ヘドロとシトラス

 オレが食事を済ませるまで、ユキはニコニコしながらこちらに向いて頬杖をついていた。

 オレが一日一食生活であることを伝えると彼女は驚き、それから露骨に落胆した。あわよくば夕飯もたかるつもりでいたらしい。


「お風呂は?」

「ない」


 しんじられないといった様子で「しんじられない!」とユキは言った。


「じゃあコウ、もう三か月も入ってないの?」

「ああ」

「だからさっきからずっとヘドロみたいな匂いがしてるんだ」

「……マジ?」

「ウソ」

「オレもウソだよ。山から下りたとき、たまに近くの温泉に浸かってる」

「たまに?」

「ボディーシートで拭いとけば二、三日は入らなくても平気だ」

「男子だなー」

「ガスも電気も通ってないんだ。しかたないだろ。というか、それくらい我慢できないなら女子に家出はムリなんじゃねーの?」

「我慢できないとはいってない」

「へえ」

「汗や汚れも水泡になって昇っていくから平気。ただ、あればいいなって思っただけ」


 ぷいとユキがそっぽを向く。


「…………トイレは?」

「あるよ。各階に水洗のやつが。一応」

「一応、ね」

「まあ、雨が上がるまでの話さ」


 話を切り上げてオレは立ち上がる。


「トイレ?」

「部屋」

「部屋って、自分の?」

「スタッフルームを借りてるだけだけど」

「えー、もっと話してようよ。せっかくの出会いなんだし」

「……」


 どうやらユキはちっとも気にしていないようだけど、こっちは正直さっきの件からまともに彼女の顔を見られていなかった。


 ……間接キスくらい、たぶんしたことある。

 だけどあらためて言葉にされてしまうと恥ずかしい。

 そんな気持ちを見透かされてからかわれるよりも前に、オレは彼女からも距離をおいてしばらく立てこもる必要があった。


「なにか用があるなら呼んでくれていいから」

「話し相手」

「以外で」

「じゃあ、着替えとかあるかな? ずっと濡れてるの、いやな感じで」

「……まあ、オレのでよければ」

「よきよき」


 オレは三階の部屋に戻って替えの服を拾い上げる。

「……」

 敷いている布団の上に放っていたケータイの通知ランプが光っていた。届いたメッセージを確認する。いつもの相手からだった。


『ブラジャーとパンツ』


 手早く返信して、オレは二階のレストランへと戻る。


「こんなのしかないけど」


 机の上に柄物のワイシャツとジャージのズボンを広げてみせる。


「いいじゃん」


 ユキは手に取った服に鼻を近づけた。


「すこしだけ、コウの匂いがする」

「どんな匂い?」

「ヘドロとシトラス」

「そりゃどうも」


 ユキにタオルを投げつける。彼女はそれで濡れた髪を拭いていた。


「わたし、どこにいたらいいかな?」

「どこでもどうぞ」

「着替えるところ、見てく?」

「見てかない」

「ねえ、コウ」

「なに?」

「ありがと」

「どういたしまして」


 それから、オレは部屋に立てこもった。

 早く雨が上がればいいのにと思った。

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