2013年【行人】山の神様は女なんだ。

 僕は美紀さんと別れた後、秀から原付を借りた。

 それから来た道を戻って、中谷優子の家を訪ねた。

 やはり留守だった。

 日曜日の真昼間に不在というのは、やはり不安感を抱かずにはいられなかった。


 原付に乗って、フジくんが川島疾風を見たという峠に向かった。

 正直、峠に何か手がかりがあるとは思えなかった。

 中谷優子、川島疾風が失踪してもう十日近くが経過した。

 その間に峠で何かめぼしい話題を耳にしない。


 秋穂が危惧する事件が起きたとするなら、峠を越えた先にある町だろう。

 今日は峠を走り、何もないことを確認した後に町へ行き、秋穂からもらった中谷優子の画像を使って聞き込みをするつもりだった。


 峠道の交通量はほとんどゼロに近かった。

 理由は秀から聞いていた。

 峠道とは別に無料の高速道路があるのだ。

 その為に山奥に住む人や走り屋くらいしか峠道を走らないらしい。走り屋だって日曜日の昼間に走ったりはしないだろう。


 無料高速には三つの下り口があって、一つ目を僕は超えた。

 低速で進み、周囲を見渡すも、気にかかるようなものはない。


 幾つものコーナーを曲がって風の柔らかさを感じ、エンジン音の隙間で聞こえる木々のざわめきを聴き、ほどよい寒さが僕の身を包んだ頃、


 異物が視界をかすめた。


 自分でもわざとらしい声が洩れて僕は原付を止め、行き過ぎた道を戻った。


 視界をかすめた異物は、白いガードレールに空いた穴だった。

 横幅からして車一台分が易々と通り抜けられる大きさだった。

 僕はまず原付のエンジンを切り、走ってくる他の車やバイクの邪魔にならないよう隅っこに停めた。

 嫌な予感が体中を蛇のように這いまわった。


 携帯を取り出し画面を見た。

 圏外だった。

 自然と舌打ちが出た。


 救急車や警察を呼ぶ事態になったとしても、まずは山を下りなければ連絡のつけようがない。

 携帯をポケットにしまう。

 一度、深呼吸をしたが、上手く行かず二度、三度繰り返してから、頬を手で叩いた。


 状況確認だ、まずは。

 僕は震える足を叱咤し、ガードレールの穴に近づき、恐る恐る下を覗いた。


 え?

 木々が薙ぎ倒され、崖の斜面にタイヤが削った確かな跡はある。

 しかし、それだけだった。

 肝心のガードレールを突き破っただろう車も、一緒に落ちたはずのガードレールの断片も、そこにはなかった。

 落ちた車はブレーキを踏まず、崖を滑り木々を薙ぎ倒し奥の方へと進んだ。

 とも考えたが、木々の倒れ方からして、その可能性は有り得なかった。


 僕はその場に座り込んでしまった。

 体が鉛のように重かった。


 目の奥で白い光が放たれ、考えがまとまらなかった。

 奥歯がかちかちと鳴り、肩が変に震えた。


 なんだよ、これ。


 木々の倒れ方からして、車がガードレールを突き破って崖に落ちたのは確かだ。

 しかし、道路は綺麗なまま、ブレーキ―の跡が一つもないなんておかしい。


 もし車がアクセルを踏んだままガードレールにぶつかったとしても、ガードレールの強度からして、すんなり車の勢いに負けるとは思えない。

 そこにはやはりタイヤの跡がなければおかしい。

 とすると、誰かが道路を綺麗に掃除したのだ。

 その時に、崖に落下した車と一緒に破損したガードレールも回収した。


 落ち葉でも拾うような気軽さでガードレールを突き破るほどの車を拾った。

 そんなことが個人で出来るはずがない。組織的な力がそこにはあったはずだ。


 警察などの公的な存在であれば、突き破られて出来たガードレールの穴をビニールシートなどで覆わない理由が分からない。

 更にはニュースやネットで報道されていないのも納得がいかない。


 つまり、公的な存在はこの事故にノータッチである可能性が高い。


 吐き気が込み上げてきた。

 が、胃液が口から垂れるだけで、何も胃からは出てこない。

 その代わり昔、兄貴に聞かされた話がよみがえった。


 ――山の神様は女なんだ。


 ――ある山の祭りじゃあ、昔の話だが一週間身を清めるって風習があったそうだ。


 ――その間、女を絶たないといけないんだと。


 この話を聞いた時、僕は何歳だった?

 兄貴は、こんな話を僕にしながら、女を知っていたのだろうか。


 ――祭りは神事だから、女は参加できない。でも、神の信託を告げるのは女で、つまり女は神になれる。


 ――だから、結局は男より女の方が上なんだよな。


 女が神様? 当たり前じゃねぇか。


 ――山でトラブルを起こしたら、しょんべんをすると良いぞ。山でしょんべんをするのは悪いことじゃないんだ。


 ――むしろ山の女神が喜ぶ。強者になると、オナニーまでするんだ。


 どんなプレイだよ。

 腹立つ兄貴の声を思い出すと気持ちが徐々に落ち着くのが分かった。

 立ち上がり、体の部位一つ一つが正常に稼働しているかを確かめた。


 尿意を感じ、癪だけれど破壊されたガードレールにしょんべんを引っ掛けた。

 それから僕は原付に乗り、その場を後にした。

 一度も振り返らなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る