2013年【行人】川島疾風は本当に神様のような存在だったのかも知れない。

「疾風さんの失踪の行方を聞く前に一つ、矢山様の誤解をといておきましょう」


「誤解?」


「わたしは確かに秋穂様の好意から川島疾風と中谷優子の行方を追いました。しかし、それとは別の感情で川島疾風を知りたいという気持ちがありました」


 そうですね、と井口は皮肉気に笑った。


「わたしは川島疾風に憧れていました」


 井口には似つかわしくない言葉だと思った。


「矢山様。去年の2012年に車の事故で亡くなった人の数を御存知ですか?」


「え? いえ」


「4000人です。

 ちなみに、日本でもっと交通事故の死者数が多かったのは1970年で16000人が亡くなっています。

 一昨年にあった東日本大地震3・11で亡くなった人は15000人です。

 一年の交通事故だけで3・11以上の数が亡くなり、現在のテクノロジーであっても4000人の被害を出し続けながら、自動車会社の社長が殺人罪で訴えられたりはしません。

 更に言えば、人を殺めることがあるので気をつけましょう、と言った注意書きさえ車にはありません」


 そう言えば、その通りだ。


「車は道具である以前に、生活の一部として機能している。当たり前の存在に注意書きはない。

 ニュースを見れば分かることですが、車の事故の責任はハンドルを握っているドライバーに求められるのであって、車それ自体に矛先が向くことはありません」


「そうですね」


「つまり、車というのはボクシング選手にとっての拳、サッカー選手にとっての足のようなものだと考えて差し支えありません。

 もちろんですが、彼らがその拳なり足なりで他人を傷つければ大きなペナルティを負うことになります。しかし、ペナルティを覚悟した上で、個人が手に入れられる最も強大で便利な力は車です」


 確かにボクシング選手と車が戦えば、条件によるだろうが、車の方が勝つだろう。

 また車よりも強大で便利な力は世の中には幾らだってあるとも思う。

 しかし、入手が最も簡単で誰もが使える道具となれば車が最も適任な気もする。


「人類が蒸気で走る自動車を発明したのは1876年、フランスです。

 軍隊で使われる大砲の運搬が目的でした。それから車の進化は、それこそ近代という時代に沿うようにして進んでいきます。

 より快適に、より便利に」


「そうなんですか?」

 と曖昧に僕は頷く。


「そうなんですよ」

 と井口はしっかりと頷く。

「ちなみに車のレースが初めてあったのは1895年のフランスでした。

 車の価値の重要項目には速さがあったでしょうし、近代の発展にも速さは重要でした。

 その最たるものが、電子メールでしょう。送った瞬間、相手に届く訳ですから」


 近代の発展。

 川島疾風から途方もない話へと進んで行っている。


「わたしは速さと力を同時に求めていました。

 苛められっ子がナイフをポケットに入れて学校に登校するようなものです。誰よりも確かな力が自分の手にある、という安心感がわたしには必要でした」


 僕は黙って井口の話を聞いた。


「情熱乃風に入ったのも、同じような理由です。

 もっと速い力が欲しい。その為に、ボクサーがジムに通うように、自らを鍛えなければならなかったのです。

 川島疾風は情熱乃風の成立メンバーで、解散を告げたのも彼でした」


 井口はそこでようやく、コーヒーに口をつけた。

「実は、わたし猫舌でしてね。美味しいです。ありがとうございます」


「良かったです」


「わたしは情熱乃風の解散に異論はありませんでした。

 ただ、川島疾風はもう峠を走らない。速さを求めない。その事実がショックでした。解散した当初は、気になって川島疾風の周辺を今回のように調べてみました。

 理由は、中谷優子との交際。

 そう分かった時、わたしは落胆しました。あまりにも平凡な理由だったからです」


「好きな女の為に何かを捨てるなんて、素敵なことじゃないですか?」


「まったく、その通りです」

 と井口は自虐的に笑った。

「ただ力を持つ人間が、その力を無視し正当な使い方をしないことが許せなかった。

 秋穂様もまた川島疾風とは違った力を持っていらっしゃった。

 なのに、それを矢山様のような人間に向けていた。わたしは力ある人間が、それに適した使い方をしていないことに憤りを覚えずにはいられなかった」


 秋穂の持つ力、と僕は思った。


「しかし、そのような力を持った人は、わたしのような人間には届かない場所へと行ってしまう」


 確かに秋穂には力があった。

 あるいは、それは強い意思だったのかも知れない。

 それらは優れたものだったのかも知れない。

 けれど、その力か意思によって秋穂は確かに傷ついていたのだ。


 僕はそれを理解していなかった。


「わたしは最初から矢山様に敵わないことを知っていたはずなのに、動かざる負えなかった。そのくせ、自分の抱えているものを手放せずにいた。

 ……それは負ける訳ですよ」


 井口は最後まで勝ち負けという判定を捨てられなかったのか、

 と思うと僕は少し不憫に思った。

 世の中には時々、勝とうとすることで負けることがある。


 僕が井口に勝っていることがあるとすれば、勝とうとせず行動していたことだろう。

 その連なりで僕は川島疾風の真相に辿り着けた。


「井口さん、一つ尋ねてもよろしいですか?」


「なんです?」


「六年前のことです」

 秋穂がUMAを見て、中谷優子と川島疾風が失踪し、安藤朝子が神様を探した山の名前を言って

「で、よく車を走らせていた集団は情熱乃風ですか?」

 と続けた。


「六年前、あの山……。

 あぁわたしも参加していたし、川島疾風もまだ現役で走っていた頃ですね。それがどうしたんですか?」


「いえ昔、見たことがあった気がしていて」


 朝子があの墓地で待っていた神様の一部には、川島疾風の音が混ざっていたのだ。

 あの理不尽に対する確かな憤りのような激しい音。


 神様。

 まるで、川島疾風は本当に神様のような存在だったのかも知れない。

 会ったことがないからこそ僕はそう考えてしまった。

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