いってらっしゃい
話をきいていちばん驚いたというか予想外だったのは、ユキがオレのしたことについてあまり不服に思ってはいなかったということだった。
「そりゃ勝手に連絡されたのは嫌だったけど、わたしも正直あの状態で山に登るのはムリだって思ってたし、コウに迷惑かけたくなかったから」とユキはあっけらかんと語った。
ならどうしてあんな冷たい雰囲気を漂わせてオレを病室に招いたのか尋ねると、返ってきた答えは「おもしろかったから」だった。
言葉を選ぼうとしている様や、言い返したくても言い返せない状況を見て笑いをこらえるのに必死だったらしい。
「いやー、そっかー。コウはわたしのこと好きなのかー。いやー、道理でわたしを見る目がいやらしいと思った」
オレが本当の気持ちをうちあけてからユキはずっとこんな感じだ。
さすがにそろそろなにか言ってやりたくなってきた。
「おまえはどうなんだよ?」
「なにが?」
「オレのこと……す、好きなのかよ?」
「んー?」
ユキはニコリと笑って答えをはぐらかした。
「ときどきはちゃんと言葉にするべきだ」
「ときどきはね。だから今はいいの」
すっかり会話の主導権はユキに握られていた。
悔しいので、オレは話題を変えることにした。
「なあ、杉原のことなんだけど」
「ああ、杉原くん。昼間きてくれたよ」
「え?」
「大きな病院だし、調べればすぐわかったって」
「……じゃあこの紙もいらなかったんじゃないか?」
オレは三枚の紙きれをポケットから取り出す。
「それ。みつけてくれたんだ」
シンギングバードの隣。サブライムハーモニーについて書かれたシリンダーオルゴールの間。レストランのメニュー表の下。
ミュージアムにあったそれらの紙きれを合わせると、この病院の名前になった。
「こんなの、いつ隠してたんだよ?」
「さあ?」
「まあ、おかげでここにこられたんだけどな」
「ホントだよ。調べるにしたってケータイの電池がないんじゃね。これからはちゃんと充電しといてよ?」
「はいはい」
オレはサイドテーブルの充電器からケータイを引き抜く。
電源を入れると、杉原からのメッセージがポップアップで表示された。
「……なあ、杉原となに話してたんだ?」
「んー? べつにー」
そう言いながらユキがケータイの画面をのぞき込んでくる。
「ねえ。『コウの勝ち』って、なにに勝ったの?」
「……べつに」
「ふーん。まあ、いいけどさ。これからはちゃんとわたしのお願いきいてよね?」
「お願い?」
「だってコウはわたしに許してほしいんでしょ? そのために条件を呑んでくれるって」
「条件ってひとつじゃなかったのかよ?」
「ひとつなんて言ってない」
そう言われてしまうと、オレはもう頷くしかなかった。
「……わかったよ。で、なにかあるのか?」
「うーん、そうだな。とりあえず……明日からはちゃんと学校にいくこと」
「おまえはオレの母親かよ」
「いつか奥さんになる恋人だよ?」
「……」
「ねえ、コウ。言ってたよね。学校でわたしのこと待っててくれるって。だからコウにはちゃんと学校にいって社会復帰してほしいんだ」
「……ああ、そのつもりだよ。ミュージアムのゴミと私物は整理してきた。今日はこのまま家に帰る」
「うん。じゃあ、もう帰って」
「は?」
パン、とユキに背中を叩かれてベッドから落とされる。
「なんだよ。まだいいじゃないか」
「とりあえずお風呂入ってきて」
「……そんなにヘドロか?」
クスクスと笑いながらユキは言った。
「もうすぐ、おとうさんとおかあさんがくると思うから」
「……ああ、そういうことか」
それはたぶん、ユキなりの気遣いなのだろう。
「……わかった」
オレは潔く病室を出ていこうとした。
けれど、ふと思いついて足を止めた。
「なあ、ユキ。交換しとこうぜ。ID」
「ID?」
「メッセージとかやりとりできるようになるからさ」
「あー」
ユキは首を横に振った。
「それはやめとく」
「どうして?」
「どうしても」
交換しておいたほうが便利だし、夜になってもやり取りができる。だからオレには断る理由がよくわからなかった。でもユキがそういうのならムリに交換する必要もないと思った。
これからはまた、ここでこうして会えるのだから。
「ねえ、コウ」
「なんだ?」
「いってらっしゃい」
なにげない言葉にドキリとする。
まるで本当の夫婦になったみたいだ――なんて考えるのはさすがに恥ずかしいけど。
でもまあ、だいたい、そんな感じだ。
「ああ、いってくる」
ユキはきっと家に、あるいは学校に送り出すつもりでその言葉を口にしたのだろう。
けれど家に帰るよりも先に、オレにはやるべきことがあった。
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