――ある六月の再現――
間接キス
「へえー。コウも同じ学校なんだ。知らなかったなー」
一階に放っておいた弁当をとり、二階の広いレストランに戻って食べる。
そんなオレの前に、丸い机を挟んでユキが座っていた。
「いつから引きこもってるの?」
「引きこもってるんじゃない。立てこもってるんだ」
「どうちがうの?」
「向き」
「向き?」
「顔の。引きこもりだと暗くて下を向いてそうだけど、立てこもりだとなんか抗議活動っぽくて、前を向いてる感じがするだろ」
「そうかな?」
「そうだよ」
「で?」
「三か月ほど前から立てこもり中」
「あー、なるほど。そりゃ知らないわけだ」
頬杖をついたままユキは頷く。
「わたしがこの町に引っ越してきたのが、ちょうどそれくらいだから」
「親の転勤とか?」
「療養」
なんでもないことのようにユキは言う。
「こっちになんかいい病院があるんだって。で、通院しやすいからってことで、お引越し」
「へえ」
「どうせ治らないのにね」
少しの沈黙が下りた。
窓の外で降る雨の音を遠ざけたのは、ユキのお腹だった。
「……食べるか?」
「え、いいの?」
「ずっと目の前に座られたままぐーぐー鳴らされたらかなわない」
「かたじけない」
オレはユキの弁当をとってこようと立ち上がる。
そんなオレの前でユキが、オレの箸でオレの唐揚げ弁当を口に放り込んで唖然とした。
「おい、おまえ! それはオレのだ!」
「えー」
横から取り上げて昼食を守ろうとするが、大事にとっておいたはずのスパゲティはつるりと吸い込まれ、既にごはんと一緒にユキの口の中だった。
「お弁当のスパゲティ、しなしななのがいいよね」
呑気な感想を言いながらこちらに箸を伸ばしてくるユキ。
「返して、それ」
「いやだ」
「間接キスのほうがいやでしょ?」
うまくやられた、と思った。
オレはしかたなく弁当をユキの前に戻す。
「ありがと」
いたずらっぽく笑うユキの瞳が一瞬青く変わり、またすぐ元の黒色に戻った。
「今、変わった? 目の色」
「ああ」
「そっか」
オレから視線を外し、大きな唐揚げを箸で二つに裂きながらユキは尋ねる。
「こわい?」
十秒くらい、わざと黙ってみた。
唐揚げが三つに裂かれて、四つに裂かれた。
それ以上裂けなくなると、今度は白米が等分され始める。
一向にそれらが口に運ばれる気配はなかった。
案外わかりやすいやつだなと思った。
「こわくないよ」
「あっ」
オレは小さくなった唐揚げを指で摘まんで口に放り込む。
「魔法も特殊能力も使えないのに目の色だけ変わっても脅威になんて感じないね」
「じゃなくて。それ、わたしがもうさわってるんだよ?」
「だからなんだよ?」
「人魚病」
「うつらないんだろ」
「それはそうだけど……いやじゃないの? 気持ち的に」
「オレは高いほうの弁当をとられたことのほうがいやだ」
「……そうなんだ」
ユキは丸くした米を頬張って、それからふっと、目を開けたまま微笑んだ。
「……ったく」
ため息を吐いて、安いサバ焼き弁当のほうを取りに向かう。
その背にユキの声が飛んできた。
「ねえ、コウ」
「なに?」
「しちゃったね」
「なにを?」
「……間接キス」
「…………」
オレはレストランのドアを閉めた。
弁当を抱えて戻るまで、しばらくかかった。
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