十四、彗舜帝の蹴鞠を御覧せたまひしをりに、様々なること起こりしかば

十四の一

 梅雨が明け、真夏を迎えた桜花京の午後。


 内裏の中程にある襲芳殿から、庭で鳴く蝉が飛び立つほどの声が上がった。


天覧蹴鞠てんらんけまり大会に、楓くんが出場するですって!?」


「花祝さま、そんなに大声を出すほど驚かれなくても。龍染司様は従三位じゅさんみの位を賜ったのですから、もはや武者の身分ではなく昇殿も許される高位の貴族。鞠足まりあし(選手)に選ばれても何の不思議もございませんわ」


 かなまり(金属製の椀)に削り氷を入れ、甘葛あまづら(シロップ)をかけた氷菓子を運んできた小雪が、驚きのあまりに膝立ちとなった花祝を見て、呆れたように目を丸くした。


「だって、武家の出の楓くんは、蹴鞠なんて貴族の遊びはやったことがないはずよ。天覧蹴鞠と言ったら年に二回、清龍殿の東の庭で行われる一大イベントでしょ。楓くんが鞠足に選ばれるなんて、何だか不自然だわ」


 天覧ということで、この蹴鞠大会は陛下の御前で行われる特別なものである。

 並み居る名足めいそくを差し置いて初心者の楓を鞠足に抜擢するなど、陛下のご意向としか思えない。


 上流貴族でもなかなか口にできぬ氷菓子を前に考え込む花祝の横で、せっかくの削り氷が溶けてしまわぬかと小雪がはらはらと見守りつつ、口を開く。


「実はこのお話には続きがございまして……。花祝さまには、宮内くない(内裏の事務を司る部署)より、この蹴鞠大会の観覧席を用意するとの連絡が来ましたの」


「えっ!? 私まで蹴鞠大会に呼ばれてるってこと?」


「ええ。先帝の御代には、中宮や女御、更衣といった后妃の方々も、清龍殿のひさしに設けられた観覧席から御簾越しにご観になっていたはずです。ですが、后妃でもない女官にわざわざ観覧席が設けられるというのは、前例のないことのはずですわ」


「そう……。楓くんの出場も、私の観覧席を用意したのも、恐らくは陛下のお取り計らいよね。陛下はどうして蹴鞠大会に遣わしの二人を揃えようとなさっているのかしら……」


 ううんと唸る花祝の横で、小雪がはたと何かに気づいた様子で、両手をぽんと合わせた。


「そうか、そうですわ、花祝さま! 陛下はきっと今度の蹴鞠大会で、龍染司様に恋の勝負を挑むおつもりなのですわっ!」


「……は?」


「花祝さまを巡って恋の火花を散らすお二人ですもの。陛下はあの “恋人宣言” をまことのものにしようと、龍染司様にきっとこう仰るのです。『蹴鞠に失敗したら、花祝から手を引け』と。当然、対する龍染司様も黙ってはおりませんわ。『では、私が一度も鞠を落とさなかったら、陛下が手を引いていただけるのですね』なんて不敵に微笑まれる。花祝さまも読者も、そんな二人の様子にドキドキハラハラさせられるわけです。そして蹴鞠本番の場面では、龍染司様が幾度となく鞠を落としそうになる。賭けの行方を固唾を飲んで見守る花祝さま。そしてとうとう決着がつき……」


「あー、はいはい。恋物語に蹴鞠のシーンを入れるのは自由だけれど、フィクションってことだけはくれぐれも強調しておいてよね」


 常のごとく妄想を暴走させる小雪の横で黙考するのを諦めた花祝は、ようやくかなまりを手に取った。

 しかし、中を覗くと、せっかくの削り氷はすでに半分溶けてしまっていたのだった。


 ❁.*・゚


 蹴鞠と言えば、花祝も幼き頃に弟や乳兄弟達と蹴鞠の真似事をしてよく遊んだものである。


 鹿の滑革ぬめかわを接ぎ合わせて膨らませた鞠をくつで蹴り上げるのだが、わらわの足に合う沓がなく、父や家人けにんの沓を拝借しては鞠と一緒に飛ばしてしまい、よく叱られたものだ。


 そんなことを懐かしく思い出しながら坂東の家族に送る文を書いていると、部屋付き女房が花祝の傍にやってきて、楓の来訪を告げた。


 本日は、襲芳殿に保管されている龍袿を楓と確認し、効力の弱まっている古い龍袿がないか、足りない色味はないかなどを調べ、次に染めるべき龍袿の色を打ち合わせることになっている。


 硯箱を片付けて居住まいを正すと、ほどなくして先導の小雪に続いて楓が母屋に入ってきた。


「やあ、花祝ちゃん。毎日暑いね。体調崩したりしていない?」


「楓くんこそ、暑い中わざわざご苦労さま。数日ぶりだけれど、元気にしてた?」


「うん、僕は元気だよ。この暑いさなかに、仕事そっちのけで蹴鞠の練習をしているんだ。なぜか今度の天覧蹴鞠大会で鞠足に選ばれちゃってね」


 やれやれ、と、おどけたように肩をすくめてみせる楓。

 匂い立つほどに甘やかな顔容かんばせではあるが、眉目や鼻筋のすっとしたつくりが暑苦しさを感じさせない。

 端麗で硬質な陛下とはまた違う雰囲気の美男であると、花祝は内心感嘆しつつ、楓に席をすすめた。


「天覧蹴鞠大会のことは私も聞いたわ。実はその大会に、私も観客として呼ばれているの」


「え? 花祝ちゃんが? 蹴鞠をやったことのない僕が選ばれたのは何かの間違いなんじゃないかって思っていたんだけど……。僕達二人が揃って呼ばれてるってことは、何か裏があるのかな」


 そう呟いて腕組みをした楓が、表情を曇らせる。


「もしかして、陛下は左大臣殿の動きを警戒してらっしゃるのかもしれないな」


「左大臣殿の動きって?」


 警戒すべき人物の名が上がり、にわかに緊張した花祝は声を低くして楓に問うた。


「花祝ちゃんは聞いてない? 天覧蹴鞠大会では、陛下がご覧になる他に、重臣達の観覧席も設けられるそうなんだ。つまり、そこには当然左大臣殿もいらっしゃる」


「そう……。でも、蹴鞠大会のような大勢の人がいる中で、左大臣殿が何かを企むようなことはあるかしら?」


「普通に考えればその可能性は低い。ただ、大勢の観衆がいることを逆手に取った策に出ないとも限らない」


「確かに、大勢の人の目があるということは、その人達が証人になることだって有り得るものね」


 何せ左大臣は、己の権勢を盤石なものにするためには実の娘すら駒に過ぎぬと割り切れる男だ。

 まつりごとに関わることのない花祝はいまだ左大臣の顔を見たことはないが、蹴鞠大会では御簾越しにでも件の男の様子を窺うことができるであろう。


 緊張を隠せない花祝の様子を気遣うように、楓がそっと手を重ねる。

 はっとして顔を上げると、常のごとくに穏やかな笑みを浮かべた楓が花祝を見つめていた。


「花祝ちゃん、用心に越したことはないけれど、そう心配しなくても大丈夫だよ。陛下はきっと僕達を信頼してお傍に呼んでくださったんだ。僕と花祝ちゃんで力を合わせれば、陛下をお守りするという遣わしの使命をきっと果たせるはずだから」


「楓くん……」


 璃寛茶りかんちゃの色の瞳で真っ直ぐに花祝をとらえる楓の眼差しは、陛下を、花祝を、そして己の力を信じる揺るぎなき強さがある。


 左大臣家の守護にあたる長谷部家の人間である楓を陛下は未だ信用しきれていないご様子。

 だがしかし、彼のこの眼差しを見れば、きっと二人の間にも信頼関係が生まれるはず。


「そうね。何事も起こらないに越したことはないけれど、何が起こっても二人で力を合わせて陛下をお守り申し上げましょう!」


 花祝が笑顔でそう応えると、楓はほっとしたように微笑んで、重ねた花祝の手をきゅっと握った。





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