ユキの様子はどうだった?

 病室を出てエレベーターで一階まで下りる。

 それから入口近くのベンチに腰を下ろして過ごすこと十数分。

 自動ドアの向こうある駐車場の影に、二人の姿をみつけた。

 夕闇でぼやけていた輪郭が次第にその形を取り戻し、ゆっくりとこちらに向かって近づいてくる。


 心臓の鼓動が早くなっていた。

 涼しい院内でじっとり冷たい汗をかく。

 オレはベンチから立ち上がり、姿勢を正して二人を待った。

 中と外とを区切るひとつ目の自動ドアが開いたあたりで、二人はオレに気づいたようだった。


 二人の足が止まった。

 目を合わせたまま、数秒のときが流れた。

 そして、ふたつ目の自動ドアが開き、ユキの父親と母親が中へと入ってきた。

 オレはその場で膝を折り、一昨日と同じく額を床にこすりつけた。


「――――申し訳ありませんでしたッ‼」


 絞り出した声が固い床にバウンドして院内に響き渡った。

 緊張で足が震える。恐怖で手が震える。不安で声が震える。

 何人もの視線を感じた。ひそめられた声が雑音として耳に入ってきた。


「オレの……ちがうッ!」


 奥歯を噛んだ。くだらない羞恥心で、大事なことを蔑ろにしてしまわないために。


「僕のせいでユキさんの発見が遅れてしまったこと……心から申し訳なく思っていますッ! すいませんでしたッ‼」


 ユキはオレの謝罪を簡単に受け入れてくれた。

 うれしかったし、おかげで心もずいぶんらくになった。

 だけど、ユキだけに許されて舞い上がっているわけにもいかない。

 ユキのことを大切に思っているこの二人にも、オレはちゃんと謝って、話をするべきだった。たとえ許されなくとも。

 それが、オレがユキのことを大切に思うために踏むべき順序であり、最低限の責任だと思った。



「……頭を上げなさい」



 ユキの父親に言われて、オレは静かに頭を上げる。


「かあさんは先にいっててくれ」


 オレの横をユキの母親が通り過ぎていく。

 ユキの母親は最後までオレのほうを見ようとしなかった。


「……荻原コウくんだね」

「はい」

「すこし、話そう」


 ユキの父親は近くの売店で缶コーヒーを買ってきてオレに渡した。

 正直、まともに話してさえくれないと思っていたので驚いた。


「座りなさい」


 言われるまま、オレはベンチに腰を下ろす。

 それとほとんど同時だった。

 最初、オレはいったいなにが起こっているのかわからなかった。


「……こちらこそ、申し訳なかった」


 目の前で、ユキの父親がオレに向かって深々と頭を下げていた。


「……えっ、いや、ちょっと……!」


 慌てて頭を上げてもらおうとするオレに、ユキの父親は言った。


「ユキからきいた。ユキは自分の意志で、キミがいるミュージアムにいたのだと。なら、わたしのアレは、ただの一方的な暴力だったことになる」

「いや、もっとオレ……僕には、はやく連絡することもできたから」

「でもキミはそうしなかった。それはユキの意志を尊重してくれたからだろう?」

「……」

「できることなら、ここでキミに何発か力いっぱい殴ってほしいと思っている」

「いや、それは……」

「わかっている。だからこうして頭を下げることで、なんとか許してほしいと考えている。一方的な勘違いでキミを殴ってしまい、本当にすまなかった」


 話をきいてみても、オレにはユキの父親が頭を下げなければいけない理由なんてあるように思えなかった。

 ユキのことをずっと探していたのは杉原からきいている。大事な娘をみつけて、それを匿っていたやつをみつけたら、たぶんオレでも殴る。どうして匿っていたかなんて関係ない。その結果どうなるかが問題なのだ。

 その結果、ユキの病状は日に日に悪くなっていった。

 いちばん悪いのがだれか、なんてことじゃない。オレに落ち度があるから殴られたのはまったくしかたのないことだし、そこに文句なんてオレはないんだ。


「お願いですから、頭を上げてください」


 再三頼んでようやくユキの父親は頭を上げてくれた。

 そしてオレが座っていたベンチの横に腰を下ろした。


「ユキの見舞いにきてくれたのか」

「はい。きてもいいのか、悩みましたけど」

「ユキの様子はどうだった?」

「え?」


 ユキの様子……最初車イスに乗って現れたときは内心かなりびっくりした。

 でも、病院でなにか治療を受けたのか、声も出るようになったようだし、水泡も、そういえばあまり気にならないくらいの量になっていた。


「順調に回復しているみたいで、安心しました」

「そうか」


 ユキの父親は自分のぶんの缶コーヒーを口に含む。

 オレも渡された缶のプルタブを捻った。


「声が出るようになってから、ユキにずいぶん怒られてね。キミに謝るまで口もきかないと言われたよ」

「それは、なんというか……すいません」

「キミはユキとあのミュージアムでどんな話をしてたんだい?」

「ユキの……ユキさんの昔の夢の話とか。僕が知ってるオルゴールについてとか」


 ユキとオレが話していたことなんて、だれかに語れるほどたいした内容じゃない。

 その日の飯で揉めて。その日の天気を嘆いたりよろこんだりして。ときどき思い出したみたいに自分のことを話したりしていた。


「……山頂にいきたい、とか」

「山に登りたいなんて、それまでちっともユキは口にしてなかったんだ」

「そうなんですか?」

「家を出る前の日には海にいきたいとか言っていた」

「それは願いが散らかってますね」

「おそらく、べつに山じゃなくてもいいんだろう」

「僕もそう思います。ユキ、最初は山頂にいきたいって言ってたけど、だんだんその願いも薄らいでいったみたいで。ふつうにオレと話してるほうがいいとか言ってました」

「そうか」

「まあ、山なんて体調がよくなってから登ればいいですし」

「そうだな」


 ユキの父親はグイとコーヒーを飲み干して近くのゴミ箱に捨てた。


「これからも、ユキに会いにきてやってほしい。わたしたちよりもきっとキミがきたほうがユキもよろこぶだろう」


 そういって立ち上がるユキの父親の背中が、ひどくくたびれて見えた。


 ユキの病室へと向かう彼が、ポツリと。


 呟くように残していった言葉がずっと耳から離れなかった。



「…………あと、一か月の命だそうだ」

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