十五の四
“競技中、一度も鞠を地に落とさなかった鞠足への特別な褒美として、今上帝がその者に直接会い、望みを聞き入れる”
そんな宣旨を賜った鞠足達の中、楓が顔を上げ、孫廂の観覧席を見た。
(楓くん……)
御簾の内にいる花祝であるが、楓と目が合ったように感じ、龍袿の袖をきゅっと掴む。
すると。
ぱんっ!
高く乾いた音を鳴らし、楓が己の両頬を手のひらで挟むように叩いた。
「楓くんっ!?」
「龍染司様っ!?」
観覧席から見守っていた花祝と小雪が驚いて声を上げた。
周りの鞠足達も、何事かと楓を振り返る。
しかし、楓は周囲のそんな反応をものともせぬ様子。
離れているため表情までは窺えぬが、彼の纏う
(陛下からの宣旨を聞いて、楓くんも何か思うところがあったのね。陛下と直々にお話をする機会を賜れば、きっと二人の間の溝も埋まるはず……!)
龍鱗桜の咲く佳日に遣わしとして生を受けた花祝と楓。
春の参内で相見えてから、これまで幾度となく同じ使命を果たさんと二人で誓い合ってきたのだ。
民のため、安寧の礎を築かんと志を高く掲げる彗舜帝をお守りしていけるよう、三人の信頼関係をしっかりと築いていきたい。
花祝はそんな思いを胸に秘めつつ、試し蹴りを終えて
❁.*・゚
「天覧蹴鞠には独自の決まりごとがございますの。日車組と桔梗組で先攻、後攻を決め、それぞれ八人の鞠足達が鞠を蹴り上げた数を通しで数えていきます。鞠を地に落としたら相手の組と交代。先に千回目の鞠を蹴り上げた組が勝ちとなります」
「なるほど、それは盛り上がりそうなルールね!」
小雪の説明に花祝が頷く。
坂東でも父や家人達が蹴鞠を楽しむ姿は幾度となく目にしてきたが、対抗戦の形式を取る蹴鞠を見るのは初めてだ。
「そう言えば、坂東の男衆の中では、ナギ兄がずば抜けて上手かったのよね。蹴り方は無茶苦茶だけれど、持ち前の敏捷さと反射神経の良さで、どんな鞠が来ても落としたことはなかったわ」
「まあ、さすがは山猿のような凪人さんですこと」
花祝の懐かしげな呟きに小雪が歯に衣着せぬ物言いをすると、それをお聞きになっていた陛下がくつくつと笑い声を漏らされる。
今上帝の御前で慎みのない言い方をしてしまったと恥じ入る小雪であったが、陛下は全くお気に留めないご様子で二人の顔を親しげにご覧になった。
「その口ぶりからすると、凪人は小雪のことも散々に困らせておるようだな。奔放な奴ゆえ、致し方あるまいが」
「ええ、陛下の仰るとおりでございますわ! 暇さえあれば、いえ勤務中ですら、襲芳殿に忍び込んできては、花祝様を覗き見したり、菓子をねだったり……って、ええっ!? なにゆえ陛下は凪人さんのことをご存知なのでございます!?」
「知っておるも何も、奴と俺とは “まぶだち” なのだ。清龍殿へもよく忍び込んできては、酒を飲みながらたわいもない話をして帰っていくぞ」
「ま、“まぶだち” とはっ!? 清龍殿に忍び込んで陛下のお酒まで頂戴しているなんて、一体どれだけの悪行を重ねているのですかっ!?」
またしても予想外の情報が飛び出し、小雪は大きな眼を白黒させている。
いちいち取り乱す様子が少し気の毒ではあるが、思わず花祝がくすりと笑いを漏らすと、陛下が目を合わせて悪童のごとき笑みを浮かべなさった。
「次の正月の天覧蹴鞠では、凪人を鞠足にするのも面白そうだな」
「ええっ!? 格調高き天覧蹴鞠が、ナギ兄のせいでどうなっても知りませんよ!?」
「名足の繰り出す優美な技も趣深いが、たまには全く異なる趣を楽しむのも面白かろう。そうなると、俺も鞠足として出たくなるな」
「陛下も蹴鞠を嗜まれるのですか?」
「無論。言うておくが、俺は従兄の良隆と渡り合えるほどの足であるぞ?」
涼やかな笑みに悪戯っぽさを滲ませて、そう仰る陛下。
陛下と楓、凪人の三人が蹴鞠を楽しむ姿を想像し、花祝が思わず口元を緩ませていると、御簾の外から応援の太鼓や笛の音が聞こえてきた。
いよいよ競技本番が始まるようである。
先攻するは、桔梗組。
花の色を表した鮮やかな青紫の狩衣を纏う八人が、一列となって懸へと入ってくる。
八人が懸の中心で一列に並ぶと、両膝を地につけ、陛下に対し
それから身分の高き者より立ち上がり、八人全員が立ち上がると、第一の者から順に定められた所作を始める。
一人ずつすり足で後退したり、跪いたり、鞠をつまんで持ち上げたり。
一連の所作の意味が不明かつ冗長であり、宮中行事に慣れぬ花祝は蹴鞠が始まるまでに欠伸を何度も噛み殺す。
そんなゆるりとした空気の中、八境(懸の内を八つに割り振った担当区域)にわかれた鞠足達が順に鞠を蹴り渡していき、前回の最優秀の鞠足であった良隆が
そこから先は、鞠足達が三足ずつ鞠を蹴り上げながら、他の鞠足へと渡していく。
「いざ始まると、敵味方関係なく鞠が落ちはしないかとハラハラドキドキしますね……!」
扇を握りしめながらそう呟いた花祝の横で、陛下も楽しげに目を細められた。
「鞠足達はいずれも宮中きっての名足ばかり。際どい鞠も、ほれ、ああして上手く蹴り上げるのだ」
「うわ……っ、すごい! さすが、京の貴族の蹴鞠は坂東とは違うわ!」
「その中でもやはり良隆様は別格でございますね! 所作の優美さと蹴りの正確さが際立っておりますもの!」
「ゴホンッ!」
陛下の御観覧席で三人が盛り上がっていると、隣の几帳越しに大きな咳払いが聞こえてきた。
陛下の左隣は、かの左大臣の観覧席となっている。
花祝達が陛下の御前で大声ではしゃいでいるのが面白くないのであろう。
花祝と小雪は肩を竦めて苦笑を浮かべ合うと、桔梗組の鞠の行方に注視した。
良隆以外の鞠足達も、さすがは名足揃いだけあって、鞠は地に落ちることなく蹴り上げられている。
しかし、とうとう百三十六回目にして鞠が落ち、桔梗組は懸を日車組に譲ることとなった。
「いよいよ龍染司様の出番ですわね……!」
「ええ。楓くん、すごく緊張してるんじゃないかしら……」
桔梗組と同じように上鞠までの一連の所作をこなしていく八人。
その中に混じる楓の姿に、花祝と小雪の視線は否が応でも注がれる。
鞠と共に大きな歓声が上がると、花祝はいよいよ前のめりになり、御簾に鼻先が触れんばかりに近づいて蹴鞠に見入った。
懸を中央を起点として放射状に八境に分け、八人の鞠足がそれぞれの区域を担当する。
楓は自分の域に入ってきた鞠を一足目でしっかりと受け止めると、二足目を綺麗に真上に蹴り上げ、三足目で別の鞠足に蹴り渡した。
まずはしっかりと鞠を蹴り渡すことができ、息を詰めて見守っていた花祝も小雪も脱力する。
「ほう……。先程の小鞠(試し蹴り)とは別人のようだな」
「ええ、楓くんは本番に強いタイプなんですっ! 彼ならば、良隆殿とも最優秀の鞠足の座を競えますから!」
どこか面白くなさそうな口ぶりの陛下の横で、花祝は楓に代わって自信たっぷりに胸を張った。
その後、二回、三回と鞠が来ても、危なげなく鞠を蹴り上げる楓。
徐々に勘を掴んできたのか、そのうち隣り合う鞠足が危ういと、それを助けて足を出すようになり、いつの間にか楓が蹴るとひときわ大きな声援が上がるようになっていた。
日車組は結局百四十九回目で鞠を落とし、桔梗組と交代。
幾度かの交代を繰り返しつつ、二つの組は先んじて千回目を蹴り上げんと、手に汗握る大接戦を繰り広げた。
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