もらう
琴引さんに泊めてもらったお礼をどうするか決めあぐねているうちに、街に気の早いクリスマスソングが流れる季節になった。
クリスマスとは本来、キリストの生誕したとされる日のはずだ。断じて恋人といちゃいちゃする祭りではない。――ないはず、だけど。
さすがにこの数年、クリスマスを共に過ごす恋人がいないのは淋しい気がする。自分を必要とする異性がいないという事実は寂寥感をあおる。
普段はひとりの生活に充足しているくせに「世間一般」に影響される自分の俗っぽさに、情けなくなる。
そもそも自転車で家と職場を往復するだけの日々に、出会いが転がっているはずもない。
主な趣味といったら、一眼レフを抱えて写真を撮りに自然の中へ行くことだ。花や野鳥、水のある風景に惹かれる。
湘南の
それはひとりで充分に楽しめる趣味であり、道連れを必要としない。あとはせいぜい友人たちと出かけたり、美術館を回ったり、整体やホットヨガで身体のメンテナンスをしたり、琴引さんほどではないけれど読書をするくらいだ。
あの輸入車ディーラーを退職してから2年半、いくつか恋愛沙汰のようなことはあったけれど、魂が震えるような気持ちを恋と呼ぶのなら、それに該当するような付き合いはなきに等しかった。
社会人はどうやってパートナーと知り合っているのだろう。そんなことをぼんやり考える。
去年のイブは美冬の部屋で鍋パーティーをしたけれど、今年は彼女には恋人がいる。断じて邪魔はしないつもりだ。
それに、わたしにも気になるひとがいる。
金曜の夜、ソファーに寝そべって恋愛ドラマの録画を観ながらとりとめもなく思考を巡らせていると、チャイムが鳴った。
インターフォンのモニターを見ると、上の階の女性が映っている。
慌ててリモコンで録画を一時停止した。ヒロイン役の女優がまばたきの途中の半目を開いた顔で止まってしまう。
「……はい」
「302の佐藤ですー」
女性は人の良さそうな顔で、語尾を伸ばして言った。
玄関のドアをそっと開くと、背丈が足りずにモニターに映らなかった息子が興味深そうにこちらの室内をのぞきこんだ。
「いつもこの子がうるさくして本当にすみませんー、うちの実家から林檎が大量に届いたのでよかったらこれ」
佐藤さん(という名前だったのか)はコム サスタイルの黒い紙袋を差しだした。
先日チョコをもらったばかりなのに、と恐縮しながら受け取ると、林檎がぎっしりと詰められていて持ち重りがする。
「え、いいんですか? こんなにたくさん」
「ダンボールで届いてふたりじゃ食べきれないんです、いつもご迷惑おかけしてるし。ね? お姉ちゃんに『いつもごめんなさい』は!?」
後半は息子に向けて怒鳴るように言いながら、佐藤さんは息子の頭に手を乗せ、わたしに向かってぐいっと頭を下げさせた。男児は「たゃいっ」というような声を発した。
「そんなそんな……育ち盛りなんですから」
言いながら、わたしを見上げる男児の顔に目をやった。あらためて見ると、はっとするほど整っている。とても利発そうだ。
よく見れば佐藤さんも東北人ならではのはっきりした顔立ちをした美人だ。他人の顔をまじまじ見つめる習慣がないので気づかなかった。
「青森の林檎なのでおいしいと思います」
佐藤さんは去り際にそう言った。
実家から届いたということは、彼女の実家は青森なのだろう。そういえば、言葉に北国のイントネーションがあった。
わたしも東北出身なんです、と言えばよかった。
鮮度のいい林檎は、指先で弾くとピシッといい音がする。
ボコッと鈍い音がするのは、古い林檎だ。
佐藤さんの林檎はどれもいい音がした。ひとつ剥いて食べてみると、しゃっきりとした歯ざわりとみずみずしさがたまらない。
やや酸味が強いのもわたし好みだ。佐藤さんは品種を言っていなかったけれど、紅玉とフジあたりの掛け合わせではないだろうか。
それにしてもこれは、食べきれない。全部取りだして数えてみると、11個も入っていた。
久しぶりにアップルパイでも作ろうか。週末だし。
そう思い立ち、そしてふと考えた。
手作りのアップルパイを琴引さんに渡すのはどうだろう。
呆れるほど古典的な手法だけれど、わたしはその思いつきにどきどきしていた。
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