2013年【行人】兄貴が出版した本「南風」。
自分の荷物の整理をあらかた終えた頃、父親が帰ってきた。
一階に下りて、父親に挨拶をした。
相変わらず父親は無愛想な反応をするだけだった。
まぁ愛想よくされると逆に恐いけど。
母の趣味部屋と化した部屋に戻ろうとして兄貴の部屋が目に止まった。
兄貴のことだから、部屋に鍵をかけてそうだ
と思いながらドアノブに手をかけると、すんなり開いた。
兄貴の部屋は予想通り、ゲームや漫画で散乱していた。
もう当人が帰ってこない部屋だ。
高そうな物は勝手に売って金にしてしまおう、
と僕は殆ど追い剥ぎのようなスタンスで兄貴の部屋を物色した。
ふと本棚に見覚えのある本が刺さっているのが目に入った。
兄貴が出版した本「南風」。
内容はクラスメイトの男女がひと夏を共に田舎で過ごすというものだった。
懐かしい。
ぱらぱらと本をめくり、気になった箇所を拾い読みした。
著者と作品は別と言うような話を聞くけれど、
兄貴の小説はとくにその傾向が強い。
どうして兄貴がこのような小説を書こうと思ったのか、僕は想像できなかった。
人に迷惑をかけることがアイデンティティである兄貴が、
透明感のある描写で田舎の風景を描き、
男女の僅かな心の揺れ動きで多くの人の心を打ったのだ。
信じられない事実だった。
まぁ、今この本を古本屋で売っても十円か五十円くらいにしかならないだろうけれど。
南風を本棚に戻し、物色に戻った。
とりあえずPS3とソフト、PSPとソフト、DSとソフト、ドラゴンボール完全版全巻、スラムダンク完全版全巻、鋼の錬金術師全巻は売る。
高そうなPCもあるのだが、中を確認するだけで更に兄貴を嫌いになると分かっていたので放置した。
他に何かないか、
と押入れに差し掛かると、大量のエロ本とAVが出てきた。
残念ながら僕と兄貴の趣味は違う。
秀にでも売るか、
と思いつつ押し入れの更に奥を探るとコピー用紙の山に指先が触れた。
なんだ?
と思って手に取ると、それは小説だった。
正確には、雑文。
小説の断片だった。
空の描写、猫の動き、コンビニの店員の表情、階段を上る音、目を瞑る時の気持ち……、
そんな小石のような言葉たちが、そのコピー用紙の山には広がっていた。
どうしてか分からないけれど、僕はそれを見た瞬間に初めて兄貴の死に対して悲しい気持ちになった。
小さな光を追って登ったあの山で僕は死んだ兄貴と会った。
僕はそうすることで自分の世界が変わったように感じた。
――×××
兄貴が最後に残した言葉を僕は思い出せないでいる。
それはそれで良い。
兄貴は生きているよりも死んでくれている方が良い。
その気持ちに変化はない。
ただ僕が死んだ先に兄貴がいるなら、その時にあの言葉がなんだったのかを聞こう。
死んだとしても憎たらしい兄貴だけれど、
そんな彼が残した小説だけは多分十年後にも読むだろうし、三十年後でも読む。
「南風」という小説を兄貴が世に残したことだけは、感謝しようと僕は思った。
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