十五の二
(花祝ちゃんがいるのはどの観覧席だろう……)
清龍殿の東庭に面した孫廂に、ずらりと並んで垂れ下がる御簾。
その内の何処かから花祝が自分を応援してくれているのだと思うと、楓の心は緊張と嬉しさではち切れそうになる。
(せっかく花祝ちゃんが応援してくれているんだし、蹴鞠で良い所を見せられたらいいな)
(あの一番奥の御簾の向こうに花祝ちゃんがいるのかな……)
目を凝らせば、僅かにでも彼女の気配を感じることができるだろうか。
そう思った時────
「え……っ」
中から顔を覗かせたのは、楓もよく知る花祝付きの女房、小雪。
身を屈めて御簾を低くたくし上げた刹那、その奥にお座りなさる
「……っ!?」
倒れ込むように引き寄せられる、龍袿の
「花祝ちゃん……っ!?」
孫廂の縁に手を伸ばし、何かを掴んだ小雪がそそくさと引っ込むと、御簾の内はすぐに見えなくなった。
ほんの一瞬のことだけに、そのことに気づいた者はほとんどおらぬ様子。
しかし、花祝を探して観覧席を気にしていた楓は見てしまった。
己の大切な
❁.*・゚
「ちょっ! 陛下! いきなり何するんですかっ!?」
肩を引き寄せた御手はすぐに解かれ、花祝はがばっと跳ね退くとすぐに陛下に抗議申し上げた。
「陛下、扇にございます……って、花祝さま? どうかなさいました?」
「う、ううんっ! 何でもないっ」
小雪が御簾の外に出た一瞬のことであり、彼女にセクハラ現場を見られなくて済んだのは幸いであった。
だが、あまりに唐突のことで、花祝の心臓はいまだ跳ね回るかのごとく激しく胸を打ち続けている。
黙して陛下を睨む花祝。
だが、陛下は何事もなかったかのように涼しげに微笑まれ、「すまぬな」と小雪の差し出した扇をお受け取りになった。
「はぅ……っ!」
身分も美貌も雲の上の高みにおられる御方から、一生に一度とて向けられるはずのない笑みを賜り、小雪は顔を真っ赤にしたまま硬直してしまった。
「陛下っ、今のお振る舞いには何か理由があるんですか? どうして小雪を御簾の外に出したのです?」
「はて、何のことやら。俺はただ、落とした扇を小雪に拾ってもらっただけだ」
花祝が問い詰めるものの、陛下はふいと視線を外して空惚けなさる。
「それならなぜ、先程のようなセクハラを──」
花祝がなおも追及せんとしたとき、かの宮内卿がおずおずと観覧席に顔を出した。
「あの……お取り込み中のところ、誠にあいすみませぬ。陛下にご臨席賜りましたので、そろそろ天覧蹴鞠大会の方を始めさせていただいてもよろしいでしょうか」
「うむ。万事良しなに」
陛下は、何事もなかったかのように涼やかなお声でお答えなさると、花祝に悪戯っぽい笑みを向けられた。
「花祝と戯れるのは楽しいが、そろそろ
「べっ、別に戯れてるつもりはございませんっ!」
花祝は向きになって言い返しつつ、御簾の外を見た。
宮内卿が開会の宣旨を陛下に代わって読み上げ、押しかけた観衆が歓声を上げる。
盛り上がる空気の中、八人一組となった十六人の鞠足達が懸へと歩を進めた。
彼の姿を見つけて、鼓動がぐんと速まる。
そわそわとした高揚感を感じつつ、花祝は龍袿の合わせにそっと手を当てた。
(楓くん、頑張ってね!)
その念が通じたのか、俯いていた楓が顔を上げた。
離れているため、彼の表情までは窺えない。
だが、その視線は孫庇に並ぶ公卿の観覧席の中央、まさに花祝達の座る辺りに真っ直ぐ向けられているように見える。
(楓くん、もしかして私が陛下の御観覧席に侍っていることに気づいたのかしら……?)
御簾に隔てられて孫廂の内側は見えていないはずなのに、どうにも楓と視線が合っているように思えて、花祝は小首を傾げた。
御簾の外に出た小雪の姿を、彼がたまさかに見かけた可能性はある。
それに、御簾が上げられたのはほんの一瞬であったし、花祝や陛下の顔が見えないよう、小雪はめくる御簾の高さを最低限にする配慮もしていた。
けれども。
もしも御簾の内で起こった出来事を、楓に見られていたとしたら────
「陛下……さっきの
陛下のお戯れの意図にようやく気づき、花祝の頬は羞恥と困惑とでみるみる熱くなっていく。
そんな花祝を横目で見やると、陛下は閉じた扇の先をお口元に当て、悪童のごとき意地悪な笑みを噛み殺しなさった。
「許せ。此度の蹴足に龍染司を選んだは、無論守護のためもあるが、俺がこの目で確かめたかったからなのだ。あやつの “想い” の強さ、というものを──」
そう
「はぅぅ……っ!!」
妄想の世界そのままの展開に、硬直を解いた小雪が、今度は胸を押さえて悶絶し始めた。
だが、一方の花祝は陛下の横顔をきっと睨み、きっぱりとした口調で物申す。
「そんなことをなさって、楓くんの動揺を誘おうったって無駄ですよ! 陛下がお確かめになるまでもなく、楓くんの真剣な “思い” は揺るぎないものなんですからっ」
「ほう……。花祝は奴のことを随分と信じておるようだな」
「当たり前です! 同じ遣わしとして、私は彼の真っ直ぐで純粋な心根に何度も触れてきましたから」
面白くなさそうに瞳を眇める陛下の御前で、花祝は胸を張り、そう言い切った。
「陛下。もしも彼が天覧蹴鞠大会の鞠足に恥じぬ技をお見せすることができたら、陛下も彼の “(龍染司として陛下を守り抜くのだという)思い”を認めていただけますか?」
花祝が問うと、陛下は歪めておられたお口元をさらにへの字に曲げ、あからさまなほど不機嫌に呟かれる。
「嫌だ。あやつの “(花祝への)想い”なぞ、俺が認めるわけがなかろう」
「楓くん本人から思いの丈を一言も聞いておられぬのに突っぱねるなんて、陛下らしくないのではございませんか? 私の尊敬する陛下は、何事に対しても柔軟で公平な御心を持っていらっしゃる御方のはずなのに」
「…………」
諦めずに食い下がる花祝を前に、陛下はお口をへの字に曲げたまま黙考なされ。
それから、扇をお口元に当てて、小さく嘆息なされた。
「……わかった。花祝がそれほど言うのであれば、一度くらいはあやつの話を聞いてやってもいい」
「本当ですか!?」
「ただし、条件がある。あやつが並み居る名足に優る技をここで見せればの話だ」
そう仰った陛下は、悶絶からようやく立ち直った小雪に指示を出され、宮内卿を御前にお呼びになった。
「これより鞠足達全員に申し伝えよ。此度の蹴鞠で鞠を一度も地に落とさずに蹴り上げた者には、特別な褒美を用意する、と」
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