いこう、この山の頂上に

 次の日、オレはユキに手を引かれてミュージアムを出た。


 晴れ渡った青い空に浮かんだ太陽がオレたちを眩しく照らしていた。

 ユキの白い肌が一層白く見えた。


「ああ、わかってる」


 ユキが服の袖を引っ張ってくる。

 はやく山頂にいきたくてしかたないらしい。

 オレはひさしぶりにユキのたのしそうな笑顔を見た気がした。

 声が出なくても、ユキは幸せそうだった。


 胸の奥が、ズキリと痛んだ。


「……なにしてんだよ」


 ユキはミュージアムのほうに向かって深々と頭を下げていた。

 おれい、とユキは口パクで言った。

 そしてオレの手をぎゅっと握って山の上を指さした。


「……ああ、そうだな」


 できるだけ自然な笑みを向けて、オレは言う。


「いこう、この山の頂上に」


 そしてオレたちはゆっくりと歩き出した。

 庭園を通り過ぎ、駐車場を抜けて。どんどんミュージアムが遠くなっていく。


「……なあ、ユキ」


 ユキがオレのほうに顔を向ける。

 彼女の腕から。足から。首から。背中から。朝空に無数の水泡が昇っていく。

 すぐ近くにいる彼女の顔が、だんだん滲んで見えなくなってくる。


「――?」


 ユキが心配そうな表情でオレの名前を呼んだ気がした。

 オレはユキに言った。



「…………ごめん」



 けたたましいクラクションの音がきこえて、麓へと続く山道から一台の車が登ってくる。

 メタルブルーのコンパクトカー。

 それを見た瞬間、ユキの表情が逼迫したものへと変わった。

 グイと、精いっぱいの力でオレの手を引こうとするユキ。


「――」


 オレはその場で立ち止まった。

 ユキの手が、オレから離れた。


 目の前で車が止まって、中から二人の大人が飛び出してくる。

 ずいぶんやつれた女性と、白髪交じりの男性だった。

 女性はユキのところに駆け寄ってその身体をきつく抱きしめる。

 男性は目の端を吊り上げたままオレの前まできて、握りしめた拳を振り下ろした。


「……!」


 ぐらりと、脳が揺れた気がした。

 気づいたとき、オレはアスファルトの上にたおされていた。

 そのまま、オレの上に跨った彼に数発殴られた。

 口の中でする血の味が濃くなっていく気がした。

 急に重たくなって塞がってしまいそうになる瞼をこじ開ける。


 ユキの身体を傷つけないように、足を地面につけないように気をつけながら、二人はユキを担いで車に乗せていた。

 ユキはずっとオレのほうに手を伸ばしていた。

 ひどく、悲しそうな顔をしていた。


 オレは膝を丸めて額をアスファルトにこすりつけた。

 車が発進して、エンジン音が完全にきこえなくなるまで、ずっとそうしていた。


 ユキにも、ユキの両親にも、合わせる顔がなかった。

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