2013年【行人】当時の僕は今よりも、弱く脆かった。

 居酒屋を出た後、僕は陽子に礼を言った。


「部屋、戻るんでしょ? 大丈夫?」


「大丈夫だよ」


 陽子が疑わしげに僕を見たが、小さなため息を漏らして「そう」と頷いた。


「明日も、朝からアルバイトがあるけど、昼過ぎからなら行けるから」


「ありがと」


 言ってから、陽子は都内の大学へ通っているはずであり、休暇でこっちに帰っていると聞いていた。

 そんな陽子がアルバイト、というのに引っかかりを覚えた。


「陽子って、何のアルバイトをしてんの?」


「ん? 母さんの知人の男の子の勉強を見てあげてるんだ。

 臨時家庭教師みたいなもの」


「へぇ」


「知ってるでしょ? 私、昔から勉強だけはまぁ出来たから」


「知ってるよ」


「ねぇ、行人。一つだけ聞いて良い?」


 と言いながら、陽子は歩き出した。

 僕はそれについていく形で「なに」と訊ねた。


「朝子が亡くなった時、行人。一週間くらい学校に来なかったじゃん? あの時、何考えてた?」


「何も」


「嘘、電話してきた時、自分のことで手一杯になってたって言ったじゃん。

 それって、自分の中の感情と戦ってたってことでしょ?」


「違うよ。全部、投げ出してたんだ」


 朝子の死によって僕は感情も肉体も全部、投げ出してしまった。

 当時の僕を思い返せば、あれは一種の仮死状態のようなものだった。

 服も着替えず、食事もせず、排せつさえ殆どせず僕は死の淵へと近づこうとしていた。


 何故、そんなことになったのか僕は分からなかった。

 ただ、当時の僕は今よりも、弱く脆かった。


 そう、僕は昔から自分のことしか考えていないのかも知れないし、秋穂との関係は十五歳の頃から変わっていないとしても、僕自身の変化は確かにある。


「じゃあ、どうやって復活したのよ? あ、秋穂?」


「違うよ」


「ふーん。じゃあ、なに?」


 少し口を開くのに躊躇があった。

 しかし今更、陽子に対して誤魔化しても仕方がないと思った。


「兄貴だよ。殆ど、何もしなくなった僕を殴ったんだ。

 お前は弱い、って。

 そんなお前を生きているとは見ない、とか何とか言って」


「へぇ。強引なお兄さんだね」


「陽子も今日、僕の顔を見て、殴るからって言ってたじゃん」


「そーだっけ?」

 と陽子が笑った。

 誤魔化しになっていない。「何にしてもさ、行人。今回は何も考えない、何もしないって選択はないからね」


「分かってるよ」


 陽子を自宅のマンションの前まで送ってから僕は携帯を開いた。

 夜の二十一時を少し過ぎていた。

 あずきから着信とメールが届いていたが、ひとまず無視して田中さんに電話した。


『やぁ行人くん、どーしたんだい?』


「こんにちは、田中さん。今、大丈夫でした?」


『んー、家でギターの練習をしていただけだから、問題ないよ』


「ちなみに、曲とか練習していたんですか?」


『ん? THEイナズマ戦隊の「月に吠えろ」って曲を弾いてたよ』


「すみません、知らないですね」


『良い曲だよ。なんならCDを貸すよ』


「ありがとうございます。

 それで僕、これから知り合いのバーの所に行こうと思っているんです。で、田中さんにもちょっと相談があって、話を聞いてもらえませんか?」


『こんな中年に答えられることがあるかな?』


「もちろんです」


『若者に頼られるというのは、嬉しいものだね。行くよ』


「ありがとうございます」

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