十四の三
「ナギ兄ったら、一体何をしに来たのかしら……」
勝手に襲芳殿に上がり込んで訳の分からないことを言い散らし、氷菓子に釣られてほいほいと小雪について行った乳兄弟を見送ると、花祝は呆れたようにため息を吐いた。
「ほら、凪人さんが騒がしいのはいつものことだから。……それにしても、花祝ちゃんは凪人さんに本当に大切にされているんだね」
甘やかな中にも少し苦味を含んだような楓の笑みに、花祝は慌てて首を横に振る。
「ううんっ! ナギ兄が超絶過保護で超絶心配症なだけよ。ほら、前に話したでしょう? ナギ兄は、実の妹で私の乳姉妹だった
「うん。でも、凪人さんが花祝ちゃんを大切に思う気持ちに嘘偽りはないと思うんだ。僕もそのことをしっかりと受け止めた上で、自分の行動に責任を持ちたいと思ってるよ」
「楓くん……?」
凪人の過保護に対して、楓がどうして責任を持つ必要があるのだろうか。
首を傾げる花祝の頬を、壊れ物を扱うがごとき指先がそっと触れた。
「だから、改めてお願いするね。花祝ちゃん、君の口づけを僕にください」
「え……っ!?」
口づけならば、これまで幾度となく彗舜帝に奪われている。
否応なく口づけられた経験しかないのに、何と返事をしたらよいのか言葉に詰まっていると、こちらの熱がうつったかのように楓の頬まで赤く染まった。
「あっ、もちろん、今日のところは頬にってことだよ!? 蹴鞠が上手くいくようにっていう験担ぎでね!」
「あ……う、うん、頬に、ね」
(験担ぎの真偽はわからないけれど、鞠足に抜擢された楓くんの重圧が、それで軽くなるのなら……)
大切な同僚のためだと言い聞かせることで恥じらいを心の奥へ押し込めると、花祝はおずおずと楓に歩み寄った。
(蹴鞠の神様が、楓くんに力を貸してくださいますように……)
より一層赤みの増した楓の頬に、そっと唇を押し当てる。
唇に感じる熱は、楓から伝わるものなのか、自身の内から湧くものか、はたまた夏の日差しのせいなのか────
ゆっくりと唇を離すと、花祝は恥じらいつつもにっこりと微笑んだ。
「楓くん、鞠足の大役、頑張ってね。心から応援してるわ」
「ありがとう。花祝ちゃんのおかげで、重圧も跳ね除けられそうだよ」
花祝の激励に、楓が
動悸の止まぬ胸を思わず手で押さえた花祝であったが、楓の頬にうっすらと紅がついていることに気がついた。
「あ……唇に差した紅が、頬に──」
紅を拭おうと、懐紙を取り出そうとして。
その手を遮った楓が、ぐっと花祝を抱き寄せた。
「楓くん……っ!?」
「蹴鞠の神様にせっかく力を貸してもらったんだ。紅は拭わないで、そのままにさせて?」
「えっ……でも、口づけしたのがナギ兄にバレたら、面倒なことに────」
「僕が花祝ちゃんにお願いしたことを、凪人さんに隠すつもりはないよ。凪人さんには、僕の真剣さを少しずつでも理解してもらいたいと思ってるし」
花祝の髪に頬を寄せ、耳元で楓がそう告げる。
息のかかる耳がさらに熱を帯び、心臓がばくばくと暴れ出す。
しかし、勘違いして乙女心を暴走させてはいけない。
花祝は浮き足立つ自分の心を必死に戒めた。
(楓くんは鞠足として、ナギ兄の怒りに触れるような験担ぎを試してまで蹴鞠大会に臨もうとしてるのよね。変に意識してしまうのは、真剣勝負に挑む楓くんに対して失礼だわ!)
花祝は楓の腕の中で控えめに深呼吸して心を整え、それから口を開いた。
「楓くんの真剣な思いは、きっとナギ兄にも伝わるから大丈夫!」
「ありがとう。僕もそう信じてる。………そう言ってくれるってことは、僕の思いの真剣さは、花祝ちゃんにも伝わってるって信じていいんだよね?」
「もちろんよ。楓くんの(蹴鞠に対する)真剣さは、微塵も疑っていないわ」
「なら、僕にも望みはあるのかな。花祝ちゃんが、いつか僕のこの思いをきちんと受け止めてくれるって」
花祝の背に回された腕に力が込められる。
「うん、大丈夫よ。楓くんの(蹴鞠に対する)真剣な思いは、ちゃんと受け止めて────」
花祝がそう答えかけたその時、板張りの
「チッ、しくったぜ。オレとしたことが、うっかり氷菓子に釣られてこの場を離れちまった」
そうぼやきながら、花祝と楓の間にぐいぐいと体を割り入れて二人を引き離すと、庭へ下りる
「凪人さんっ! 怒られるの覚悟で報告しますが、僕は今、花祝ちゃんに験担ぎの口づけを──」
「あーあーあーあー! なんも聞こえねえ! なんも見えねえ! 梅雨明けの夏空は青く澄んでて綺麗だなあ!」
「ちょっと、真面目に聞いてくださいよ! 僕は自分のしたことに、きちんと責任を取るつもりで──」
「あー何言ってんのか全然聞こえねー! 楓っちが責任取るようなことは、オレは何一つ認めねえ! 誰がそう簡単に責任なんか取らせるかっつーの!!」
「ちょっとナギ兄! そんな態度は楓くんに失礼でしょう!? 楓くんがどれだけ天覧蹴鞠大会のことを真剣に考えてるのか、少しは理解してあげてよ!」
「へ……っ? ちょっ、花祝ちゃん? それ、どういうこと!?」
青ざめる楓をよそに、凪人は耳を両手で塞いだまま階を下り、庭まで出たところでようやく振り返った。
「今回は氷菓子に釣られて失態を犯したが、次は騙されねーからなっ! 今回の件で、小雪っちも油断ならねえことがよぉーくわかった。花祝の清らかさを守れるのはやっぱオレしかいねえんだっ!」
凪人はそうわめくと、ぷんすかと肩を怒らせて、庭の木立の陰へと消えていったのであった。
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