2013年【行人】楽で傷つかない方法を僕は選び続けている。

 日を跨いだところで、お開きとなった。

 払いは全て僕が持った。

 田中さんは払うと言ってくれたけれど、呼び出したのは僕だからと言うと

「じゃあ、今度は私が奢るよ」

 とすんなり引いてくれた。


「あ、そういえば、これ」

 と田中さんはバッグからCDを取り出した。「良かったら聞いて」


 THEイナズマ戦隊の「勝手にロックンロール」というアルバムだった。

 僕が電話した時に田中さんは「月に吠えろ」という曲を練習していると言っていた。


「ありがとうございます。聞かせてもらいます」


「うん、良い曲がいっぱいだから」


「田中さんの演奏、良かったら今度聞かせて下さいね」


「あー、うん」


 圭太がにやっと笑って、

「あれでしたら、うちの店使ってくれても良いですよ」と言った。


「勘弁してくれ」

 と田中さんが笑った。

 

 ――――――


 バーを出てマンションまでの帰り道、僕はなんとなく遠回りした。

 秋穂がいない、あの部屋に戻ることに僅かな躊躇があった。


 通りかかったコンビニで缶コーヒーを買って、それを飲んでいると、ふと懐かしい気持ちになった。

 それは数日前から僕を捉えて離さない、十五歳の頃の記憶だった。


 僕はこのコンビニでお菓子やジュースを買って、

 陽子の妹、朝子が病院を抜け出すのを待っていたのだ。

 そして、朝子が抜け出したのを尾行した。


 六年が経った今、僕は朝子の後を追った道を一人進みはじめた。

 信号機の光が消えた静かな夜だった。

 酔って火照った頬に当たる風は涼しく、心地良かった。


 缶コーヒーを飲み干してしまうと、それを灰皿代わりにして煙草を吸った。

 しばらく歩くと、坂道に差し掛かった。

 山だ。

 秋穂がUMAを見て、僕が小さな光を追い、死んだ兄貴と会った山。


 右手が木々で左手が道路だった。

 滅多に人が通らない道の外灯の間隔は遠く、足もとはろくに見えなかった。

 時々車が左横を通り過ぎていく。その時にだけ激しい光に僕はぶつかった。


 山の中腹まで来たところで、暗がりの中に石の階段を見つけた。

 注意して見ていなければ見逃すほど小さな入口だった。

 階段の先を見る。

 木々が両脇に立ち並び、目の前にあるのは完璧な暗闇だった。


 初めて来た時は朝子を尾行していた。

 二回目は陽子ときた。

 けれど今、僕は一人だった。


 田中さんは自分の中で欠けたものについて語った。

 僕の『それ』はまだ手つかずで残っている。

 しかし、それはきっかけ一つで必ず欠け、僕を深く傷つける。


 喪失し、間違いなく大きな痛みを残していくものに対し、僕は手を伸ばすことが出来るだろうか?


 このまま秋穂のことも棚上げして、何も手にしない人生を送る方が、傷つかずに済むんじゃないのか。

 そんな人生の方が僕にはお似合いなんじゃないか。

 そんなことを思った。


 完璧な暗闇に繋がる石の階段を前に僕は立ち止まり、一歩として動けずにいる。

 また、あの時のように小さな光が僕のことを導いてくれないか、

 と思う。


 小さな光でなくとも良い、誰か、何か僕をここから動く理由を与えてくれないだろうか。


 あぁこれか。

 これが井口の言う、自分のことしか考えていない、というヤツか。


 田中さんの言う自己満足とは違う、矮小で醜悪な感情。

 自分の目的を他人に任せながら、自分のことだけを考える。


 それが僕の本性だ。


 楽で傷つかない方法を僕は選び続けている。

 秋穂と一緒に暮らしながら、外に出てナンパをしているのが何よりの証拠だ。

 僕は僕自身の意思で何かをちゃんと選び取ることを常に回避してきた。


 その結果が、今の惨状だ。

 そのくせ、更に何も手にしない人生を送る方が良い?

 僕は一度だって本当のものを手に入れたことなんてないのだ。

 失うことばかりに怯えて、何も手に入れようとしてこなかった。


 なら、出来ることは一つしかない。

 ちゃんと本当のものを手にするのだ。

 その為に今、目の前にある完璧な暗闇の中を進まないといけない。


 小さな光の導きも、朝子の足音も、後ろから続く陽子の気配もなく、ただ一人で僕は暗闇の中の階段を登らなければならない。

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