十三、彩辻宮の、龍侍司を招きてはかり給ひしこと

十三の一

 花祝、小雪、楓の三人を乗せた牛車ぎっしゃがひっそりと内裏の外へ出たのは、政務を行う殿上人てんじょうびとの出勤が済み、内裏の往来が落ち着いたの刻(午前十時)の頃であった。


 本日は、いよいよ彩辻宮のやしきに招かれ、宮と直接対話をする。

 宮からは、花祝に相談事があると持ちかけられているが、先日の “ためし着” で貼られた “まがもの” を呼び寄せる呪符に彩辻宮が関係しているとなれば、警戒を怠るわけにはいかない。

 そのために、楓が同行し、凪人が先に邸に潜入しているのだが────


 緊張感を削ぐとわかっていながら、朝から欠伸の止まらない花祝。


 欠伸の出る度、扇や袖元で口を隠してはいるのだが、いくら噛み殺しても周囲にはバレバレである。


「花祝さま。昨晩の宿直とのいでは仮眠が十分に取れなかったのですか?」


 俯いた視界に心配そうに覗き込む小雪が映り、花祝は慌てて取り繕った。


「しっ、心配かけてごめんね!?  “まがもの” は出なかったし、仮眠を取るタイミングもあったんだけど、今日のことを考えていたらなかなか寝つけなくて……」


 言えない。


 空が白み始めるまで陛下と寝そべって絵巻を読み耽っていたなんて。

 彩辻宮邸訪問を前に、そんな緊張感の欠片もない夜更かしをしていたなんて、この二人に言えるわけがない。


「本当に寝つけなかっただけ? まさか陛下に無体なことをされたりは……」


「そっ、そんなことないから!」


 正面に座る楓が眉根を寄せて花祝に尋ねるが、即座にそれを否定する。


 無体と言えば、左大臣の動向を気にするなと唇を塞がれた記憶はある。

 けれど、セクハラの波状攻撃に感覚が麻痺してきたのか、はたまた睡眠不足で頭がはたらかないのか、あの口づけが無体なことであったかは判然としない。

 常のごとく顔が火照り、動悸は激しくなったけれど、それは遣わしの本能が高まったためであるという仮説もいまだ捨てきれない。


 疑わしげな眼差しを向け続ける楓に、小雪が思い出したように口を開く。


「龍染司様のそのご様子では、陛下と花祝さまのお噂はまだお耳に届いてはおらぬようですわね」


「あの噂って?」


「ちょっ、小雪! 余計なことは言っちゃダメ!!」


「龍染司様の詰めておられる縫殿寮ぬいどのりょうの女官からお聞きになるかもしれませんけれど、それ恋人宣言はあくまで誤解であると花祝さまは仰っております。龍染司様推しの私としても、あなた様にはそのような噂に惑わされることなく、これからも花祝さまをぐいぐいと押し続けていただきたく────」


「小雪っ!! それ以上続けたら、牛車を降りて襲芳殿に戻ってもらいますからねっ」


「まあ、怖い怖い。寝不足のせいか、今日の花祝さまは随分と気が立っていらっしゃるご様子。そんな調子で宮様と穏便なお話ができるのか、小雪は心配でございますわ」


「私の気が立ってるのは、寝不足のせいじゃないから! そんなに心配するなら、口を噤んでいてちょうだい」


 主人のたしなめに恐縮する様子もなく、袖元で隠した口からてへぺろ、と小さく舌を出す小雪。


 呆れたようにため息を吐いた拍子にまた欠伸が出そうになり、花祝は咳払いで誤魔化すと物見ものみの小窓から外の様子を窺った。


 彩辻宮邸は、桜花京おうかきょうの東側、先帝のお住いである高月院や左大臣邸など有力者の邸が集まる地域にある。

 牛車はすでに人の往来の盛んな大通りを過ぎ、落ち着いた雰囲気のある道をがらがらと穏やかに進んでいる。


(宮様が私に相談したいことって、一体何なのかしら。あの純朴そうな方が私を陥れようとしているとは思えないのよね)


 弟の空良そらや乳兄弟の湊人みなとと年恰好が同じなせいであろうか。

 一度しか会っていないのに、彩辻宮を疑う気にはどうしてもなれない。

 顔に装着した眼鏡という珍品の奥に、兄帝と同じ藍鉄に澄んだ瞳をもつ理知的な少年の顔を思い浮かべていると、膝の上に置いた手に暖かなものが触れた。


 視線を戻すと、狭い牛車の中で膝を付き合わせて座る楓が花祝の手に己の手をそっと重ねている。


「花祝ちゃんの身に危険が迫ったら、僕と凪人さんが必ず守ってみせるよ。だから花祝ちゃんは宮様と忌憚のないお話をしてくるといい」


 穏やかで甘やかな笑みを浮かべた楓が、励ますようにそう告げる。


「ありがとう、楓くん。私なら大丈夫。むしろ宮様のご相談の内容によっては、力になって差し上げたいと思ってるくらいだから」


「ああっ、尊い! 互いを信頼しきっているこの空気、私の作品の中にもぜひ織り込みたいものですわ」


 小雪の感嘆の声が響く中、牛車はいよいよ彩辻宮邸の門を潜り、主殿の西の簀子縁すのこえんに寄せられた。


 宮様付きの女房に出迎えられて牛車を降りると、花祝と楓は謁見の場となる南廂みなみびさしに案内される。

 小雪は西廂の奥にある女房の詰所で待機するとのこと。


 寝殿造と呼ばれる建物は、ひさしと呼ばれる屋根付きの濡れ縁が周囲をぐるりと囲んでおり、客人は庭に面した広く明るい南廂に通されるのが通例である。


 梅雨も終わりに差し掛かり、主殿に面した池には蓮の花が幽玄に咲き誇っている。

 三年前に崩御された羽鳥院の邸宅を全面改装したという彩辻宮邸は、加冠かかんの儀(元服)を済ませて独立したばかりの宮には不釣り合いなほどの広さと豪奢さで、伯父である左大臣の支援が並々ならぬものであることが窺える。


 そんな印象を抱きつつ南廂の板の間に入ると、客人のために設えられた高麗縁こうらいべりの畳が二枚、そしてその下座に座る直衣のうし姿の青年が目に入った。


 彩辻宮以外の面会者がいることに小さく驚き、咄嗟に袖で顔を隠した花祝であったが、目を見張ったのは、その男の容姿である。


 藤鼠ふじねずの夏直衣に烏帽子えぼしを着けた出で立ちから男性であるとわかるものの、その顔立ちは天女と見まごうほどの美しさ。

 少女のようにつくりは繊細であるが、その佇まいは落ち着いた大人の男である。

 歳の頃は二十五、六、といったところか。


 楓も同じように驚いた様子で、思わず二人は顔を見合わせる。

 そんな空気を察してか、その男が花祝達に向かって頭を下げ、容貌にそぐわぬ低い声で挨拶をした。


「お初にお目にかかります。此度のご面会に同席させていただく機会を賜りました、彩辻宮様付きの文学ふみのはかせ高階たかしな弘相ひろみと申します」


「あなたが、宮様の文学……」


 凪人の偵察報告を思い出しつつ、花祝と楓は再び顔を見合わせる。


 彩辻宮に学問を教える文学、高階は、禁書・焚書の扱いを受け歴史の闇に葬られた古文書の復元を得意とする学者で、彩辻宮と共に “降禍術こうかじゅつ” を復活させた可能性の高い人物である。

 鳳凰狼ほうおうろう老獺ろうだつを呼び寄せた呪符との関係が疑われる人物と、よもやこの場で相見えることになろうとは。


 この男は、どのような意図でこちらに控えているのか。

 図りかねた花祝と楓が立ち尽くしていると、「宮様のおなりにございます」と声がして、二人は慌てて畳に座し、平伏の姿勢をとった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る