2013年【行人】しかし、事件はもう起きてしまった。

 バー「響」の扉を開けると、圭太がグラスを磨いていた。

 客は一人もいなかった。


「あれ、珍しいな」

 僕に気付いた圭太が言った。


「ここ大丈夫なのか? お客さんが入ってるのを、見たことがないぞ?」


「あんまり来ないくせに。大丈夫だよ、さっきまで常連客が騒いでたから」


「なら良いけど」


 カウンターに座り、僕はポケットから煙草を取り出し一本を咥えてライターで火を点けた。

 圭太は何も言わずに灰皿を置いてくれた。


「ありがと」


「なに、飲む?」


「ビールで」


「ん」


 煙草を一本咥えてライターで火を点けた。

 圭太はコースターの上にグラスビールを置いた。


「煙草って。分かりやすいよな、行人って」


「子供だからな」


「秋穂ちゃんのお兄さんの件だよな」


「その件だけど、ナツキさんに関しては答えが出てるんだ」


「ん、そーなのか?」


 煙草を灰皿の上に置いて、ビールを飲んだ。


「殺人罪が何年、何十年の懲役になるか知らないけど、出てきたら一発殴る」


 答えは単純明快。

 人を殺していても僕はナツキさんのことが大好きだ。

 ナツキさんの事件がきっかけで秋穂が僕の前から去ったのだとしても、その気持ちには何の変化もなかった。


「どうしてナツキさんが事件を起こしたのか、気にならないのか?」


「気にならないと言ったら嘘になるけど、今は気にしない」


 確かにナツキさんは人を殺した。

 それは故意な犯行であり、感情的な歯止めがあれば、あるいは状況が違えば、止めることが出来たのかも知れない。


 しかし、事件はもう起きてしまった。

 それは同時に中谷優子、川島疾風、やくざの息子タミヤ、兄たちが起こした事件もまた『どうして』という根本を探ることで防げる部分はったのかも知れない、という考えにも繋がる。

 僕は顛末まで辿り着けなかったけれど、それは間違いなく起きてしまったと僕は知っている。


 在り来たりな物言いだけれど、過去はもう変更しようがない。

 残された僕たちに出来ることは過去をどう捉えて、今ここにある現在と、まだやってきていない未来にいかなる影響を与えるか、それしかない。


 僕にとって今重要なことは、秋穂との関係がこれからの行動によって、もう一度取り戻せるかも知れない、そういう可能性が残っていることだった。


「ふーん。俺はさ、気になってネットとか検索しちゃったし、テレビの番組とかも見れるだけ見たんだわ」


「そうなんだ。何か気になるのあったのか?」


「西野ナツキさんが言ったらしい発言っつーのが、紹介されててな」

 と言って、圭太が携帯の画面を僕に差し出した。


 ――うるさい外野の声は、おっしゃる通りで言い返せない。だから、わかってますと合わせる。けど、結局は自分のやりたいことをやる。いまはまだ自分を信じて、たとえ間違っていたことだとしても――


「好きだわ」


 思わず僕は言ってしまった。

 その後に、これを不謹慎だと言う人がいるのだろうか、と考えた。

 少なからずいるのだろう。


「なんつーんだろ、青くさい感じが良いよな!」

 と圭太が言った。


 そう、これは青春の戯言だ。

 詰まるところ、ナツキさんの黒歴史だ。


「ナツキさん。こーいうこと言う時期あったんだなぁ」


「俺、ナツキさんには会ったことねぇし。秋穂ちゃんとも、まともな会話したこと殆どねぇけど、すごく喋りたくなったんだよな」


「うん」


「だからさ、いろんなことが落ち着いたら、行人。秋穂ちゃんをここに呼んでくれよ。サービスするからさ」


「分かった」と僕は頷いた。

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