十五の三

 桜花京の内裏で百年の歴史を持つ伝統行事、天覧蹴鞠。


 毎年初夏と正月の二回、今上帝の御観覧を賜って催される蹴鞠大会は、鞠足(蹴鞠の選手)八人が一組となり、二組の対抗戦で行われる。

 勝ち組の鞠足達には、観覧の公卿達から様々な褒賞が与えられ、中でも最も優れた鞠足には、帝より“金剛魚々子地螺鈿こんごうななこじらでんの宝刀” が下賜されるのが恒例となっている。


 しかし、彗舜帝は、恒例の褒賞とは別に、今回は特別な褒美を用意するとのたまった。


「競技中、一度たりとも鞠を落とさなかった鞠足には、俺が直にその者に会い、その者の望みを聞き入れよう」


「「「え……っ!?」」」


 陛下のご提案に、花祝と小雪、さらには宮内卿までもが目を丸くした。


「か、かしこまりました。では、早速鞠足達に伝えて参ります」


 戸惑いつつもそう答えて引き下がる宮内卿を見送ると、花祝は改めて陛下に向き直った。


「陛下、いくら何でも、鞠を一度も落とさずに蹴り続けるなんて、無理な話じゃないですか!?」


 御身を守護するための龍袿を染める楓のことを、陛下は未だ信頼しておられぬ様子。

 ならば自分が二人の架け橋となろうと意気込む花祝であったが、楓との対話の条件がことさらに厳しく思われて、思わず陛下に不平を申し上げた。


 しかし、陛下は花祝の抗議に取り合うおつもりはさらさらないようで、涼やかな笑みを向けなさる。


「花祝は龍染司の “想い” の強さを信じておるのであろう? あやつにそれほどの想いがあるのなら、決してできぬことではないはずだ」


「そ、そんな……っ」


「そうですよ、花祝さまっ! 勝利への条件が厳しいほど、当事者も読み手も盛り上がるものでございます!」


「ちょっと、小雪っ!? あなたまでなんてこと言い出すの!? 読み手が盛り上がるって何のことよ!?」


 つい先程まで胸を押さえて悶絶していたと思ったら、いきなり背筋を伸ばして陛下の加勢をする小雪。

 その変わり身の早さに呆れつつ、花祝は再び御簾の外を見た。


 かかりでは、鞠足達が輪になって、本番前の試し蹴りをしているところである。


 蹴鞠の基本的な作法として、鞠足は自分の元に来た鞠を三度蹴らねばならない。

 一足目で来た鞠を受け、二足目で自分の技を見せ、三足目で他の鞠足に蹴り渡すというものである。

 名足揃いなだけあって、試し蹴りにも関わらず、皆が二足目に様々な技を見せ合っている。


 鞠が高く上がれば歓声が上がり、蹴り方の優美な鞠足には感嘆の声が上がる。

 くつの横や踵を使って蹴り上げる技を見せる鞠足もおり、試し蹴りというのに、観衆達は早くも盛り上がっている様子であった。


 そんな中。


 楓に鞠が蹴り渡され、それを受けた彼がいよいよ一足目を蹴り上げた。


 ところが、


 鞠は真上にいかず、斜め上方へ。


 慌てた楓が二足目を蹴ろうと足を伸ばして鞠を受けたものの、その鞠は沓の先にぶつかり、別の鞠足の方へと飛んで行ってしまった。


「ああ~! 龍染司様は三足目に届きませんでしたわね!」


 小雪が残念そうな声を上げる。


(楓くん、やっぱり本番直前で緊張しているのかしら……。随分と動きが固いようだわ)


 はらはらと楓を見守る花祝。


 そのうち、再び楓へと鞠が蹴り渡されたが、今度は一足目を受けそびれ、鞠を地面に落としてしまった。


「ああ……っ」


 花祝と小雪から、同時に落胆の声が漏れる。


 そんな二人を後目しりめに、扇をお口元に添えた陛下が、わざとらしいほど大きなため息を吐かれた。


「龍染司は随分と調子が悪いようであるな。この試し蹴りでの失敗は褒美の対象として考慮せぬが……この分では本番での活躍も危ぶまれような」


「そ、そんなことはありません! 今はまだウォーミングアップの最中だし、これから調子が出てくるんです、きっと!」


 向きになってそう言い返す花祝だが、内心は楓のことが心配でたまらない。

 できることならば御簾をたくし上げて声援を送りたいのだが、陛下の御観覧席に侍る身としてはそれもできない。


(だ、大丈夫……っ! 楓くんには蹴鞠の神様がついてるんだもんっ)


 験担ぎとして楓の頬に口づけたことを思い出し、花祝の頬が熱くなる。

 小雪の出鱈目にのせられたのだと思っていたが、今となっては藁をも縋る心持ちで、蹴鞠の神様に祈るしかない。


“若楓” のかさねにした龍袿の合わせに手を添え、ひたすら祈りを捧げていた花祝であったが、斜め後ろに控える小雪がほう、と感嘆の声を漏らした。


「鞠足の中でも、一際素晴らしき技をお持ちの方がいらっしゃいますわね。桔梗の狩衣を纏うあの公達きんだちにございます」


 その言葉に花祝が視線を巡らすと、輪になった鞠足達の中、ちょうど楓の正面に、観衆の視線を集める鞠足がいた。


 凪人と同じほどの背丈であろうか、その高さとがっしりとした体躯は、貴族というよりも武人のよう。

 それでいて鞠を蹴り上げる所作はたいそう優美で、彼の元へ鞠が飛んでいくと、まるで小鳥と戯れているかのように鞠を操るのだ。


「まあ……素晴らしい名足がいらっしゃるのですね」


 花祝が思わずそう呟くと、陛下は花祝の視線の先を辿り、「ああ」と涼やかな笑みを浮かべられた。


「あの者は、中納言三条良規さんじょうよしのりが子息、検非違使別当けびいしべっとうを務める三条良隆よしたかだ」


「三条……って、もしかして、陛下のお母君であらせられる、紅藤女御様の?」


「ああ。中納言良規は母の兄であり、私の叔父。その子息の良隆は、私の従兄である。もっとも、母がこの世の一切のしがらみを捨てて出家したゆえ、叔父や従兄と言えど政務以外での付き合いはほとんどないのであるがな」


 陛下のお言葉に、花祝は改めて三条良隆を見た。


 体つきも顔の輪郭も、優美で端麗な陛下とは違う無骨さがあるものの、意外と整ったその顔立ちは陛下の面影と重なるところがある。


「良隆はここ数回の天覧蹴鞠で、毎回宝刀を下賜されているほどの名足だ。俺が褒美を取らすとしたら、最も近きところにいるのがあの男であろう」


 そうこうしているうちに、懸の傍に降りていった宮内卿が試し蹴りを中断させて、先程陛下から賜った特別褒賞の件を鞠足達に伝えた。


 鞠足達が顔を見合わせてどよめき、観衆達からも興奮の声が上がる。


 そんな中で、楓はすっと顔を上げ、花祝の座す御観覧席をじっと見つめている様子であった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る