2013年【行人】あんたは間違いなく、私の子でしょ?

 実家の敷地を跨ぐのは実に四年ぶりだった。


 平日の真昼間に帰ってきた僕を迎えてくれたのは母親だった。

 以前、僕が使っていた二階の部屋は母親の趣味部屋という名の、本部屋となっていたので、そこに僕の荷物を全て運び込んだ。

 母親の提案で、秀と僕と母の三人でお茶をした。

 秀は最初こそ居心地が悪そうだったけれど、すぐに場に溶け込んだ。


 僕は両親と仲が悪い訳ではなかった。

 母親も決して悪い人ではない。

 話は基本的に秀の仕事の話や、彼女の話だった。

 一時間くらいした後に、

「これから、彼女と会うので」

 と秀は席を立った。


 玄関で靴を履く秀に、僕は荷物を運んでくれたことに対して礼を言った。


「いいよ。んー、」

 と秀は思案顔になった。


「なんだよ?」


「正直なこと言うよ」


「うん」


「俺さ行人が秋穂ちゃん以外と一緒にいるところが想像できねーんだ。だからって訳じゃねーけど、復縁できるなら、してくれよ。応援するから」


「ありがと」


 じゃあ、と秀は笑った。


 秀の車が行ってしまってから、僕は少し荷物の片づけをした。

 夕方六時頃になると、母親が僕を夕食だと呼んだ。

 何もしていなくとも食事が出てくる、というのは素直に嬉しい。


 父親はまだ帰って来ていなかった。

 テレビも点いていない部屋のテーブルで母親の作ってくれたカレーを一人で食べた。

 少し、懐かしい味がした。


「あんた、ずっとこっちにいるの?」

 と母親が言った。


「いや、半年くらいお世話になって、部屋探そうと思ってるよ」


 具体的にはなにも考えていなかったけれど、それくらいの期間で物事は大きく動いているだろう、と僕は勝手に予想していた。


「そう」

 と言って、母親が僕の差し向かいに座った。「ねぇ、四年間。ここに帰ってこなかった理由、聞いてもいい?」


「兄貴が苦手だったから」


「お兄ちゃんがいなくなったから、戻ってきたの?」


「あ、やっぱり、兄貴まだ戻ってきてないんだね」


 流石に兄貴が死んだ、と言う訳にはいかなかった。


「まぁ、タイミングとしては、そういう分かりやすさがあるわよね。でも、違う」


「違う? 何が?」


 少々、面倒なことに母親は気が付いている。

 いや、四年間一度だって家に寄りつかなかったのだ。

 気づいていて当然だった。


「あんたがこの家に帰ってこなかったのは、お兄ちゃんじゃなく、私から距離を取りたかったからでしょ?」


「違うよ」


 本当に違う。


「じゃあ、遠慮ね。あんたは間違いなく、私の子でしょ?」


「でも、父さんの子じゃない」


 母親の目が細められた。


「無理があったよ、母さん。あの人は、自分の血が繋がっていない子供を愛せるほど強い人じゃない」


 幼少期、僕は兄貴から暴力を振るわれていた。

 父はそれに気付いていたが、黙認していた。

 幼い頃はそれが辛くて父に愛されたくて、いろんなことをした。


 作文で将来の夢を父親のようになりたいと書いてみたり、夏休みの自由課題を父親が好みそうなものにしてみたりした。

 けれど、その全てが無駄だった。


 当然だ。

 父親から見れば僕は血の繋がっていない、赤の他人なのだ。

 兄貴もそれを知っていたし、僕に真実を告げたのは兄貴だった。


 母親だけが、その全てを知らず、また本当の事実に目を向けないようにしていた。

 僕は母親だけが心の拠り所の少年となった。

 が、悩みの全ての根源は母親だと知った時、僕の中にあった家族という概念は崩壊した。


「知ってたのね」


「知らないフリをしていたんだから、そのままにしていた方が波風が立たなかったと思うよ」


「良いのよ、どっちにしても、もう意味がないもの」


「そっか」


「ねぇ、あんたの本当のお父さんのこと、知りたい?」


「別に」


「そう」

 と母が言った後、「一応言っておくわ。お母さんとお父さん、離婚することに決めたから」と続けた。


 余計なことをまた言う、と思いつつ僕は「そっか」とだけ頷いた。


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