わたしと結婚してくれる?
昇った日が落ちていき、空が夕焼け色に染まり始めた頃。
オレはミュージアムを出て山を下りた。
蔓延したむし暑さが七月の季節を実感させた。
辿り着いたのは、町の中心からすこし外れたところにある大病院だった。
「…………」
往来する車を物陰から何度も見送った。
深呼吸をして、覚悟を決める。
院内に入ると心地よい冷風が汗を乾かした。
向かったのは院内の案内所。
「あの、渡来ユキさんはこちらの病院にいますか?」
ナースは特に調べることもせず「ええ」と頷いた。
オレは抱えていた小包を彼女に渡す。
「これを、ユキさんに渡してもらえませんか?」
中を確認することもなく女性がそれを受けとろうとしたとき。
「…………コウ?」
背後で、聞き覚えのある声がした。透きとおるような声だった。
振り返ることができなかった。
声の主はオレのほうに近づいてきて、渡そうとしていた小包を手にとる。
「…………ユキ」
オレの隣にいたのは、車イスに座ったユキだった。
「きて」
そう、ユキに言われて、オレは彼女のあとに続いた。
エレベーターに乗って六階の病室へ。
途中、会話はなかった。カラカラと回る車輪の音だけがきこえていた。
ユキは病室の扉を開け、ベッドの前までいくと、両手を使ってベッドに移る。
ベッドには足首を乗せて両足を浮かせていられる台が取りつけられていた。
「…………なあ、ユキ」
「なにが入ってるの?」
ユキが小包を掲げる。
「オルゴール」
「オルゴール?」
「オレが、作ってみた」
ユキは包みの中からそのオルゴールを取り出す。
それは木の板にネジでシリンダーと振動版を固定しただけの、お世辞にもキレイとはいえない粗末なオルゴールだった。
「作れないんじゃなかったの?」
「他のオルゴールをいくつか分解して部品にした」
「ふーん」
ユキはオルゴールを横に置いた。
「じゃあ、これは?」
ユキが包みの中から便箋を取り出す。
「……手紙」
「読んで」
オレは自分で書いた手紙を声に出して読んだ。
「『ユキと一緒に山頂にいくって言っておいて、いかなくてごめんなさい。ユキのご両親に連絡したのはオレです。正直、あの状態のユキと山頂まで登れる気がしませんでした。だから病院でしっかり治療を受けて、回復してほしいと思いました。全部オレのわがままです。会ってちゃんと謝りたいです。もしきいてくれるなら、一度連絡をください。会いにいきます。せめてもの気持ちとして、ユキがほしいといっていたオルゴールを作ってみました。既製品のほうがよかったら替えもあります。いろいろと、ごめんなさい』」
ユキがサイドテーブルに置いてあったケータイを手にとって耳に当てた。
それからすこしして、オレのポケットを指差す。
オレはポケットから充電の切れたケータイを取り出して耳に当てた。
「もしもし」
ユキがケータイに向かって語りかける。
「もしもし」
オレはケータイに向かって返事をする。
「電池切れてると、繋がらないよね?」
「ごめんなさい」
「あと、文才、ないですね」
「ごめんなさい」
「会って、なにを言うつもりだったの?」
きかれて、戸惑う。
……オレはユキになにを言うつもりだったのだろう?
なにを謝るつもりだったのだろう?
ユキの願いよりもオレの願いを優先したことか?
ユキに体調を治してほしいと願ったことか?
それは、まちがっていることなのだろうか?
オレはまだその答えを出せていない。
だからオレは、結局、ユキの前で頭を下げることしかできなかった。
ユキのため息がきこえた。
「ねえ、コウ。わたし、怒ってるし、悲しんでるんだよ?」
「……ああ」
「どうしてわたしがあのミュージアムにいること教えちゃうかなー」
「それは…………ユキのことが、心配だったから」
「自分が怒られたり殴られたりするかもしれないことよりも?」
「ああ」
「そっか」
ユキがオルゴールを手にとるのが見えた。
「このオルゴール作るのに、どれくらいかかった?」
「そんな見た目だけど、半日くらいは」
「じゃあ、朝からずっとこれを作ってくれてたわけだ」
「風呂にも入ってない」
「だから今日も病院にヘドロみたいな匂いをまき散らしてるんだね」
「……」
「ねえ、コウ」
ぎーぎーと、せんまいの巻かれていく音がする。
「この音、どんなふうにきこえる?」
「…………願いを叶えるための音?」
「今のコウの願いは?」
今の、オレの、願い。
それはたぶん、飾らず言葉にすればひどくみっともない、自分本位なものになる。
「…………ユキに、許してほしい」
ユキに病気を治してほしい気持ちも、ユキが溜め込んでいる怒りや悲しみをオレにぶつけてほしい気持ちももちろんある。
だけど結局、今いちばんオレの中にハッキリとあるのは、ミュージアムにいたときのようにまたユキと一緒にくだらない話ができる関係にもどりたいという願いだった。
これは本当に勝手な言い分だと自分でも思うけれど、でも。オレはユキに嫌われたくなかった。嫌われて当然のことをしておいて、それでもユキに許されたかった。ユキに拒絶されたくなかった。
だって、オレは――。
「ねえ、コウ」
カチッ。ぜんまいの止まる音がする。
「わたしに許してほしいなら、条件がある」
「条件?」
「あの日の返事、きかせてよ」
ユキがぜんまいから指を離す。
病室に流れ出した「結婚行進曲」はまるであの日の続きを再現しているみたいだった。
「これ、好き」
愛おしそうにオルゴールを見つめながらユキが呟く。
オレが黙っていると、ユキがむっとした表情でこちらに顔を向いてくる。
「好き?」
オレはあの日と同じ答えを口にした。
「ああ。好きだよ」
「じゃあ、わたしのことは?」
ユキの黒い目がオレのことを見つめていた。
その目は、オレの心根だけじゃなくて、自分の未来さえも覗こうとしているようだった。
オレの中に自分を投影しようとしているみたいだった。
「…………オレは…………」
ユキの手のひらの上でゆっくりとぜんまいが回っている。
終わりに向かって「結婚行進曲」が進んでいく。
「……」
ユキの目が、オレから逸れようとした。
ここで言わなければ、本当に、あの日見つけた言葉を二度と伝えられなくなってしまう気がした。
だからオレは大きく息を吸い込んで、胸のいちばん深いところにしまっていた想いを口にした。
「オレはおまえが好きだ」
逸れかけたユキの目がはっと開いて、透明な水晶体にオレを映す。
「……ホントに?」
「ああ。本当に」
「どうして?」
「え?」
理由なんて、わかるわけない。
それはなんというか、考えの及ばないところにあるものだから。
ハッキリとした言葉にしようとすると、本当のことからズレてしまいそうな気がする。
……って、ああ、そうか。だからユキの言葉はいつも漠然としてきこえたのか。ウソのない言葉を口にしようとしていたから。
「……うまく、伝えられない」
「それでも、ときどきはちゃんと言葉にするべきだよ」
オレたちの「結婚行進曲」が終わっていく。
沈黙をゆるやかにかきまぜる曲が、止まろうとしていた。
「じゃあ、どのくらい好き?」
「どのくらいって……」
「わたしと結婚してくれる?」
そのセリフを、ユキは極めて真面目な顔で口にしていた。
ここで一瞬でも怯んだら、たぶんユキを不安にさせてしまう。自分の気持ちに陰りが差してしまう。
できるかどうかじゃない。きっと大事なのは気持ちだけだ。
「ああ、結婚してやるよ」
その日オレたちは仲直りの証として結婚の約束をした。
そうすることで、自分たちの未来を担保しようとしていたのかもしれない。
オレはユキの隣に招き入れられ、そうしてすこしの間、二人だけの時間を過ごした。
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