十四の四
肩を怒らせた凪人を呆気に取られたまま見送る花祝の背後で、くすくすと忍び笑いの声がした。
「凪人さんたら、氷菓子を三杯もおかわりした後になって、花祝さまと龍染司様を二人きりで母屋に残してきたことにようやく気づいたんですのよ。彼には悪いことしましたけど、私の機転が功を奏したようで何よりですわ」
楓の頬についた紅を覗き見ながらほくそ笑む小雪に、花祝は頬を真っ赤にして問い詰める。
「小雪っ!? やっぱりあの験担ぎは、あなたがでっちあげたものなの!?」
「でっちあげたも何も、あれはあくまでも験担ぎ。信じる、信じないはそれぞれの自由でございますわ」
小雪は澄ました顔でそう
「ああ、そうだわっ! 氷が溶けぬうちに、龍染司様の氷菓子も用意しなくっちゃ! 現場を押さえられなかったのは口惜しゅうございますけれど、おかげさまで妄想……いえ、執筆も捗りそうですわ♪」
小雪が逃げるように立ち去った後、花祝は盛大なため息を吐いた。
「はあ……なんだか小雪とナギ兄に振り回されて、どっと疲れたわ……。さ、気を取り直して龍袿を
振り返ると、血の気の引いた楓の
「あぁ……いや、はは……。だ、大丈夫だよ。僕が早とちりしただけだから。ただ、僕の気持ちがまるで伝わってなかったことに、思いのほかがっくりきちゃって……」
「ちょっ、全然大丈夫じゃなさそうよ!? 確かに、楓くんの蹴鞠大会に対する並々ならぬ思いをナギ兄に伝えることはできなかったけれど、私にはちゃんと伝わってるから元気出してっ!」
「う、うん……」
「蹴鞠大会当日も、ナギ兄の分まで私が精一杯応援するからね!」
「はは……。あ、ありがとう……」
ぐっと拳を握り込み、真剣な眼差しで意気込む花祝。
そんな花祝に励まされ、楓はほろ苦い笑みを浮かべつつもがっくりと肩を落とすのであった。
❁.*・゚
天覧蹴鞠大会の日は、湿気も少なく、爽やかに晴れ渡る絶好の日和となった。
本日の
「龍染司様の御名の入った襲の色目を選ぶなんて、なんて趣深い計らいなのでございましょう。
花祝の髪を梳きながら、小雪が口惜しげにそう呟く。
「こういう計らいをこれみよがしに相手に見せるのは、かえって興ざめでしょう? たとえ楓くんからは見えていなくても、私が応援している気持ちを表せればそれでいいのよ」
花祝は鷹揚にそう答えてみせたものの、内心は少し気がかりなこともある。
(楓くん、先日の龍袿の検めでは、随分と元気がなかったような……。今日は蹴鞠大会本番だし、元気を取り戻しているといいのだけれど)
とっておきの氷菓子も、そこそこに食べ終えて帰ってしまった楓の後ろ姿を思い出し、花祝の胸がざわざわと波立つ。
身支度を整え、巻物を読みつつ待機していると、本日の蹴鞠大会を取り仕切る
観覧席の用意ができたので、清龍殿へ参殿されたしとのこと。
「本日は、龍侍司付き女房として私も観覧席へのお供が許されてますの。蹴鞠大会も、花祝さまを取り合う恋の対決も楽しみですわ~!」
「ちょっと小雪、私と楓くんがわざわざ呼ばれてる意味を履き違えないでよね!? 今日は左大臣殿だって御臨席なさるんだから」
まるで見当違いの方向へと浮き足立つ小雪を窘めつつ、花祝は有事に備えて気を緩めることのなきようにと、龍袿の合わせをきっちりと整えた。
❁.*・゚
清龍殿に参殿した花祝と小雪は、案内の女官に従って観覧席へと進んだ。
殿上の間を通り、東の
上長押から垂らされた御簾の向こうは、蹴鞠の会場となる東庭が広がっている。
「龍侍司様におかれましては、こちらの御席にてご観覧くださいますよう」
唯一の女性観覧者という配慮であろう、花祝の案内されたのは、東の孫廂の一番奥の席であった。
陛下の御席はやはり孫廂の中央、懸の正面に用意されている。
花祝の通された席からは隔たりがあるし、陛下がご臨席なさるのは臣下が揃った後、一番最後になるはずだ。
陛下に最後にお会いしたのは、彩辻宮邸訪問の前夜、宿直の折に二人で絵巻を読み耽ったとき。
その
(今日も陛下に直接お会いすることはなさそうね……)
出るともなしに漏れたため息に、花祝は慌てて口を押さえた。
(……って、ため息なんて吐いたら、まるで陛下に会えないことを寂しく思ってるみたいじゃない! つつがなく蹴鞠大会が行われれば、私が陛下のお顔を見ることはない。そうなればセクハラにだって遭わないし、お会いせずに済むに越したことはないんだからっ)
「花祝さま、いかがなされました? ご気分でもすぐれませんの?」
「う、ううんっ! 気分はいたって快調だから! がっかりだなんて絶対に思ってないからっ!」
「は、はあ……。それならばようございますけれど」
小雪の心配を全力で否定する花祝に、身を乗り出していた小雪が首を傾げつつ引き下がった。
するとそこに、衣擦れの音と男性の足音が近づいてきた。
「恐れながら
先程の女官が小雪と花祝にそう告げる。
花祝は手早く扇を広げて顔を隠し、応対をする小雪が几帳の外に出た。
「ご相談とは?」
花祝の代わりに小雪が問うと、宮内省の長官である卿がしどろもどろに話を切り出す。
「はい、あの、本日の天覧蹴鞠大会におきましては、陛下より龍侍司殿の御席をこちらに設けるよう直々のご指示がございまして用意いたしたのですが……その……先程内裏に左大臣殿がご到着なされまして……」
「左大臣殿が? それがどうかなさったのですか?」
「はい、その……。左大臣殿が、ご自分の御息女にも
「「左大臣の姫君ですって!?」」
驚きのあまり、花祝も思わず声を上げ、小雪と顔を見合わせた。
その驚きように、気弱そうな宮内卿はびくりと肩を跳ね上げ、それからますますおどおどとした様子で話を続けた。
「それで……。左大臣殿が仰るには、姫君のために観覧席を一席設けて欲しいと。ご列席の方のお席は既に決まっていると申し上げたのですが、姫君の御席を用意せよと仰ってきかぬとのことでして……」
「……つまり、龍侍司様の観覧席を、左大臣殿の姫君に譲れと、そういうことでございますか?」
小雪の声音が険しさを帯び、宮内卿の狼狽が几帳越しにも伝わってくる。
「そっ、その、龍侍司様に大変失礼なことを申し上げているのは重々承知しております。しかし、この天覧蹴鞠大会の諸経費は左大臣をはじめとする公卿の方々のご寄附より賄っておりまして……。中でも、左大臣殿からは抜きん出て多額のご寄附を賜っておるため……」
「我が主人に席を譲っていただくほかはない、ということですのね?」
「は、はい、大変恐縮ではございますが……」
宮内卿から退席を請う旨を確かめると、小雪は几帳の中に体を入れ、二人のやり取りを聞いていた花祝の反応を窺った。
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