十四の五

 年に二回、今上帝の御前にて催される天覧蹴鞠大会。

 帝や公卿のほか、過去には後宮の后妃達も並んだというその観覧席に龍侍司が呼ばれるのは異例のことである。


 左大臣が当日になって急遽一の姫を連れて来たというのは、やはり花祝の観覧を聞き及んでのことであろう。


 再び几帳の内に入ってきた小雪が、扇を広げて花祝に耳打ちする。


「花祝さまの御席を奪ってご自分の娘の席にしようとなさるなんて、やはり左大臣殿は身勝手で傲慢な御方ですわね!」


「それってやっぱり、例の陛下の “恋人宣言” が関係していたりするのかしら」


「当然でございましょう。左大臣殿は、陛下が花祝さまを恋人として、そしてゆくゆくは后妃としてお迎えなさるおつもりでこの観覧席をご用意なさったと思っているに違いありません。だからこそ、后妃になるのは自分の娘の方だと、列席する公卿や多くの観衆に示すため、一の姫を無理矢理同行させたのです」


 小雪の分析の的確さに納得し、花祝は小さくため息を吐いた。


 やはり先日の彩辻宮との対面時に恋人宣言が誤解であることを説明しておけば、これほど面倒ことにはならなかったかもしれない。

 しかし、そのようなことを今更悔いても後の祭りである。


「仕方ないわ。この観覧席は一の姫にお譲りしましょう」


「花祝さまはそれでよいのでございますか?」


「ここで楓くんの応援ができないのは残念だけれど、左大臣側と后妃の座を争うつもりはないもの。宮内省の方々を板挟みにはさせたくないし、根も葉もない后妃争いの醜聞が広まるのは、陛下のためにも良くないでしょう?」


 左大臣に席を譲れと言われれば、こうするほかない。

 小雪もそれはよくわかっているものの、花祝の言葉を聞いてもなお、口惜しくてたまらないという顔をしている。


 花祝だって、楽しみにしていた楓の姿を見られなくなるのは残念でたまらないし、応援を約束した楓にも申し訳ないと思う。


「ねえ、小雪。ならばせめて、孫廂まごびさしの手前、落板敷おちいたじきから蹴鞠を観覧できるか、宮内卿に交渉してもらえないかしら」


「落板敷でございますか? でも、あそこには目隠しの御簾も掛けられませんし、この孫廂よりも床が一段下がっております。龍侍司ともあろう御方がご観覧なさる場所ではございませんわ!」


「今日の蹴鞠大会における私の本来の目的は、陛下の守護よ。この席を姫にお譲りしても、陛下のお傍を離れるわけにはいかないもの。それに、落板敷ならば河竹の台(垣に河竹を植え込んだ場所)が目隠しになって、周囲からは見えにくいはず。公衆の面前に身を晒すようなことにはならないわ」


「確かにそうかもしれませんけれど……。招かれてもいない左大臣の姫が正式な観覧席に座り、陛下直々のお招きである花祝さまが落板敷にお座りになるなんて、本当に情けなく口惜しいことでございます」


 大きなまなこを涙で滲ませる小雪であったが、主人の意図を汲んで扇を閉じると、几帳の外へと再び出て、宮内卿に花祝の提案を伝えた。


 それを聞いた宮内卿が、平身低頭しつつ、おどおどと謝意を述べる。


「龍の遣わし様を落板敷に座らせるなど、畏れ多きこと。ですが、事情が事情だけに、そうしていただけると大変助かります。急ぎ御席をしつらえますので、しばしこちらでお待ちを──」


「待て」


 と。


 宮内卿の言葉を遮り、涼やかな御声が響いた。


 聞き慣れてもなお鼓動を早めるその御声に、花祝は思わず身を乗り出して孫廂の奥を見た。


 孫廂と御簾一枚を隔てる上御局うえのみつぼねという小部屋、花祝の観覧席のすぐ傍から、かの御方の端麗な御気色みけしきが窺える。


「陛下……っ!?」


 驚きのあまり花祝の口から漏れた呼び名に、小雪は「ひいっ!?」と小さく叫んで慌てて頭を低くした。


「観覧席に花祝が参ったと聞いて、ひと目顔を見ようと傍へ来たのだが……。左大臣が姫を連れて参内したなど、俺の耳には入ってきてはおらぬ。宮内卿、これはどういうことだ?」


 陛下に直接問いただされ、気弱な宮内卿はますます身を縮こめる。


「は、はいぃ……畏れ多くも、左大臣殿より、陛下にはご自分から事の経緯をご説明申し上げるゆえ、事前にお耳に入ることのなきようにと釘を刺されておりまして……」


「なるほど。左大臣は、己の思惑を俺が事前に知れば、龍侍司の観覧席を自分の娘に譲ることを許さぬと知っておったということだな?」


 御簾の向こうにいらっしゃる陛下の御姿は見えないが、その御声は硬く鋭く、不機嫌さを滲ませておられる。


 昼御座ひのおまし御帳台みちょうだいの内でお寛ぎなさっているとばかり思っていた陛下が、よもや今のやり取りをお聞きになっていたとは。

 花祝は陛下の一言で事が荒立つことのないようにと、慌てて御簾の前へ膝を進めた。


「陛下に左大臣殿の思惑に乗るおつもりがないことは、重々承知しております。ですが、ここで私と左大臣の姫君が観覧席を奪い合っては、周囲から今上帝の后妃の座を巡る争いと見られ、後宮復活の憶測で左大臣殿が外堀を埋めることになりかねません!」


 畏れ多くも花祝がそう進言すると、御簾の内から漏れ出る御気色が、陛下の常なるそれへと変わる。


「花祝、案ずるな。此度の左大臣の思惑など、初めから予想していたことだ。花祝を本日この席に招いたのも、その対抗策なのだから」


「へっ!?」


 陛下の意外なお言葉に、花祝は思わず素っ頓狂な声を上げた。


「対抗策と仰るのは……?」


「この天覧蹴鞠大会の観覧席は、かつて帝の后妃達が居並んだ場所。そこに姫を座らせることで、自分の娘が将来その立場になるのだと周囲に知らしめたいというのは、あの左大臣が考えそうなことだ。だから俺は、そなたを招くことで、左大臣の思惑を外したかった」


「そ、そうだったのですか……。でも、私が観覧席に招かれたことで、かえって左大臣殿は今日のような強硬手段に出たのでは……?」


「それも勿論計算のうちだ。ゆえに、この件に関しては、俺に策がある」


 その声音から、御簾の向こうにいらっしゃる陛下が、悪童のごとき笑みを浮かべていらっしゃるのが想像できる。

 言い知れぬ嫌な予感が胸の内に湧き出る花祝であったが、陛下は涼やかな御声で宮内卿をお呼びになった。


「俺の観覧席に、龍侍司とその侍女の席を急ぎしつらえよ。大切な遣わしを落板敷などに座らせるのはこの俺が許さぬ」


「しょ、承知いたしましたっ……!」


 頭を下げたまま海老のように後ろに引き下がった宮内卿は、観覧席の準備を進める部下の元へ弾かれたように飛んでいった。


「陛下っ! 私が陛下の観覧席に同席などしたら、それこそ左大臣殿を逆上させるだけではございませんか!?」


 事を荒立てるどころか、相手を煽るような陛下のご指示に、花祝は青ざめてそう尋ねた。


「蹴鞠大会の観覧席に特別な意味を持たせようとするから、そのような思惑が生まれるのだ。ならば、その席に何の意味も持たせなければよいだけのこと」


 涼やかにそう仰る陛下は、続けてこう呼び掛けた。


「そこの侍女。そなたはもしや小雪と申す女房か?」


 畏れ多くも陛下に名指しされ、平伏していた小雪は再び「ひぃぃっ!?」と小さな叫び声を上げ、床に額を押しつけた。

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