2013年【行人】愛と暴力の歌がある、

「つまりね、行人」

 三十秒後くらいに藍は言った。

「私はもう一度、君とやり直したいって思っているんだよ。次は、君が望まないことはしない。だって私は君が良い歌だって気づいたんだから」


 愛と暴力の歌がある、という話を聞いて朝子のことを思い出した。


 ――車のエンジン音は世間で騒音だってなっているし、私もそう思うんだよ。でも、時には心地の良い音に聞こえる時もあるって、思うんだ。


 そうであるなら、逆が起こることもある。


 愛の歌が暴力になる瞬間。

 藍の言うことは正しい。

 僕が良い歌であるなら、ある瞬間、暴力的で不快な存在になるのは当然だ。


 なにより僕はもう藍の奴隷に戻りたいとは思えなかった。

 動画を見る以前、秋穂から電話があって一緒に住もうと言ってくれた瞬間から、僕は藍を好きではいられなくなっていた。


 僕は

「今日、藍を呼んだ理由、話しても良いかな?」

 と言った。


 藍は頷いた。

 僕はネットにアップされた動画のことを藍に説明した。


「え、誰が、そんなこと」


 藍の表情や仕草がどうあれ、僕が言うことは決まっていた。


「誰かなんて犯人探しをするつもりはないんだよ。

 ただ、藍が他にも僕とのそういう行為の映像を持っているのなら、すぐに捨ててほしい、それだけのことなんだ」


「違う、待って、行人。私、そんなことしてないよ」


「うん」

 と僕は頷いた。

 実際、藍が本当にそうしたのかなど僕にとっては些細なことだった。


「行人、怖いよ。待って、違うよ、私じゃない」


「分かってる」


「分かってない、分かってないよ! 行人。話、聞いて」


「何でも聞くよ、なに?」


 そこから始まった藍の話を要約すれば、

 私は悪くない、ということだった。


 けれど、どうであれ、少なくとも藍は僕との性行為の動画を所持し、それを誰かに見せたことになる。

 その点だけは、言い逃れのできない点だった。


 だから、僕は今後同じことが起きないか、その点だけが重要だった。


「分かった。じゃあ、とりあず持っている動画は全部消してね」


 藍は弱々しく頷いた。


「ねぇ、行人」


「なに?」


「こんなことになっちゃったけど。私、やっぱり行人のこと好きなんだよ」


「俺も君のことずっと好きだよ」


 僕の返答が気に食わなかったのか、藍は不服そうな表情を浮かべた。


「そういうことじゃないの」


「どういうこと?」


「分かるでしょ?」


 藍の表情は真剣そのものだった。


「僕が分かるのはね。もう僕たちの関係が終わったってことだけだよ」


「終わったの?」


「終わったでしょ」


 そうだね、と藍が小さな声で言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る