2013年【行人】田中さんの万引きは、上手くいった。

 田中さんの万引きは、上手くいった。


 ポッキーの箱の下に一万円札を折りたたんで挟み、その後、ペットボトルのコーラ二本、カップアイス三つ(チョコ、バニラ、抹茶)、エロ雑誌一冊(制服もの)、ボールペン二本、タオル一枚をバッグに詰めた。


 何も買わずに出る訳にもいかず、カップめん四つ(塩、とんこつ、とんこつ、キムチ)、おにぎり三つ(シーチキン、昆布、梅)、缶コーヒー二本(微糖、微糖)、エロ雑誌二冊(素人もの、人妻もの)、箱ティッシュ一箱をレジに持っていった。


 店員がレジする間、田中さんの緊張が高まり、

 なぜか煙草(ハイライト)とライターも追加して買った。


 コンビニを出る時、店員が「ありがとうございました」と頭を下げた時、田中さんはそれ以上に頭を下げて外へ出た。

 車に戻り、二度キーを車内で落とした後に車を発進させたが、十分ほどで車を停車させた。

 気持ちを落ちつけられた時には日が昇り、

 バッグに詰めたカップアイスが溶けて、中が悲惨なことになっていた。


 以上が、田中さんのはじめての万引きだった。

 田中さんが戦利品の中から、どれでも持っていってくれていいよ、

 と言うので、エロ雑誌(素人もの)と箱ティッシュをもらった。

 ビニール袋にも入れず、むき出しの状態で朝帰りすると、起きていた秋穂に胸倉を掴まれてキレられた。


――――――


 眠りについたのは朝の七時を過ぎた頃で、目を覚ますと十時になる少し前だった。三時間弱の睡眠だった。

 秋穂はすでに大学へ出かけたようだった。


 僕は炊飯器に残ったご飯と冷蔵庫にあったベーコンと玉ねぎでチャーハンを作って、それを食べた。

 シャワーを浴び、髭を剃り、携帯を開きメールを打った。

 部屋の掃除を簡単に済ませると、僕はソファーに寝転んで文庫本を読んだ。

 携帯が震えたのは夕方十六時を過ぎた頃だった。


 相手は藍からで、

「今からなら会えるよ」

 というものだった。


 僕は待ち合わせ場所にナツキさんと会ったカフェを指定してから、

 ジャケットを羽織って部屋を出た。

 カフェでホットコーヒーを頼み、文庫本の続きを読んだ。

 二十分ほどで現れた藍は白のニットワンピースを着ていて、付き合っている時、僕が一番好んだ格好だった。


「お待たせ」


「ども」

 藍はホットのカフェラテを店員に頼んだ。


「ねぇ私、行人に聞いてもらいたい話があるんだ」


「なに?」


 藍はにっこりと笑った。

「私ね、ようやく私にとっての行人が何か分かったような気がしたの」


「君にとっての僕?」


「行人はね、歌みたいなの。音楽とかじゃなくて、人の声の入った歌なんだよね」


 よく分からなかったが、藍の笑みは変わらない。


「歌って暴力と愛の面があると思うの。悪い歌って耳障りで、苛立っちゃうけど、聞き続けなくちゃいけない時ってあるじゃない?

 そういう時、殆ど暴力だなって私は思うのね。

 で、良い歌って愛に満ちているっていうか、心地の良い愛撫みたいなとこがあってさ、リラックス効果って言うのかな?

 そういうの、分かる?」


「うん」


「行人は私にとって良い歌だったんだぁ。

 でもね、いつまでも良い歌だけを聞いていると、ある瞬間、耳障りな嫌な歌に聞こえる時があるんだ。それは聞き取る私の気分とか、体調に左右されるものなんだって思うんだ」


 つまりね、

 と藍が言おうとした時、店員がカフェオレを持って現れた。


 ご注文は以上でよろしかったでしょうか、

 というお決まりの言葉に藍は答えようとしなかったので、


「大丈夫です、ありがとう」

 と僕が言った。


 藍がカップに口をつけ、話の続きをどう切り出そうか窺っているのが分かった。

 僕は藍の言葉を待った。

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