2013年【行人】「ねぇ、私のどこが、好き?」
居酒屋を出た後に寄ったコンビニで元カノの藍を見かけた。
男と一緒だった為、声はかけなかった。
藍も僕の方を一度も見なかった。
新作のチョコレートを二つと冷えた缶コーヒーを買ってコンビニを出ると藍が立っていた。
「偶然だね、行人」
「こんばんわ。お連れさんは?」
「帰ったよ。ねぇ、部屋まで送ってくれない?」
酔っ払った意識の中で警告音が鳴り響いた。
「今どこに住んでいるの?」
藍が言った場所は、ここから歩いて十分ほどだった。
断るべきなのは承知の上で
「良いよ」
と言った。
僕らは静かな夜の町を歩いた。
一緒に住んでいた頃、こうやって夜によく二人で散歩したのを思い出したが、だからなんだということもなかった。
途中で藍が煙草を吸った。
「行人も吸う?」
と勧められたが、断った。
「私と住んでる時は、吸ったじゃん」
「若かったね」
「今も、若いって」
「かもね」
「でも、やっぱり行人は変わらないね」
「そう?」
「怯えているくせに、そうやって大丈夫な振りをして。本当に可愛い」
「怯えてる?」
自然と言葉が零れた。
僕は藍に支配されているままだ、と自覚していた。
けれど、違うのかも知れない。
立ち止まって、僕はまっすぐ藍を見た。
藍はふっと笑って、煙を口の端から吐き出した。
「違うね。私に対して行人は本当に怯えたことなんて、一度もなかったものね」
「藍はそうやって人を支配したいの?」
「ん? 私は欲しいものを与えているだけよ。ね?」
藍の言わんとすることは分かった。
奴隷として支配されたがっていたのは僕だった。
彼女はそう言いたいのだ。
違う、と否定したかったが、その状態で媚びるように尻尾を振って二年間、藍のもとで生活した事実は変わらない。
藍は煙草を携帯灰皿に入れてから、静かに僕との距離を縮めて柔らかく手を握ってきた。
「行人、いつでも私のところに戻ってきていいからね」
微かに煙草の香りが鼻についた。
その瞬間、頭に浮かんだのは秋穂だった。
口もとが緩んでしまったのが分かった。僕はゆっくりと藍の手を振りほどいた。
――――――――
一度、秋穂が暗い顔で帰ってきたことがあった。
一緒に暮らしはじめて一ヶ月が過ぎた頃だった。
僕が何を尋ねても「うん」としか言わず、早々に部屋に閉じこもってしまった。
家事を一通りこなした後に、夕飯を作り秋穂の部屋をノックした。
返事はなかったけれど無視して開けた。
部屋は暗かった。
扉を開けたものの、入る訳にもいかず僕は何でもないことをペラペラ喋った。
暗がりで見る限り、秋穂は着がえもせずベッドにうつ伏せになって、まくらに顔をうずめていた。
何を喋れば秋穂が顔を上げてくれるのか僕にはさっぱり分からなかった。
「××」
くぐもった声で秋穂が言った。
「なに?」
「私のこと、好き?」
あきらかに聞き取れなかった言葉とは違っていた。
「好きだよ」と僕は言った。
「どのくらい?」
「秋穂が想像しているよりも、ずっと」
「いつから、好き?」
「はじめて会った時から」
「嘘」
僕は少し笑った。「いつからかなぁ、うーん。分からないな。
気づいたら、好きになっていたよ」
「でも、××できないって言ったじゃない」
「え? なに?」
また聞こえなかった。
「ねぇ、私のどこが、好き?」
「少し小柄なとこ、好奇心は人一倍なとこ、妙に捻くれてるくせに素直で、実は意地っ張りなところ」
正直なことを言えば、秋穂の好きなところなんて一日中語っても足りる気がしなかった。
「……そっか」
擦れた声で秋穂が言った。
僕は部屋に入って秋穂の手を握った。
秋穂が僕の手をしっかりと握り返したと思ったら、体を起こして僕を無理矢理ベッドに引きずり込んだ。
「ちょっ……」
と言う頃には僕はベッドの上に横たわり、秋穂に抱きつかれていた。
「今日は、このまま眠らせて」
「うん。おやすみ」
秋穂を大切に抱きしめ、空いた手で彼女の頭を撫でた。
一緒に秋穂と眠った後も僕は変わらず、ナンパをしたし他の女の子とセックスをした。
ただ、僕はあの日から他の女の子と一緒に眠らなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます