2013年【行人】「ロマンはどこ行った?」
岩田屋町には『情熱乃風』という走り屋グループがあって、そこで「MR2の赤グラサン」と呼ばれていたのが優子の彼氏、川島疾風だった。
そう教えてくれたのは秋穂だった。
最初、僕は情熱乃風もMR2の赤グラサンも、映画か何かの話かと思った。
けれど、どうやら現実らしい。
「秋穂も、いろいろ調べてんの?」
と僕は尋ねた。
「ううん。元から知ってたの」
秋穂はぬるくなったはずのビールを飲んだ。「昔、一人で走り屋みたいなことをしていた時期があったから」
秋穂が走り屋。
まったく想像がつかない。
まず、秋穂が単車の免許を持っていることが意外だった。
「MR2の赤グラサンは本当に速かったんだよ」
「へぇ」
過去形で語るのが少し引っかかった。
「それが川島疾風さんって言うのは初めて知ったんだけど」
「ん?」
「うん?」
今の呟きの矛盾に秋穂自身が気付いていない。
どういうことだろう?
と思ったが、「何でもない」と言葉を濁した。
「そういえば、母さんから中学三年の頃の同窓会の案内が来たって話を前に電話でもらってさ。
秋穂のところにも来てた?」
「どーだろ? 最近、実家に帰っていないから、まだ分かんないや」
「日にちとか、場所とか分かったら僕にも教えて」
「うん、分かった」
――――――――
情熱乃風はすでに解散していたが、車やバイク好きの界隈では割と有名だった。
今でも走り屋の集まりに行けば元メンバーに会える、と友人の秀に教えてくれた。
秀は走り屋の集まりに度々参加していたので、直近の集まりに連れていってもらう約束をした。
「行人ってさ、免許持ってたっけ?」
約束の日、近所のコンビニで待ち合わせをし、顔を合わせた秀の第一声だった。僕はコンビニで買ったお菓子やジュースの袋を秀に渡した。
「持ってねぇよ」
秀の車の助手席に座った。車内は僅かに煙草の香りがした。
「取らねぇの?」
秀がエンジンをかけ、車を動かす。
「金がなぁ。車とかあるとナンパはしやすいんだろーけど」
「お前の中心はナンパなのな」
「は? 違げぇよ。女が僕の世界の中心なんだよ」
「ふーん。どう違うのか分からん」
「ロマンの分からんやつめ」
「じゃあ、女なら誰でも良いわけ?」
「んー、割と」
「ロマンはどこ行った?」
それから秀は最近デビューしたAV女優について語り出した。
僕はあまりAVに詳しくないので聞き役に徹した。
走り屋の集まりはカラオケの駐車場だった。
夜の十時をまわり、集まった車やバイクの数は数十台あった。
警察を呼ばれてもおかしくない光景だった。
秀はすぐに友人を見つけて声をかけに行ったので、僕も手近な人に声をかけた。
秋穂の話題の端々から予想はしていたけれど、優子の彼氏「MR2の赤グラサン」は情熱乃風が解散してからは集まりに参加していなかった。
話を聞いていってみると、
「MR2の赤グラサン」は昔やくざの運び屋をしていて警察に追いかけられ、町中をカーチェイスして勝ったとか、
運転技術を見込まれて映画のレースシーンのキャストとして参加したといった、嘘っぽい話しか出てこなかった。
ここでもやくざか、と僕は少しうんざりした。
誰も現在の「MR2の赤グラサン」こと川島疾風を知っていないようだった。
ただ、一人から川島疾風の行方を探している情熱乃風の元メンバーがいた、という話を聞いた。
僕以外にも川島疾風を探しているのなら、情報交換ができる。
その人の名前と連絡先を尋ねたが、曖昧に話を濁されてしまった。
そんな中、ロードスターを走らせているチャラそうな男が「MR2の赤グラサン」を最近見たと言った。
「久しぶりに女を乗せて峠を攻めたくなったんだよね。
そこで見覚えのあるMR2が後ろから来ててさ。伝説の先輩だってすぐ分かったよ。結構、良い戦いだったんだけどねぇ。伝説は伝説ってね、もうすっごい勢いで追い抜かれちまってさ。
ははは」
何が、「ははは」だ本当は悔しいのを茶化した丁寧語で誤魔化しているようにしか聞こえない。
ただのチャラ男じゃないと分かって僕は毒気を抜かれてしまった。
けれど、すぐに
「前歯を折ってる女の子ってフェラチオのときに凄い刺激があるっていうけど、本当だと思う?」
という話に変わったので、脳内ピンクのチャラ男であるのは間違いなかった。
「いや、どーか分かんないですけど。MR2を見た日って、いつか覚えています?」
チャラ男の言った日付は秋穂が中谷優子と川島疾風を最後に見た日と重なった。
「ねぇ君ってさ。時々、駅前とかでナンパしてない?」
チャラ男が言った。
「してますよ」
「明日さ、スト師の集まりがあるんだけど。君も来ない?」
「スト師ってなんですか?」
「ん、ストリートナンパ師の略」
なるほど、面白そうだ。
「良いですね」
その場で僕はチャラ男こと、フジくんと連絡先の交換をした。
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