十三の三

「呪符を盗んだ犯人に心当たりはないのですか? 降禍術のことを誰かに話したことは?」


 呪符騒動の真相を確かめるべく、身を乗り出した楓が彩辻宮と高階を交互に見やる。


 高階は、眉をしかめて首を横に振った。


「それが……部外者が侵入した気配はありませんし、物盗りが一枚の呪符だけを盗み出すというのは不自然過ぎます。禁術の研究だけにみだりに人に話したりはしておりませんし、我々の研究内容を知る邸の者が密かに持ち出したのではないかと思うのですが……」


「そんなことを我が家人けにんがするわけがない!」


 高階の言葉を、強い語気で彩辻宮が遮る。

 その表情はかたく強ばり、眼鏡の奥の藍鉄の瞳は動揺で激しく揺れている。


「あの呪符はきっと研究資料のどこかに紛れておるだけだ。現に、呪符が利用されて “禍もの” が現れたという話は聞かぬではないか。書庫をくまなく探せば、きっと出て────」


「呪符ならば、ここに」


 今度は楓が宮の言葉を遮り、懐から破れた紙切れを抜き、宮の御前に差し出した。


 眼鏡の縁に指を添えつつそれを覗き込んだ宮が青ざめる。


「な……なぜこれを、龍染司殿が……?」


「これが盗まれた呪符ということで間違いはありませんね? 実はこの呪符は、先日私と龍侍司殿を襲うために使われたのです」


「…………!」


 青ざめた彩辻宮が、高階の方を振り返る。

 高階は天女の顔容かんばせをしかめつつ、額に手をあてた。


「一体誰が何のために、遣わしのお二人を襲おうとしたのか……」


「我々も犯人とその目的を探っているのです。我々遣わしに危害を加えるのが目的だったとすれば……考えられるのは、犯人は彗舜帝の守護を排さんとしたということ。つまり、犯人の最終目的は、畏れ多くも今上帝の御身を傷つけることではないかと」


「そんな……っ! 私の研究成果によって、兄上の御身が危うくなるなど……! 私はそれを決して望んではいないし、あの御方だって────」


「あの御方……?」


 彩辻宮のその言葉に、花祝の記憶がよみがえる。


 彗舜帝と彩辻宮が対面した折。

 守護のために同席した花祝を陛下が “恋人” であると紹介したときのこと。


に何とお伝えしたら────”


 宮はそう呟いて、苦悶の表情を滲ませていた。


「宮様、“あの御方” とは……? まさか、降禍術のことをどなたかにお話しになったのですか!?」


 高階が血の気の引いた顔で宮に詰め寄ると、宮は観念したようにうなだれた。


「姫に……左大臣家の姫君に、ちらと話したことが……」


 気まずい空気が降りてくる中、「でもっ」と宮が言葉を続ける。


「姫君は、入内じゅだいできる日を心待ちにして日々を過ごしてらっしゃるのです! 未来の夫となるはずの兄上を害さんとするはずがありません!!」


(陛下が、未来の夫────)


 必死で従姉を擁護する宮の言葉に、花祝の胸がつきんと痛む。


 無意識に胸に手を当てた花祝の隣で、楓が長いため息を吐いた。


「宮様……。お言葉ですが、左大臣の姫君に陛下を害するお気持ちがなくとも、お父君に降禍術のことをお話しになることは十分考えられます。左大臣殿に呪符の存在を知られた可能性はございませんか?」


 楓の追及に息をのむ彩辻宮。

 そこに追い討ちをかけるように、高階が口を挟む。


「世間に疎い学者の私ではありますが、即位後も一向に后妃をお迎えにならぬ今上帝に、左大臣殿が業を煮やしているという噂は耳にしたことがございます。やはり、呪符は左大臣殿が陛下に揺さぶりをかけるために使ったのでは……」


「そんな……いくら伯父君とて、ご自分の大切な娘の夫となる方を脅したり傷つけるなど────」


「宮様はやはり私以上に世間知らずな御方ですな」


 彩辻宮の弱々しい反論に、ぴしゃりと言い返したのは高階である。


「左大臣殿が欲しておるのは娘の結婚相手ではございません。帝の義父として、そして生まれてくる次代の帝の祖父として、位人身を極め、この国の長ですら自分の意のままに操る権力なのです。その欲望を満たすために手段を選ばぬのは、まつりごとの世界にはよくあることではございまぬか?」


「…………っ」


 唇を噛みしめて俯く宮の姿に、先日の記憶が再びよみがえる。


(まずい……。歳若い宮様は、感情が大きく揺さぶられやすく、ご自身で制御しきれないんだわ。このままではまた邪気を呼ぶことになりかねない)


 遣わしの二人が揃っていることから、万が一今ここに邪気が現れたとしても祓うのは容易い。

 しかし、己の感情のままに邪気を呼び寄せてしまったとあらば、楓や高階の前で宮が恥や未熟さを晒すことになる。


「呪符については、左大臣殿の差し金だという確たる証拠はまだありませんし、本日はここまでといたしましょう。本日の訪問の主たる目的は、宮様からのご相談を私が承るということでしたよね。ですので、この後は宮様と二人きりでお話を伺いたく存じます」


 重苦しい空気を払うように花祝がそう告げると、隣に座していた楓がすっと立ち上がった。


「そういうことでしたら、僕は別室にて待機させていただきます。どうぞお二人でごゆっくりお話ください」


 常のごとく甘やかな笑みを浮かべた楓が、南廂みなみびさしの床にちら、と視線を落とす。

 武人としても腕の立つ楓は、床下に潜む凪人の微かな気配を察したらしい。

 いざとなれば凪人がすぐ傍にいるし、自分もすぐに駆けつける、と穏やかな眼差しが伝えている。


 楓に向かって花祝が小さく頷くと、彼は無駄のない所作で彩辻宮の御前を辞し、控えていた女房について別室へと移っていった。


「私が復元をお手伝いしたあの呪符が遣わし様方を危険な目に遭わせましたこと、心よりお詫び申し上げます。ただ……こう言っては何ですが、呪符を差し向けられたのがあなた方でよかった。事が明るみに出れば、呪符を書き起こした宮様や私にもお咎めが及びかねませんでしたから」


 天女の羽衣を思わせる淡き笑みを纏い、高階は花祝に深々と一礼をした。


「では、私はこのままおいとまいたします。宮様におかれましては今回のことを戒めとして、ゆめゆめ禁術のことを他言なさることのなきよう」


「う、うむ……」


 見目はたおやかな女人の美しさでありながら、実際の高階は彩辻宮の師としてそれなりに威厳をもって接しているようである。


 高階の足音が消えるまでしょぼんと肩を落としていた宮であったが、花祝が「宮様」と声を掛けると、はっと我に返り、その後ますますうなだれてしまった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る