2013年【行人】「ねぇ行人くんって万引きしたことあるかい?」

 毎週金曜日は秋穂が両親と夕飯を食べる約束になっていた。

 大学生の秋穂が父の書斎代わりのマンションに僕と一緒に住む条件の一つだった。両親と夕食を一緒した秋穂はそのまま実家に泊まって帰ることが多かった。


 その為、金曜日の夜は居酒屋へ行くか、お金がなければ冷蔵庫の余り物で済ました。

 今日は走り屋の集まりに参加した後だったので、帰路についたのは夜の十一時を過ぎていた。一緒に走り屋の集まりに行った秀は彼女と会うからと帰ってしまった。


 夕方に夕食を軽くとってはいたけれど、腹は減っていた。

 夜の一時までやっている居酒屋に寄った。

 秋穂のいない部屋に帰るのが、なんとなく嫌だという思いもあった。


 店内に入ると、カウンターに見知った顔が座っていた。


「やぁ。今日は随分、遅い時間に会うね」


 スーツ姿の田中さんは少し赤みかかった顔で笑った。


「そうなんですよ。隣、良いですか?」


「どうぞ」


「結構、飲んでいるんですか?」


「明日は休みなんでね。気兼ねなく飲んでいるんだよ」


 なるほど、と僕は席に座り、おしぼりを持ってきてくれた店員に「ビールを」と言った。

 店内には僕ら以外にも二組テーブルでお酒を飲んでいた。

 どちらもスーツを着た中年男性だった。


 三十分くらい僕らは普通にお酒を飲んだ。

 田中さんの別居中の奥さんの話や、僕がナンパした女の子の話など、互いに思いついたことを脈略もなく喋った。

 僕のビールも二杯目に差し掛かって、田中さんが日本酒に移った時だった。


「ねぇ行人くんって万引きしたことあるかい?」


 突拍子のない話題に僕は動きを止めた。

 そんな僕を無視して、田中さんは赤らんだ顔で滔々と続けた。

 その話をまとめると以下のような内容だった。


 地元を離れていた昔の同級生から連絡があり、一緒に飲みに行った。

 海老嫌いが相変わらずの同級生がふと

「お前、変わってないな。詰まらない奴のまんまだわ」

 と笑った。

 天気の話でもするような軽い物言いだった。田中さんは学生時代にもそう言われたことを思い出した。


「本当にね、それが私の美点だと言わんばかりの清々しい顔で言うんだよ。

 あんまりな奴だろ?

 でもね、それが彼にとって私への最大の褒め言葉だって本気で信じているんだよ」


「なるほど」


「お酒も進むとさ、そいつ別居している私の家内に電話をして

『相変わらず、こいつ詰まんねぇよ』

 って嬉しそうに言うんだ。やめろって言うのに、やめないんだよね。

 勘弁してほしかったよ」


「あ、でも、その時、奥さんと少し喋れたんじゃないですか?」


「まぁ二言、三言だけね」

 と言った田中さんの頬は少し崩れていた。


 田中さんの同級生はいい仕事をしたな、と思った。 


「でね、私が詰まらない奴だってのは分かった。

 だけど、ずっとそうあり続ける必要はないじゃないか? 詰まらない奴っていう枠組みから抜ける為に何かしてみようと思ったんだよ」


「それが万引きですか?」


「スリルがあるだろ?」


「刺激を求める中学生には有効かも知れませんけど」


「行人くんは、幽遊白書って漫画を知っているかい?」


 話題があっちこっちに行くなぁ、と思いつつ僕は頷く。


「娘が持っていたから読んだんだけど、面白いよね。屋台のラーメン屋になりたくなるよ」


「ん、田中さん、娘さんがいるんっすか?」


「いるよ、二人。

 一人は東京、もう一人は家内と一緒に住んでるよ」


 田中さんの娘さん。

 意外とこういう人の娘は美人だったりするんじゃないだろうか。


「いや、まぁ娘の話は良いんだ」

 と田中さんは言った。「幽遊白書の中で私が好きなキャラクターは桑原なんだよね。

 最初の方のエピソードで、桑原が不良たちに猫を取られてしまうってのがあるんだ。

 猫を返してほしかったらコンビニで雑誌を万引きして来いと、不良たちに言われてしまうんだ。桑原も不良だけど、万引きはできないんだよね。

 だから、買った雑誌を不良たちに見せて、万引きしたって嘘をつくんだ。

 でも、詰めが甘くて万引きしなかったことが不良たちにバレてしまう」


「ありましたね」


「つまりね、お金を置いて万引きをすれば誰にも迷惑をかけずにできると思うんだよ」


 それは万引きとは言わない、と僕は口にしなかった。


「ちなみに、どこで万引きするんですか?」


「当然コンビニだよ」


 当然なんだ。


「本気なんですね」


「ああ! 私は深夜のコンビニを襲うぞ!」


 田中さんが拳を振り上げた。勘違いした店員が注文を取りにきた。

 田中さんは戸惑いながら、バニラアイスを注文した。

 何故か僕の分も頼んでくれた。


 店員が去ってから僕は

「コンビニを襲ったらお祝いをしましょう」

 と言った。


「ああ、もう詰まらない奴とは言わせないぞ!」


 万引きして詰まらない奴というレッテルから逃れられると考えている時点で「詰まらない奴」

 という考えは田中さんの中にはないようだった。

 田中さんが注文したバニラアイスが運ばれてきて、男二人でそれを食べた後に僕は言った。


「田中さん、僕は万引きしたことありませんよ」

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