2013年【行人】「他の女の臭いがする」
「他の女の臭いがする」
マンションに戻ると玄関に秋穂の靴があって、リビングに入るとテーブルで秋穂がノートを広げていた。
深夜の一時を少し過ぎていた。
他の女の臭いってなんだ?
と思ったが深入りは避けた。
「今日は実家に泊まらなかったの?」
「明日、スーパーのバイトだし、大学のレポートでやらなきゃいけないのもあったから」
「そっか」
よく見るとテーブルの上には教科書やプリントなどが広げられていた。
「コーヒーでも淹れるね」
と僕はキッチンに立った。
コンビニの袋に入った新作のチョコレート二つと缶コーヒーを冷蔵庫の中にいれた。
テーブルにマグカップを置いた時、秋穂の表情を盗み見ると実に不機嫌そうだった。コーヒーを飲んだら早々に退散しようと決めた。
「またナンパしてたの?」
「いや、田中さんと飲んでた」
「田中さん?」
「幽遊白書が好きな中年男性」
「ふーん」
僕は幽遊白書で誰が好きだろう、
としばらく考えてみたが、これというキャラは浮かんでこなかった。
秋穂は手を止めてまだ僕を見ていた。
「ねぇ、優子さんのこと。何か分かったでしょ?」
「なんで?」
「そういう顔してる」
どういう顔だろうと思ったが、余計なことは言わずに頷いた。
「教えて」
「まだ駄目」
秋穂が僕を睨んだ。
僕はコーヒーを飲み続けた。
「行人ってそーいうところあるよね」
「そういうところって?」
「んー」
考え込むことで秋穂が落ち着いていくのが分かった。
「そういえば、コンビニで新しいチョコ見つけて、買ったんだ。一緒に食べない?」
「……むっ」
秋穂がチョコレートに目がないのは、幼稚園の時から知っている。
バレンタインの時、何故かチョコをねだられて買わされたこともある。
か細い声で
「食べる」と秋穂は言った。
僕が少し笑うと、「なによ」と秋穂がいじけた。
「いや、可愛いなって思って」
「馬鹿にしてるでしょ」
「そんな訳ないじゃん」
むーっと膨れている秋穂をよそにキッチンからコンビニで買った新作のチョコを一つ取りに行った。
「そういえば、同窓会の案内きてた?」
チョコの箱を開けつつ、僕は尋ねた。
「きてたよ。はい」
とノートの間に馳せていたハガキを秋穂は見せてくれた。
「ありがと」
と言って日付、場所と確認した。
行けないことはない。
けど、会いたい人間がいるかどうか、と考えると悩んでしまった。
「秋穂は行く?」
「んー、中学三年って行人以外に親しくしてた人って今でも連絡を取ってたりするからなぁ」
言いつつ、秋穂はチョコを口に入れていく。
「あ、そういえば、行人。宮本くん、覚えている? 宮本歩くん」
突然の懐かしい名前に僕は動きを止めてしまった。
「行人?」
「覚えてるよ、懐かし過ぎて。
ちょっと、脳の活動が停止してたわ」
「それは、びっくりだね。宮本くんにお姉さんがいてさ」
知っている、と内心で応える。
「そのお姉さんが今、私たちが通っていた中学校の先生をしているんだよ」
「へ?」
「まだ新任らしいけど、評価は良いんだって。お父さんが今日そう言ってたんだ」
「そっか」
宮本美紀。
兄貴の元カノ。何度か僕の家に訊ねてきたことがあった。
少し恐いくらい完璧な礼儀正しさを備えていて、兄貴の手におえる人じゃないと思ったのを覚えている。
実際、半年と経たずに別れた。
「ミヤ、元気かな」
自然と彼の愛称がこぼれた。
「行人はあれから、彼とは喋ってないんだっけ?」
「うん」
ミヤは中学三年に上った四月から登校しなくなり、お見舞いに行っても一言だって言葉を発さなくなった。何度も彼の家に通う僕に対し、ミヤは「気にすんな」というメモ用紙を差し出した。
これ以上はどうしようもない、と思った僕はミヤが自ら話かけてくるのを待つことにした。
けれど、その待機は現在まで続いている。
「今度、お姉さんの方に聞いてみたら?」
「うん。そーしてみる」
もしかすると、兄貴の行方も美紀さんなら知っているかもしれない、そんな淡い期待が僕の中に芽生えた。
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