まるで人形だな、ルーシー
ドアを開けてすぐの通路にはピアノやオルガンといった自動演奏楽器の数々が所狭しと飾られている。ホールにあるものと違うのは、その動力だ。
「ここにあるのは全部電磁石が使われてる。だから今はもうさわっても動かすことができない」
「ホールのは?」
「あっちは“ソレノイド式”っていって永久磁石で動いてるものが多い。永久磁石は運動を記憶するから、電気が通ってなくても磁力でオルゴールを動かすことができるんだ」
「電気じゃなくて磁気でぜんまいを巻いてるってこと?」
「そういうこと」
「へえ」
オレはホールの扉を開け放つ。
レストランのガラス窓から差し込む拙い明かりが中を照らす。
「このホールは昔、オルゴールのコンサートに使われてたんだ」
「だからいろんな種類のやつが並べられてるんだね」
「ここにあるので教えてないものだと……あれとかか」
デライカDF26。ハーヴェストと比べるとかなり小型の手回しオルガン。
オレはオルガンの横に突き出たハンドルを片手で握り、それをゆっくりと回していく。
流れ出したメロディがハンドルを回す速度によって早くなったり遅くなったりする。
「小さいのもあるんじゃん」
「まあな」
膨れながら、零れ落ちていく音色に耳を澄ますユキ。
「いい音だね」
「やってみるか?」
「ううん。コウがやってて」
「なんだよ」
ユキはリズムに合わせて幸せそうにその場で身体を揺らしていた。
鳴らすばかりがオルゴールのたのしみ方じゃない――そんなことを教わったのはいつだったか。
そういえばオレも、自分で鳴らすよりきいているほうが好きだった。
「……」
ブックに書かれたコードの演奏を終えると、ユキはパチパチと拍手をした。
正直、そんなに褒められた演奏じゃなかったと思う。
元の曲を知らないし、記憶にあるじいさんの演奏を再現しようとしただけだから。
「いい曲だね」
「ああ」
ユキの感想はときどき漠然としすぎている。
でも、いやな気はしなかった。
「あとは、アレとか」
自動人形――あるいはオートマタ。
台の上に乗っているワンピース姿のからくり人形ルーシーが、オルゴールの音に合わせてダンスを踊る。
「このへんに……あった」
オレは人形の服の裏にあるぜんまいを巻いていく。
牧歌的なメロディが流れ出し、くるくるとルーシーが回り始める。
「あははっ! すごいすごい!」
手を叩いて驚きながらユキは言う。
「コウもやってみてよ」
「なにを?」
「ダンス」
「はあ? なんでオレが」
「いいから」
昨日の仕返しをされているみたいだった。
しかたなくオレはルーシーの真似をしながら手を上げ足を上げる。
「ふふっ! じょーずじょーず!」
「じょーずなわけあるか。ダンスなんてやったことないんだ」
「やってたじゃん。昨日、ここで」
「……おまえもやれ」
「えっ、ちょっ」
ユキの腕を掴んで爪先を上げさせる。そのまま放って、一回転。
人形にぶつからないようふんばろうとしたユキの姿勢が、偶然ポーズを決めたみたいになる。
「もう!」
「うまいうまい」
オレとユキはルーシーの周りで滑稽なダンスを踊った。
だれかに見られたら死んでしまいそうなくらい恥ずかしいけど、ここにはだれもいないから、恥ずかしさなんて気にせず素直に踊ることができた。
ユキも同じ気持ちであることは、彼女の表情が代弁していた。
やがて演奏が止まり、ルーシーは静かに踊るのをやめる。
オレもユキも片足を上げて、上半身をくねらせて、変なポーズで固まっていた。
「……ふふっ」
思わず笑みがこぼれる。
ユキも同じタイミングで笑おうとして、くらりとよろけた。
「わっ」
そして自然と、オレのほうにたおれこんできた。
「っと」
反射的に、彼女の身体を抱きかかえる。
ユキの心臓の音がきこえた気がした。
「大丈夫か?」
「……うん」
ユキがゆっくりと顔を上げ、青い瞳でオレのことを覗く。
「……大丈夫か?」
もう一度、オレは尋ねた。
「うん。大丈夫」
もう一度、彼女は頷いた。
「……」
「……」
ユキの匂いがした。雨とシトラスの匂いだった。
はじめて抱えたユキの身体は、まるで体重がないみたいに軽かった。
人の重さじゃなかった。空気を抱いているみたいだった。
そしてオレたちは、どちらからともなく離れた。
「……つぎは?」
と、ユキが言った。
「あ、ああ。次は……一階でも見てみるか?」
「うん」
オレはホールを出て一階へと向かう。
すこしして、ユキが階段の手すりを滑り下りてきた。
「着地」
スルリと下ろした両足を床につける。
履いている靴の先から水泡がこぼれ出る。
「なあ、ユキ」
「なに?」
「足、痛かったりしないよな?」
「痛かったら踊ったりできないよ」
そうだよな、とオレは頷いた。
「一階にあるのは、シリンダー式のオルゴールがいくつかと、あとはもぬけの殻になったショップと工房くらい」
「工房って?」
「昔は自分だけのオルゴールを作ろう、みたいなことをやってたんだ」
「コウ、もしかして作れるの?」
「まあ、たぶん。簡単なやつなら」
「作って!」
ユキがオレの手を握る。
大きな瞳でオレのほうを見つめてくる。
「わたし、コウにオルゴール作ってほしい!」
「ムリだよ。作るための部品がない」
「…………そっか」
残念そうに肩を落とすユキ。
それから彼女は、繕うように笑ったりしなかった。
たぶん、そんな余裕がなかったんだと思う。それくらい真剣な願いだったのかもしれない。
「……既製品でよければ小型のやつがいくつか部屋にあるから、ほしいならやるよ」
「いいの?」
「ああ」
「うん。じゃあ、ほしい」
ユキは自分を納得させようとするみたいに頷いていた。
「なら、三階にいこうか」
と、オレが階段を上ろうとしたときだった。
ガチャリと、ミュージアムのドアが開いた。
「いやー、濡れた濡れた」
ポタポタと雨粒を床に落としながら、担いでいたトートバッグをひと払い。
「下着だけだと捗らないだろうからローションももってきてやったぞ、コ、ウ……」
驚いた顔で立ち尽くすユキを見て、杉原もまた固まった。
互いに互いを指差して、首だけオレのほうに向けてくる。
「…………同級生」
ため息交じりに、オレはまとめて答えておいた。
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