十五の七


「天覧蹴鞠の勝者は、桔梗組とする!」



 宮内卿の高らかな宣言に、東庭に集まった観衆は歓声を上げ、桔梗組の鞠足達は両拳を高く掲げて喜びを表した。


 惜しくも敗北した日車組の面々も、お互いの肩を叩いて健闘を称えあっている。

 その中心には楓がいて、最後に鞠を落としてしまったにもかかわらず、皆が彼の活躍を称賛している雰囲気が伝わってくる。


 それでも、御簾の内からその光景を眺める花祝の気分は晴れず、やるせない思いに胸を掻きむしられるようであった。


「龍染司が鞠を落としたことが、それほどまでに悔しいのか」


 隣におわす陛下がそうお尋ねになると、花祝はぶんぶんと首を振った。


「いえ……。楓くんが鞠を落としたことも、褒賞を逃したことも、遣わしの指命として物の怪を退けた結果であり、仕方のないことです。でも──」


 言葉を詰まらせた花祝の頬を、一筋の涙がつたう。


「楓くんはきっと、己の全てを出しきるつもりで蹴鞠に臨んだと思うんです。だからこそ、怪我を押して最後まで鞠を蹴り続けた。鞠を落としたことも、己の実力が至らぬゆえの結果だと受け入れるつもりなのでしょう。でも、そんな彼の潔さとは裏腹に、やっぱり悔しいと思ってしまう自分が情けなくて……」


 花祝がもやもやと沸き起こる思いを吐露すると、陛下はお口元に閉じた扇を添え、苦々しげに歪められた。


「そうか……。花祝は龍染司のことをそこまで思いやっているのだな」


 そう呟かれた後、御簾の外へと送った眼差しを、今一度花祝へ向けなさる。


「だが、なればこそ、だ。俺はあやつに真正面から挑まねばなるまい」


「陛下……?」


 そのお言葉の真意を汲みかねた花祝が小首を傾げる横で、陛下は後ろに控える内侍司ないしのつかさの女官に、「紙と筆を」とお申し付けなさった。


 すぐに運ばれてきた豪奢な螺鈿らでんの硯箱を開け、御料紙にさらさらと何かを書きつけなさる。


「これを宮内卿に」


 御料紙をうやうやしく受け取った女官は宮内省の官吏にそれを預け、急ぎ官吏よりかかりに立つ宮内卿に手渡される。


 折り畳まれた紙を広げて内容を確認した宮内卿は、顔をあげると観衆にも聞こえるように声を張り上げた。


「えー、ただ今、陛下より宣旨せんじを賜りました。陛下からの褒賞につきましては、桔梗組の検非違使別当三条良隆に与えるほか、物の怪を退けた功を称え、日車組の龍染司長谷部楓にも与える、と──」


 それを聞いた鞠足や観衆から、礼賛の声が湧き上がる。


 懸でのその光景を御簾の内で見聞きしていた花祝は、涙の滲む眼を丸くして陛下を見た。


「陛下……。それは誠にございますか? 楓くんにも拝謁の褒賞を与えなさるって──」


 蹴鞠が始まるまでは、楓との対話に消極的なご様子であった陛下。

 お気の変わりように戸惑う花祝がお尋ね申し上げると、陛下は涼やかなお顔で淡々とお答えになる。


「両組の鞠足達も取り囲む観衆も、そしてここに居並ぶ公卿達も……己の記録を犠牲にして、敵方の名足を物の怪より救った龍染司を褒め称えておろう。皆のその思いを汲み上げて褒賞という形にできるのは、俺をおいて他にはおらぬゆえ、致し方あるまい」


「んまあっ! なんて素晴らしきお取り計らいにございましょう……っ」


 彗舜帝のご厚情に、小雪もまた感動しきりの様子。


 花祝は龍袿の袖口でまなじりに残る涙を拭うと、笑みを浮かべて陛下のお顔を見上げた。


「よかった……! 楓くんの真剣さが、陛下にも伝わったということですよね!」


「……まあ、素直に認めたくない思いはあるが、功を認めずあやつに会わぬのも、勝負から逃げているようで面白くないからな」


「勝負? まさか、陛下は楓くんと蹴鞠の真っ向勝負をなさるおつもりなんですか? 確かに、私の好きな絵巻でも男同士がスポーツでの真剣勝負を通して固い友情で結ばれるという展開はテッパンですけれど」


「すぽうつ? てっぱん? 絵巻の話はようわからぬが、奴と蹴鞠をするつもりなぞ毛頭ない」


「え、そうなんですか? いずれにせよ、お二人がご対面なさる折には、きっと私も同席させてくださいね! しっかりと橋渡し役を務めさせていただきますので」


「何を言う。あやつとの話し合いにそなたが居合わせるなど、気まずいことこの上ないではないか」


 陛下と楓の対面が実現するとあって、俄然張り切り出す花祝の意図を汲みかねて、陛下が眉をひそめられた。


 そこに、陛下が公卿より先に席をお立ちになるため、内侍司ないしのつかさの先導がお迎えに現れた。


「陛下、そろそろ昼御座ひのおましにお戻りあそばされますよう」


「うむ。では俺はこれにて戻る。小雪、そなたも大儀であったな」


「身に余るお言葉、恐悦至極に存じます……!」


 左大臣への応対の件で、陛下直々に改めて労いを賜り、小雪は頬を強ばらせて平伏した。


「花祝、次なる物忌ものいみにはまた守護を頼むぞ。そなたが侍るのを常にも増して楽しみにしておるからな」


 端麗な顔容かんばせに艶やかな笑みをたたえられ、陛下が意味ありげなお言葉を掛けられた。


「は、はい、かしこまりました」


(あの仰りよう……次回は今日の分までセクハラをなさるおつもりなのかしら)


 陛下の御心を察した花祝が複雑な表情のまま平伏すると、清龍殿の母屋(廂の内側にある居住空間)の内へ御引直衣おひきのうしの衣擦れの音が消えていく。


 荷葉かようの残り香が揺れる中、陛下をお見送り申し上げた花祝は顔を上げると、ほう、と小さく息を吐いた。


「花祝さまも速やかに襲芳殿にお戻りになるのがよろしいかと。通路とは几帳で隔てられているとはいえ、花祝さまがここにおられると、公卿の方々の好奇の目が向きかねませんし」


 小雪が膝を進め、小声で花祝に退席を促した。

 陛下が龍侍司を恋人になされたという噂は、左大臣のみならず他の公卿達の耳にも入っているためであろう。


 小雪の気遣いに素直に従おうとした花祝であったが、はたと何かを思いつくと、今一度腰を落ち着けた。


「襲芳殿に戻る前に、一つだけしておきたい事があるの。小雪、悪いけど内侍司から、紙と筆を借りてきてもらえるかしら?」


「紙と筆……でございますか? かしこまりました。すぐに頼んで参りますわ」


 小雪は小首を傾げつつも、頼まれた物を借りに行く。

 程なくして小雪が戻ると、花祝はすぐに借りてきた硯箱を開け、料紙を手に取った。


「花祝さま? どなたかに文を送られるのでございますか?」


「ええ。左大臣の一の姫君に、歌をお贈りしようと思って……」


 小雪の問いに答えつつ、花祝は紅雲母刷べにきらずりの優美な料紙に、思いつくまま一首の歌を書きつけた。




うぐひす

 忘れ去りしか おのが羽

 心に任せ けらるべきを』


あなたはご自分に翼があるのを忘れてしまわれたのでしょうか? 翼があれば、心に任せて自由に空高く飛べるでしょうに”




 優れた歌人である一の姫に贈るには、あまりに拙い歌。


 しかしながら、彩辻宮の御詠歌と同じく、一の姫を『鶯』になぞらえることで、花祝の思いが、そして彩辻宮の思いが、姫君に伝わるようにという願いを込めたのである。


(姫君、どうかお気づきになってください。あなたの人生は、父君のものでも、左大臣家のものでもない、あなただけのものです。悲しむだけの毎日から心を解き放てば、きっと己が翼で飛び立てるはずですから────)


 花祝が折り畳んだ文を小雪に手渡すと、それを受け取った小雪が席を立つ。

 小雪は孫廂の最奥の観覧席へ赴き、姫君の帰り支度をする側仕えの女房へ、花祝からの文を届けたのであった。

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