2013年【行人】せっかく生きてるんだから、ゆっくり進みなよ。

 階段を登りきったのだと分かったのは、僅かな光が僕の目の奥を刺激したからだった。


「いらっしゃい」

 女の子の声がした。


 僕はしばらく何も言えず突っ立ていた。

 視界が定まらなかった。

 突然の光のせいかも知れない。

 一度、目を閉じる。


 そして、息を吐いて吸った。

 目を開ける。

 さっきよりもマシだった。

 首を動かし女の子を捜し、へらへら笑った。


「おじゃま、します」


「なにそれ?」

 朝子が笑った。

 ほのかな光の中では、朝子の表情の細部まで確認することはできなかった。

 その代わりに声の響きは日の下よりも鮮明に伝わってきた。


 真正面には細々とした夜景が広がっていて、その僅かな光でここが小さな墓地だと分かった。

 普段、僕がお参りするような大きさの墓が四つ、それから一回り小さな墓が更に四つ一列に並んでいた。

 

 もう一度、朝子の方に視線を向けると、当たり前のように誰もそこにはいなかった。

 それはそうだ。

 朝子はもう何年も前に亡くなっているのだ。


 さっきまで一人で進まなければならない、本当のものを手にする。

 と考えながら、すぐに昔の女の子の幻想を見る自分が情けなかった。


 はぁ、とため息が漏れた。


「それで、行人くんは何しにここまで来たの?」

 朝子が言った。


 もはや、それは幻聴なのか、記憶の一部なのか分からなかった。

 ただ応えない訳にもいかなかった。


「神様を探しに」


「パクらないで欲しいなぁ」


「あはは」


「ねぇ行人くんの未来予想図ってなに?」


「好きな女の子を毎晩抱いて寝る、かな」


「うわぁ」


「おい、やっぱりか!」


「相変わらず、キモいね」


「そーいう、朝子ちゃんはお姉ちゃんと手を繋いで歩くなんて、ファンシー極まる予想図だったじゃん」


「行人くんもお兄さんと手を繋いで歩くといいよ」


「なんだ、その地獄絵図は」


「仕方ないなぁ。私がお兄さんの所まで導いてあげたじゃん? 話できなかったの?」


 導く?


「あぁ、あの山で僕の前に現れた小さな光って朝子ちゃん?」


「そんなのどうでも良いでしょ。ちなみにさ、あの時の×××って持ってる?」


「ん? なに?」


「えーと、透明な三十センチくらいの棒、まだ持ってる?」


「持ってるよ」

 布を巻いてバッグの底に入れてある。


「あれ、使い所を間違えちゃ駄目だよ」


 どういうこと?


 そう尋ねたかったけれど、全て飲み込んで

「うん」と頷いた。


 朝子がくすくすと笑ったのが分かった。


「ねぇ行人くん」


「なに?」


「せっかく生きてるんだから、ゆっくり進みなよ。

 疲れたら休んで、いっぱいお水を飲んで美味しいもの食べて、それからまた進むの。行人くんはもうちょっと能天気で良いよ」


「朝子ちゃんが言うと、重さが違うな」


 朝子はまた笑った。

 それが分かった。


「行人くん。私のこと好き?」


「好きだよ」


「どれくらい?」


「秋穂の次くらい」


「それは光栄だなぁ」


 手に何か感触があった。

 そして、僅かに唇にも。


「ばいばい」

 朝子が言った。


「ばいばい」

 僕も言った。


 ――――――


 山を下りて、町の光に包まれた時、なんだか途方に暮れてしまった。

 泣きたいような、笑いたいような、そんな気持ちだった。


 ――能天気で良いよ。


 朝子が言うのだから、と僕はとりあえず笑った。

 何がおかしいのか分からないけど、静かな夜に包まれて僕は笑い続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る