2013年【行人】僕の無力。問題はここに帰結する。

「ふー」


 深く息を吐いた。

 そうすると、僕の中の蠢く虫のような騒がしさが収まっているのに気が付いた。

 プールに勢いよく沈んだボールが底に触れた後に水面へと上がっていく感覚。


 現実への浮遊。

 正確な呼吸。


 うん、うん、と僕は一人頷く。


 ナツキさんは人を殺めてしまい、秋穂は部屋を出て行った。

 僕は一人取り残され、三日以内に部屋の荷物を片づけなければならない。


 井口に言われた色々は思うところがあるし、考えないといけないことだ。

 少なくとも僕は、ある地点まで自分のことしか考えていない人間であり、今もそうあり続けている。


 これは現実だ。

 そして、僕は何も出来ずに止まっている。

 兄貴の言う通り僕は今、自分の欲しいものさえ言えない状態だ。つまり、生きている状態ではない。


 考えているつもりだった。生きているつもりだった。


 けれど、僕は井口に言われたことに対して、感情的になっているだけだった。

 本当に、ちゃんと考えないといけないことに頭を回していなかった。

 それはゾンビみたいなものだ。


 視覚に映ったものに反応して噛みつきにいく、単純なゾンビだ。


 深く息を吐く。

 うん、ちゃんと現実に浮遊した。生きている。大丈夫だ。

 現状、井口の言葉を借りるなら


 ――線路は途絶え、この先には崖しかありません。戻る他に道はありません。そして、そうなってしまったのは、誰でもないあなたのせいです。


 とのことだ。


 オッケー。


 今、僕がすべきなのは道を戻って正しい線路へと進むことだ。

 その為に、まずは現状把握と頭の整理から。


 秋穂と一緒に住むとなった時に僕が感じた、心地の良い南国で寝そべるような幸福はもうこの世界のどこにもない。

 目の前にあるのは、ただの現実だ。


「陽子、ごめん。充電オッケーだ。話を聞いてほしい。何でも良いから意見をくれ」


 陽子が不敵に、にやりと笑った。

「後、もう少し遅かったら次はホットコーヒーを頭からかけるとこだったよ」


 秋穂のアルバイト先の先輩、中谷優子が失踪し、それを探して欲しいという秋穂のお願いから始まった一連の出来事を順序立てて話していった。


 全ての話を聞き終えた陽子は、空になったコーヒーカップを持ってキッチンに立った。

 僕はぬるくなったコーヒーを飲みながら、話をしたここ数日の出来事について語り洩れがないかを考えた。


 中谷優子、川島疾風、やくざの息子のタミヤ、兄貴、里菜さん、フジくん、そして、中谷勇次。


 僕が素人探偵みたいなことをした結果は、出ていない。

 しかし、そこは問題じゃない。


 ナツキさんの殺人。秋穂の失踪。井口の話。

 少なくとも今、僕に出来ることは一つとして浮かんで来ない。

 僕の無力。

 問題はここに帰結する。

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