十三の二

 付き従う女房の衣擦れの音とともに母屋もやに入ってきたのは、黒縁の眼鏡をかけ、若年の公達きんだち特有の二藍ふたあい夏直衣なつのうしを纏った彩辻宮。


 親王というやんごとなき立場につき、本来ならば御簾みすで隔てられた帳台に座し、花祝達に顔を見せることはない。

 しかし、今日は親しく語らいたいという意図があるのか、宮は花祝達の目の前に置かれた繧絢縁うんげんべりの畳に、何の隔たりも置かずに腰を下ろした。


「龍侍司殿、龍染司殿。本日はよくおいでくださいました」


「お初にお目にかかります。贈従三位ぞうじゅさんみ龍染司りゅうぜんのつかさ、長谷部楓と申します。本日は宮様と龍侍司殿との面会に際し、同席の栄誉を賜り恐悦至極に存じます」


 武人らしく背筋をぴんと伸ばし、堅苦しい挨拶を述べる楓に、年少の彩辻宮が逆に恐縮した様子で声を掛ける。


「龍染司殿、お顔を上げてください。私は政務に関わらぬ身ゆえ、形式ばった面会には慣れておらぬのです。どうぞ龍染司殿も友に会うような軽やかなお心持ちで接してください。龍やまがものといった超自然的存在の研究を趣味としている私の方こそ、憧れのお二人にお会いできてとても感激しておるのです」


 彩辻宮の物言いに素直で飾らぬ人柄が見て取れたのか、楓の口元に滲んでいた警戒と緊張の色がいくらかやわらぐ。


 続いて宮は、廂の後方に控える高階の方をちらと見遣った。


「あちらにおりますのは、私の文学ふみのはかせ高階たかしなにございます。本日は遣わしのお二人から聞いたお話を研究資料として記録に残したく、彼にその役を申し付けました。龍侍司様との間は几帳きちょうで隔てさせましたが、しばしの間同席させてもよろしいでしょうか」


 宮が気にかけているのは、花祝にとって高階の同席に支障がないかということのようである。


 通常、貴族の女性は、親族以外の男性に顔を見せぬもの。

 そのため、先ほどは高階の姿をみとめて咄嗟に袖で顔を隠した花祝であるが、畳に座せば几帳の陰となり、高階からはこちらの姿が見えぬよう配慮されている。


 しかし、花祝はおもむろに膝立ちになると、横に置かれた几帳を自ら押しのけ、高階の顔を覗いて微笑みかけた。

 天女のごとくに美しき高階の顔が強ばり、花祝を視界に入れてはまずいと慌てて俯く。


 花祝の突飛な行動に眼鏡の奥の藍鉄の瞳を丸くしている彩辻宮に向き直ると、花祝はにっこりと微笑んだ。


「女とて、職務の際には滞りなく業務が行えるよう、公達きんだちに顔も見せますし言葉も交わします。私も龍侍司として文学殿にお会いいたすわけですから、お気遣いは無用にございますわ」


 花祝にとっては、呪符との関連が疑われる高階を知る絶好の機会である。

 彼の言動や表情を細かく観察するためには、こちらの顔を見せてでも隔たりをなくした方がいい。


 花祝のその言葉に、高階はほっとした面持ちで顔を上げ、彩辻宮も安堵の息を吐いた。


「ありがとうございます。本日はせっかく遣わしのお二人に揃ってお会いする機会を得たので、お二人のお務めに関するお話を色々と伺いたく思っておるのです」


 眼鏡の縁を指で押し上げつつ、藍鉄の瞳を輝かせて身を乗り出す彩辻宮。

 興味の対象を前にしてそんな少年らしさを覗かせる宮からの質問に楓は快く答え、清らなる谷の様子や五色の龍の荘厳さ、龍袿の染めの工程などを説明していく。


 花祝も龍袿のかさねの色目の効果について説明したり、破邪の懐刀を見せたりして、宮の知的好奇心を存分に満たして差し上げる。


 記録係を命ぜられた高階は、そんな三人のやり取りを黙々と巻物に書き留めていく。


 そんなやり取りが半刻はんとき(約一時間)以上続いたであろうか、興ののった宮がぽん、と膝を打ち、「そうだ!」と声を上げた。


「遣わしのお二人に直接お会いできる機会など滅多にないこと。ここはやはり、龍の通力をこの目で見とうございます!」


 彩辻宮の言葉に、花祝と楓はぎょっと目を丸くして顔を見合わせた。


「龍の通力をご覧になりたいとは……つまり、この場で “禍もの” を祓えと?」


「龍の通力は、邪気や物の怪の類がおらぬ場所ではお見せしようがございませんが……」


「ならば、“禍もの” を呼び寄せればよいのでしょう? この邸に “禍もの” が現れたとなれば、あなた方が龍の通力を用いることを誰も咎めたりは────」


「宮様!! そのようなことを軽はずみに仰るものではございませんっ!」


 頬を紅潮させた宮の言葉を鋭く遮る声。


 花祝が声の主を振り返ると、書き物の手を止めた高階が女人のごとくまろやかな顔を強ばらせ、鋭い目つきで宮を窘めていた。


 高階の言葉に、しまった、とばかりに顔をしかめる彩辻宮。


 そんな二人の様子を見て、花祝の胸の内がにわかにざわつき始めた。


「宮様は今、『“禍もの” を呼び寄せれば……』と仰いましたね? もしや宮様はそのような術をご存知でいらっしゃるのですか?」


 動揺を隠さんと、楓があえて鷹揚な声音で宮に問う。


 余計なことを口走ってしまったと悔いているのか、もごもごと口ごもる宮の代わりに、脇に控えていた高階が口を開いた。


「実は……私と宮様は過去に禁忌となった文献を紐解き、失われた妖術を復活させる研究を行っておりまして。未完成ながらも、ある程度の成果が出ているのです」


 その言葉を耳にして、花祝の胸のざわつきがより一層強くなる。

 此度の訪問で、彩辻宮と先日の呪符との関連を探りたいと思っていたが、宮の方から都合よくきっかけを与えてくださるとは。


 緊張に声が震えるのを必死に押さえつつ、高階にさらに探りを入れる。


「失われた妖術というのは……もしや、三百年前に禁術となった “降禍術こうかじゅつ” のことでしょうか?」


「降禍術をご存知とは、さすが遣わし様は妖術全般に精通しておられますね。ですが、私達が降禍術の研究をしていることは、どうかご内密にお願い申し上げます」


「口外するなと仰るのは、降禍術が過去の禁術だからですか?」


「もちろん、“禍もの” を呼び寄せることのできる危険な術ですから、禁書の指定期間を過ぎているとは言え、研究の成果はあまり堂々と発表できるものではございません。ただ、口外できぬのはそれだけが理由ではございませんで……」


 最後は高階までもが言い淀み、気まずそうに肩をすくめる。


「他にどのような理由があるんですか?」


「実は……。ひと月ほど前でしょうか、宮様が古文書を頼りに書き起こした降禍術の呪符の一枚が、何者かに盗まれたのです」


「呪符が……盗まれた!?」


「ええ。誰がどのような目的で呪符を盗んだのかは定かではありません。しかし、我々の研究の成果を何者かが悪用すれば、降禍術を研究している宮様や私もそしりを免れぬばかりか、下手をすれば罪に問われるやもしれませぬ」


 あの呪符を書いたのは、やはり彩辻宮であったか。

 しかし、花祝達に危害を加えようとしたのは、呪符を盗んだ別の誰かということらしい。


 頭の中に高階の言葉がぐるぐると回り、花祝は冷たくなった指先をぎゅっと握りしめた。

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