2013年【行人】「あずきって彼氏いないの?」
僕は礼を言ってストリートナンパ師の集団から離れ、フジくんにメールを送った。あくまでやくざだと気付いていないフリをした。
――知りたかったら、金持って頭下げに来いや。
と里菜さんが言う以上、何かは必ずある。
予想するに僕の兄貴、もしくはやくざの息子のサル顔の行方ないし、所在だ。あるいは死んでいるのなら、その原因だろう。
少なくとも僕は兄貴に興味はない。死んでいても、生きていても困らない。
あえて言うなら二年前に貸した三万円を返してほしい程度のことだ。
生きていれば回収するし、死んでいれば兄貴の部屋にあるゲーム機や薄いエロ本なんかを売りに出せばいい。
もしかすると、里菜さんとフジくんに繋がりがあるのかも知れない。
やくざと言っても組があるし、階級もあるはずだ。
同業というだけで顔見知りと判断するのは早計だ。しかし、偶然と片付けるのにも躊躇があった。
フジくんからメールの返信があるまでの時間つぶしに、僕は本屋で気になった本を四、五冊購入し、近くの喫茶店でそれを読んだ。
一時間が経っても返信はこなかった。仕事だと言っていたのなら一日手が離せないのかも知れない。
ひとまず日が暮れるまで待ってみようと思った。
ふと顔を上げると、喫茶店に新しく来店した女の子に見覚えがあった。
向こうも僕に気が付いたらしく、僕が座っているテーブル席に近づいてきた。
「スーパースターのあずきさんじゃないですか! オフですか?」
と先に僕が言った。
「ん?」
あずきが僕を見る。
ロゴティシャツにぴったりのデニムパンツ姿で、黒のハンドバッグを持っていた。
ラフだが細身のあずきにはとてもよく似合った格好だった。
「下僕一号の行人くんじゃない。暇そうだね。相席してもいい?」
「有難き幸せ」
「はいはい」
あずきは僕の差し向かいに座り、注文を聞きに来た店員に「チョコバナナパフェ」と言った。
「ねぇ、奴隷一号、行人くん訊いてよ」
「なに?」
「今日、一人でのんびりと買い物をしようと思って、市内まで出たのにさ、駅前を歩いているだけでチャラそうな男から三回も声をかけられたんだよね! なんなの?」
「へぇ」
ナンパ師の集まりなんて、撮ったハメ撮りや写メを見せ合って自慢し合うだけだと思っていたけれど、みんなでナンパをしようってのも含まれていたのか。
「一人なんて、ホントしつこくてアドレス交換させられちゃったしさ。もう最悪……」
項垂れるようにあずきはテーブルに伏せた。
ここまで参っているあずきを見たのは初めだった。
「あずきって彼氏いないの?」
「いないよ」
くぐもった声であずきが言った。
「じゃあ、好きな人は?」
僅かな間の後「いないよ」と言った。
気になる人はいるのかな、と僕は勝手に納得する。
顔を上げたあずきは恨めしそうな視線を僕に向けた。
「ねぇだから、行人くん。今日、暇なら買い物にちょっと付き合ってよ」
「ん? そーしたら一緒にラブホに行ってくれんの?」
僕の軽口にあずきは溜息で返した。
「一緒にラブホに行ったら、行人くんあたしのこと嫌いになるくせに」
「嫌いって。んな、訳ないじゃん。俺、あずきのこと愛してるんだから」
言ってから、すぐに僕は自分の失敗に後悔した。
あずきは妙にゆっくりと息を吐き出してから言った。
「そうだね。多分、最初の数回はすごく優しく扱ってくれるだろうね。
でも、その数回だけでしょ?」
僕は何も言わなかった。
「別にね、あたしは行人くんのことを責めている訳じゃないんだよ」
あずきが僕のそういう部分に苛立ちを募らせているのは分かっているつもりだった。けれど、何故か今日はうまく回避できなかった。
「ただ最近ちょっといろいろ苛々してて」
とあずきは続けた。
「行人くんの軽口を冗談で返すのがしんどい」
うん、と頷こうとして、僕はやめる。
「ごめん。パフェを食べたら一人で買い物に行くね」
「僕の方こそごめん」
丁度、店員があずきの注文したチョコバナナパフェを持ってきてくれた。
「パフェ奢るし、もう軽口は言わないから、今日一緒させてくれない?」
あずきはチョコレートソースのかかったバナナを長くて細いスプーンですくうと、それを僕の前に差し出した。
「これ、食べたら今日付き合わせてあげる」
僕は躊躇なく、目の前のそれを咥えた。ひんやりと冷えて固いスプーンの感触の後、チョコレートソースとバナナの甘さが舌の上にひろがった。
「あと行人くん。嘘をつく時に『俺』っていう癖、直した方が良いよ」
ごもっとも。
その日、あずきに付き合いつつ、僕は携帯に注意を払ったがフジくんからの返信は夜になってもなかった。
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