2013年【行人】「でもね、その結果、君の言葉は軽く、薄く、弱い。誰にも届かないものなんだよ」

 部屋に戻って玄関の靴を見ると、秋穂の靴は律儀に揃えて置かれていた。


「ただいま」

 と言ってみたが、声は返ってこなかった。


 秋穂の部屋をノックした。

「秋穂、入るよ」

 ドアノブに手をかけてみるも、内側から鍵がかかっていた。


 もう一度、秋穂の名前を呼んでみたが反応はなかった。

 僕は少し考えて、秋穂の扉に面した壁に背中を預けて座り込んだ。

 とりあえず秋穂が帰って来ていて部屋にいる。


 傷つき、悲しみ、泣いているかも知れない。

 それでも彼女はそこにいる。


 深い理不尽の中にいる。


 僕は秋穂の部屋に入って行けないことを情けなく思った。

 出来ることなら、ドアの鍵なんて破壊して秋穂の部屋に入って彼女を抱きしめたかった。

 罵られ、罵倒されても、それでも僕は秋穂の味方でいる。

 いられる。


 そこに秋穂さえ居れば。

 僕は立ち上って、もう一度ドアノブに手を伸ばそうとしたけれど、そう出来なかった。緊張が緩んだからか、僕の身体は一ミリだって動かなかった。


 意識も遠くなる。

 ぱたりと無様な人形のように、廊下に倒れた。


 その瞬間、暖かなものが僕を包んだ。柔らかい望む全てがそこにある、そんな気がした。

 そうして僕に訪れたのは穏やかで優しい眠りだった。


――――――


 夢を見た。

 それは夢というよりも、記憶という方が正しいのかも知れない。

 僕は十五歳で教室に居て席に着いていて、目の前には美紀さんがいた。


「言葉にできず、それでも何か言おうとして、うめき声やため息しか出てこない人っているでしょ?

 それを黙って聴いて、待っているのが本来の正しい人間関係なのよ」

 美紀さんが言った。


 そうですかね? と僕は言った。


「けど、それって難しいよね。大人でも難しいのに、中学生なら尚更。行人くんの周囲にいる同級生も待ってくれない。すぐ言葉にすることを求めてくる」


 うん、と僕は頷いた。


「だから、言葉が在り来たりになるし、断定的になる。まるでバラエティー番組みたい。ああ言えば、こう言うみたいな決まりがあって、反応は早ければ早い方が良い」


 教室にいると、それが正しいのだと僕は思った。

 反応を早くして笑いの決まりごとを決めて、言葉を限定して。ノリだけで生きているみたいにして。

 そうすれば、教室で浮くことはないし友達だってできる。


「曖昧な言葉が許されない世界で君は器用に生きている。嘘をついて、流れに逆らわない言葉を身につけて。本音を隠した。立派だと思うよ」


 ありがとうございます、と言おうとしたが出来なかった。


「でもね、その結果、君の言葉は軽く、薄く、弱い。誰にも届かないものなんだよ」


 その瞬間の美紀さんの顔は黒く塗りつぶされていて、表情は何も読み取れなかった。

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