十四の二

「それじゃ、早速龍袿の状態を確認しよう」


 楓に手を引かれるまま立ち上がろうとした花祝の背後から「あのっ」と声が掛けられた。


 花祝が振り返ると、几帳の後ろに控えていた小雪がこちらを覗いている。


「お二人が龍袿をあらためなさる前に……蹴鞠大会のことで、他の女房より聞き及んだことをお二人にお伝えしようかと」


「蹴鞠大会のこと?」


 首を傾げる二人の前で、小雪はこほん、と咳払いをして居住まいを正した。


「天覧蹴鞠大会は、年に二度、今上帝の御前にて行われる、政治色の強い蹴鞠大会にございます。したがって、鞠足に選ばれるのは大変な名誉である反面、もし失敗が続いたりしたら、政での発言力が弱まるとまで言われておりますの」


「へえ……鞠足に選ばれるのは、かなりなプレッシャーがかかるのね」


「まあ、でも僕は政治とは関わりのない職務だし、そこまで気を張らなくても……」


「いえっ! もしも龍染司様が蹴鞠で醜態を晒すようなことがあれば、遣わし様としての守護のお力まで疑われるようなことになりかねませんわ!」


 強い口調でそう告げる小雪に、花祝と楓は困惑して顔を見合わせた。


「小雪さんの懸念は承知しましたけど、僕は僕にできることをするしかありませんよ。蹴鞠大会は数日後に迫ってますし、練習時間も限られてるし……」


「そうよ。いたずらに楓くんの不安を煽るのはやめてちょうだい」


「不安を煽るつもりはございませんわ。ただ、そんな重圧を抱える鞠足の方々のために、古来から伝わる “験担げんかつぎ“ があるというのを他の女房から聞きましてね。龍染司様も、それをお試しになってはいかがと思ったのでございます」


「「験担ぎ?」」


 花祝と楓が声を揃えて反応すると、小雪がにんまりと微笑んだ。


「ええ。何でも、若き乙女が鞠足の頬に口づけると、蹴鞠の神が力を貸してくださるとか」


「はあぁっ!? 何それっ!? そんな験担ぎ有り得ないわ!」


「あら、花祝さまはご存知ありません? 蹴鞠の神様って、実は女性だそうですのよ。それゆえ鞠足を応援する乙女の唇に、神の力が宿ると言わているのです」


 顔を真っ赤にした花祝の反論を、小雪はもっともらしい顔つきでさらりと交わす。


(小雪ったら、恋物語の執筆のために、わざと私たちをけしかけているんだわ!)


 小雪の企みにはのるまいと、花祝は頬を赤らめたまま、楓の方を振り返った。


「楓くん! こんな験担ぎはデタラメよ! 本気にしなくていいからね!?」


 恥ずかしい提案に、楓もさぞ困っているであろうと助け舟を出したつもりの花祝であったが────


「……なるほど。それで蹴鞠の神様が力を授けてくださるのなら、ぜひ試してみたいな」


 と、楓が大真面目に頷く。


「ちょっ、楓くん!? 小雪の話は信じちゃダメだってば!」


「うん……でもね、花祝ちゃんに応援してもらえれば、自分の力をめいっぱい出せるのは確かだと思うんだ」


「そ……それなら当日めいっぱい応援するわ!」


「それはもちろんありがたいんだけど、やっぱり僕だって、蹴鞠大会への重圧を感じてないわけじゃないんだよ。たとえ験担ぎがデタラメでも、藁にもすがる思いで試してみたいというか……」


「……っ」


 ほんのりと頬を染めつつこちらの反応を窺う楓に、花祝は声を詰まらせる。

 楓の後ろに控えめに振れる犬の尻尾が見える気がして、無碍に断れなくなってしまうのだ。


「でも……そういうスキンシップは、ナギ兄が許さないんじゃないかな。ほら、いつも何かって言うと邪魔してくるし……」


 どこかでこのやり取りを聞いているかもしれない乳兄弟のことが気にかかり、そう呟いた時だった。


「当然だ! ほっぺにチュウなんてハレンチ行為、このオレが許すわけがねえっ!!」


 突如割り込んだ声に、楓と小雪がぎょっとして振り返る。

 廂にはいつの間にか凪人がどっかりと腰を下ろしており、それを見た花祝は「やっぱり……」とため息を吐いた。


「ナギ兄、いつからそこにいたのか知らないけど、無闇やたらと気配を消さないでちょうだい。心臓に悪いわ」


「だってよ、楓っちが花祝んとこに来るっつったら、オレが監視しねえわけにいかねえべ? 現に今、小雪っちの入れ知恵で花祝の純潔が汚されるとこだったじゃねえか」


「あら、頬への口づけくらいで、花祝さまの純潔が汚れることはないと思いますけれど」


 せっかくの好機を邪魔されたとばかりに、小雪が口を尖らせて反論する。


「何言ってやがる。花祝はなあ、旦那様や奥様、それにオレたち乳母家族がそりゃもう大切に育てた、ガッチガチの箱入り娘なんだよっ! 男が指一本触れるだけでも汚れがつくんだっつーの!」


 凪人がずかずかと母屋に上がり込み、楓から花祝を隠すように間に立った。


「ナギ兄、いくら何でもそれは大袈裟だってば。京のお姫様に比べれば全然箱入りじゃないし、小さい頃から野山で遊んでたくらいだから、ちょっとくらい汚れても気にしないわ」


「はあぁ!? 花祝、お前何言っちゃってんの!? 野山の土と男の手垢を一緒にすんなや! 嫁入りまでは兄ちゃんがお前の清らかさを守り通す……ってか嫁入りなんて想像するだけで寂しすぎるしどこの馬の骨とも知れない男にカッ攫われるくれえならやっぱりオレが坂東に連れ戻して一生箱入りのまま過ごさせてやるっ!」


「何言ってるんですか、凪人さん! 一生箱入りのままだなんて、花祝ちゃんの女としての幸せを奪うつもりですか!? どこの馬の骨とも知れない男にカッ攫われるのは僕も我慢がなりませんが、僕がきちんと責任を取れば何の問題もないでしょう?」


「うぉい楓っち!! 責任って何だよ!? そもそも責任取らすようなことをさせねーっつってんだろーが!!」


「んもう、二人とも落ち着いてってば! 何で誘拐がどうとか、責任がどうとか言う話になっちゃってるの!?」


 凪人と楓の言い合いに、花祝がずれた仲裁に入り、事態は混乱一直線に向かうかと思われた、その時。


「はいはい、皆さんお静かにっ!」


 パンパン! と、小雪が大きく手を叩き鳴らし、三人の間に割って入った。


「お三人とも、夏の暑さのせいで頭に血が上りすぎですわ。一旦ちょっと涼みましょうよ。そう言えば凪人さん、今日はたまたま花祝さまのために氷菓子を用意してございますの。せっかくですから凪人さんも召し上がりません?」


「えっ!? 氷菓子ってマジで!? んな高級なモン、オレが食っていいのか!?」


「ええ。花祝さまが私たち女房の口にも入るようにと、氷をたっぷり取り寄せてくださいましたの。龍染司様の分ももちろんございますけれど、龍袿のあらためが済んだ後にゆっくり召し上がれるよう、後でご用意いたしますわ。まずは凪人さん、こちらへどうそ」


 小雪がにこやかに告げると、凪人は日焼けした顔をぱあっと輝かせた。


「いつもの唐菓子からくだものだって激ウマなのに、かき氷まで食えるなんて思わなかったぜ。内裏ってのはやっぱ贅沢なおやつが出るもんなんだなー」


 おやつに釣られた凪人がいそいそと小雪の案内に従って母屋を出ていく。

 西のひさしへ凪人をいざなう小雪が、最後にちらと振り返り、楓に向かって目配せする。


(龍染司様、邪魔者はこの小雪が隔てますゆえ、あとはよしなに……!)


(小雪さん、ありがとうございます……!)


 小雪の意図を汲み取った楓はこくりと小さく頷いて、改めて花祝に向き直った。







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