか?」
「うん。そう思ってたら俺の初恋の女の子が受かってたんだわな」
「――どゅえっ」
口をつけたばかりのコーヒーが零れ、慌ててカップをテーブルに戻す。
「うおっ、きたねえ!」
「……びっくり、させないでくださいよ!」
俺の周りで検査に受かっていた友人は一人もいなかった。全国の存在割合は知らないが、受かっている人がいるとは思わなかったのだ。
差し出されたウェットティッシュをありがたく頂き、シミを叩き始める。
「……何にそんなに驚いたんだ?」
小4の思い出、しかもかなり苦い記憶であるそれを話す気になれずにはぐらかす。
「先生の恋愛遍歴に。人を好きになる感情があったなんて思わなくて」
「お前の世界史は過去から未来まですべて1になる」
「生徒の評価を私情で変えるなんて最低です」
「甘酸っぱい初恋踏みにじろうとするお前が言うな。人としてどうなんだ」
「軽い冗談じゃないですか」
「冗談で踏みにじったのか」
ぐだぐだな会話を続ける。この人と喋ると毎回こんな感じだ。
先生は深くため息をついてから、ようやく本題に戻る。
「その女の子は、受かったことをあけっぴろげにふれまわる子じゃなかった。むしろ、家族以外の誰にも伝えなかったんだ。ついには卒業まで誰にも伝えなかった。……秘密を共有したがる女の子としては、なかなかのもんだろ?」
「……ですね」
小学生など、男女問わず口が軽い生き物だ。
その年齢で黙っていられたというのは一種の偉業かもしれない。
「おう。でもな。秘密ってのは、あっけなく漏れるもんだ」
「まあ、漏れるためにあるんじゃないかってくらい漏れますよね……」
高2のとき、期末試験で同級生がカンニングをやらかしたことをSNSで発信する事件が起こった。成功の興奮と罪の重さに耐えきれず口走ってしまったのだ。
性質が良性であれ悪性であれ、秘密とは抱えているだけで重たく感じるものである。
それを話すと、土田先生も同意して頷く。
「やるならバレないようにってな。……いや、見逃した俺らの責任問題になるからダメだ。黙って問題を解け」
「なんで先生になったんですか?」
生徒のためを思っている気配が微塵も感じられない。
「今話してるとこだよ。邪魔するな」
「斬新ですね」
彼はソファの上であぐらをかきながら、話を続きに戻す。
「お姉ちゃんの卒業後に小学校に入学した弟くんは、友達とはしゃぐうちに言った。『姉ちゃんは受かったもん』だとよ」
先の展開が予想できてしまった。
秘密が暴かれた彼女の友人たちは『信頼してくれなかったのか』と憤慨したのだろう。神秘についてのことなら関心も高いはず。一歩立ち止まって相手の事情を考えることは、中学生には難しい要求だ。出来る子もいる一方で出来ない子もいる。
「いじめですか」
「だな。それを聞いた子の兄はお姉ちゃんと同級生。そいつは話の種として友達に喋った。噂は伝播して、最後には女の子を知らないやつがいないほど、地域で有名になっちまった」
「……」
「繰り返しになるが、ずっと黙ってるなんて口の軽い小学生には難がある。一種の偉業だ。その子は次第に学校に来なくなって……最後には不登校」
先生が手をぶらぶらと振って、話していいと合図を送る。
「学校に来てくれないかとか呼びかけました? 熱血的な」
「俺が熱血に見えるなら、お前は病院に行った方がいい」
『だろうな』とは思った。
「何でその子を好きになったんですか?」
「中学時代のお前の苦い初恋を話すなら教えてやる」
「あ、じゃあいいです」
「諦め早いな」
初恋について掘り下げるのはやめだ。土田先生の初恋が意外と健全だったこと自体、俺にとってはダメージがでかい。
「その子みたいな子どもを助けたいから、教師になった……とか」
「んー。ま、半分正解だ」
「半分か……」
「そもそも、時系列わかってるか? 俺はさしたる目的もなく、打算で教育大を選んでるんだぞ。このやる気のなさで、そんな崇高な目標掲げてると思うか?」
「すみません」
「自虐に謝られるとなんかむかつくな」
円滑な会話は難しい。
俺の悩みをよそに……というか無視して、土田先生は根気よく話の軌道を修正する。
「……とにかく。お前の発想は正統派すぎる」
「正統派?」
「前提から考えてみろ」
この話の前提……
「先生の初恋が砕け散ったことですね」
「人が話そうとする気持ちをことごとくへし折っていくんだな、お前」
「だから。動機になりそうなのがそれしか――」
そのとき、ホコリの積もったスピーカーからチャイムが鳴り響いた。
「あ――⁉」
時計を振り向き絶叫する俺に、土田先生がにやにやと笑いかけてくる。
道理でこの人、時たま俺の頭上を見ていたわけだ。
「物好きもいいところだよなあ。終業式に一人だけ最終下校時刻」
嬉しそうな顔で俺を指さす。
「ざまあみろクソガキ。お前の不幸で飯が美味くなる」
「本当に最低ですよね⁉」
俺が素で適当に喋るようになると、土田先生は自堕落で口の悪いダメな大人に変貌した。
会ったときは少しは真面目なイメージだったのに、今ではどうやって嫌がらせしようか考えるという性格の悪さを見せている。
「大人なんて汚ぇもんだよ」
おかしくて仕方がないとばかりに笑われ、俺は息を吐いて脱力する。
土田先生は棚からクリアファイルを引き抜き、進路希望を中に入れて差し出してきた。
「ん。カバンに入れとけ」
「……あざす」
「あとこれもな」
テーブル端に鎮座する分厚い二冊を先生の指が突く。
「う」
「明日補講あったろ。忘れても直々に届けてやるから、諦めて今すぐ受け取れ」
「なんで社会科教師が知ってんすか」
確かにクラスで一人だけ追試も赤点だったが、教えた覚えはない。
「お前の担任が愚痴ってたぞ。……会ったら謝っとけよ」
「……はい」
昨今では学校が生徒を長期休みに拘束するような事態は減らすように奨励されている。
『この成績ではどうしても単位を与えられない』と判断された俺のような生徒は別だが。
「ついでに、さっさと合格点取って恩返ししてあげろ」
「…………頑張ります」
「おう」
ひらひらと手を振る土田先生に頭を下げる。
「毎回、迷惑かけてすみません。いつもありがとうございます」
「どういたしまして。ほら、もう5分前だ。さっさと帰った帰った」
「はい! さようなら!」
入り口前で一礼し、一目散に駆けだす。
玄関に到達。上靴から外靴に換装すれば帰り支度は完了だ。
カバンから折り畳み傘サイズの棒を取り出し、スイッチを押す。
魔法か何かによる折り畳み自転車が、ペーパークラフトのように形を成した。
スタンドを外し、ペダルを漕ぎ出す。
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